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大寒

24節気の最後の節。立春(つまりは旧暦の正月)まであと2週間だ。
また、旧暦の12月8日は、腊八粥といういろんな穀物でつくったお粥を食べる日である。

腊八节,又称腊八,源自中国的一个传统节日,因在农历十二月初八,也就是腊月初八庆祝而得名。原意是祭祀祖先和神灵,祈求丰收、吉祥和避邪。在中国,有腊八节喝粥的习俗。

これはもともと、スジャータが釈迦牟尼に食べさせた粥がきっかけで悟りにいたったという仏教の話がもとである。
小正月に赤粥を食べるのはこれが日本に伝わったからだ。

今年は、腊八节と大寒が重なる特別な年だ。

民俗专家表示,“腊八”巧遇“大寒”比较罕见,在寒冷的“四九天”,喝上一碗飘香的腊八粥,会别有一番滋味。
历史学者、天津社科院研究员罗澍伟介绍,腊八节的前身是古代的“腊日”,“腊日”在上古时代是最重要的年终祭祀日。古人每年都要举行冬祭,用猎获的禽兽祭祀祖先和天地神灵,以求来年五谷丰登和家人平安,俗称“腊祭”。由于每年的“腊祭”均在与来年衔接的十二月举行,故称该月为“腊月”,并把举行“腊祭”的这一天称为“腊日”,但这一天不固定。

中国の歴史学者は、この行事をジビエのような料理を神に捧げ五穀の実り在ることを祈ったのがもとになっている。つまり生贄を捧げる日だ。

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モルガン財閥の創始者ジョン・ピアポント・モルガンの甥のジョージ・デニソン・モルガンが、加藤雪という京都の芸姑を見初めた。お付き合いしている人が加藤さんにはあったため、断ろうと、条件をつけた「4万円払ってくれたのなら。。」当時(1904年)の4万というのはいまの金額で8億円もの価値に相当するそうだ。モルガン財閥にしてみれば支払い能力があったのであろう。正妻になったのだからこれを身請けというのはやや不適切な言い方である。プロポーズということになろう。このプロポーズをしたのが、1月20日なので、玉の輿の日という。

玉の輿、、、羨望や、やっかみなどもあるであろう。モルガンお雪にしても「四万円の貞操」とか云われ揶揄された。人並みの幸せが得られるのかどうかはわからないが、身分を超えた結婚というのは、いろんな物語が巻き起こるようだ。
妾馬という落語は、八五郎出世という副題がついている。妹がまさに玉の輿に乗って、兄の八五郎も人柄が気に入られ、町人から武士に取り立てられるという心がほんわかする話である。が、現実には、なかなか厳しいところもあるだろう。
江戸時代の玉の輿の例をみるならば、大奥を眺めるのが近道かもしれない。
というのも、歴代の将軍の正妻は1人でこれは皇族から招かれたため、庶民には届かない。ところが世継ぎを産まなければならないので、多くの側室を設けた。この側室なら玉の輿は可能である。
別の方向からみると、正室が次期の将軍生母となったのは、三代将軍家光を生んだ江与の方のみ。たったの1人なのである。
4代将軍家綱を生んだのは、側室のお楽で、もとの名をお欄といった。当時禁猟だった鶴を撃ってしまった男の娘であるが、たまたま春日局の眼に止まり、大奥にスカウトされる。のちに、無礼講で故郷の舞を踊ったのを家光が覗きみて惚れ、お手がついた。また同じ家光の側室、お夏は湯殿で背中を流す係のときに、家光のお手がついた。お夏は懐妊し、男の子が生まれるのだが、このとき家光は41歳。父親が42歳になるとき2歳になる子は親を食い殺すという迷信があったため、これを避けるべきとして、一度捨てて、また拾うみたいな厄介な形式を踏まねばならなかった。以降、将軍が大奥で入浴することが禁じられた。
家光はほかにもたくさんの側室がいた。お玉は、もとは八百屋の娘であったが、お玉の父が死んだのち、母が本庄家の後妻になり、お玉は養女となった。本庄家が大奥とゆかりがあったことから、お玉も大奥に入る運びとなった。お万というのもいる。お万は伊勢の尼寺の尼僧であったが、江戸城に挨拶にあがったのを家光が惚れ、還俗させて大奥に入れてしまったのである。
 世継ぎのためだけが目的なら、”お楽”という側室で十分なはずで、やはり、権力を傘にきた好色があったのであろう。でもそういうことだと跡継争いが起きてしまう。
 綱吉の寵愛を巡って、御台所(みだいどころ)派と、桂昌院のお伝の方派に分かれ、大奥で戦いが繰り広げられた。綱吉の死因は、御台所が綱吉を刺して御台所は自害した、という噂が江戸市中に流れたりもした。ちょうどこの頃、流行病(麻疹)があり、綱吉も御台所も相次いで亡くなったので、こういう噂が出る素地ができていたということなのであろう。
綱吉は悪政で有名だが、これに大奥での争いが無関係ではないという向きもある。

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さて、大寒の日の今日を読んだ漢詩がある
とても寒く身も凍えてしまうようだ。さらにあらたな雪が積り、玄関の前には、銀の凍った床が広がって乳白色の氷柱に光が指す。人々は寒さのあまり口数も少ない。

旧雪未及消,新雪又拥户。阶前冻银床,檐头冰钟乳。
清日无光辉,烈风正号怒。人口各有舌,言语不能吐。

时值冰天雪地的大寒之日,狂风怒号,冷日不暖,人与人相见不敢言,形象真切地吟出了大寒之寒

この詩を読んだのは、邵雍。”清夜吟”のほうが有名か。

月到天心處 風來水面時
一般清意味 料得少人知

天の頂き高くから輝き渡る月が さわやかな水面に光る。
見るものに味わいがあるが、この素晴らしい景色をみんな見ない。
孤独が突き刺さるような詩である。

とても孤独を感じるような寒い大寒。
生贄を捧げるごとくの玉の輿で心があたたまるかどうか。
人は欲には不器用で、どこまでも生きづらさを感じるが、
粥でも飲んで温まり、自らの道を歩まん。

ところで、鈴木その子もIKKOも今日が誕生日
雪の白さに似て、美白を誇る人たちの大寒との関連が気になるが、
それは、玉の輿に乗ったお雪に寄った気の所為であろう。

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<来年の宿題>
・大寒について
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