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聖徳太子まち旅 四天王寺コースレポ

聖徳太子まち旅聖徳太子についてはこちらの記事を

四天王寺とは

大阪にある四天王寺は、日本仏法最初の官寺として知られている。今回のまち旅では四天王寺を中心に周辺のまちを歩いていく。


【まち旅】あべのハルカス集合

観光家の陸奥賢さんをガイドに迎え、出発。
集合場所のハルカス17階は美術館エントランス1つ上のフロアで、カフェやコンビニがある場所。いつもこのフロアにあるカフェチャオプレッソでモーニングしてしまう…

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当日は雨天のため、四天王寺方向の見晴らしが良くない日であった。晴れの日は上町台地がよく観察できるスポットになる。
さらに上に上がった展望台のハルカス300は1,500円で入場できる。晴れている日に上がることをおすすめする。

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【まち旅】地上に降りて出発

エレベーターでハルカス2階で下り、歩道橋へ。歩道橋は、改築により、幅員が広くなり、あべのの「a」がモチーフで、ここから西向けば晴れの日に六甲山が見える。ちなみに、歩道橋の足元はかつて太子墓地があったところ。

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また、JR環状線の上にかかる橋(橋とは意識していなかった!)が、実は阿倍野橋(あべのばし)はここにある。

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雨天ゆえ、てんしばも人がおらず、閑散と…

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【まち旅】おもしろスポット「ホテルダイゴ」

「ホテルダイゴ」の前にある二宮金次郎と茶臼山石碑。社長さんが作ったと言う噂。

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陸奥さんいわく「びっくりマーク(!)の入っている石碑はそうそうない」とのこと。

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ラブホテル街を抜けると坂口楼を経て谷町筋へ。
アップダウンがそこかしこにあり、台地感。

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【まち旅】堀越神社到着

堀越神社は、熊野街道第1王子(窪津王子)もあり、最近ではパワースポットとしても流行っている。
小さな神社なのに、参拝者がぽつぽつとおられる。

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そして、
一心寺には入らず・・・画像14

一心寺の北側の幹線道路は坂道になっているが、ここは、天王寺七坂の1つ「逢坂(おうさか)」

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七坂はいずれも歴史的背景のある建物や史跡が近くにあり、今回は三坂を巡ることになった。

【まち旅】伶人町

大阪市歴史の散歩道マップを確認しながら住宅地の中を歩いてると、
ふと、陸奥さんが立ち止まり、あるところを指さした。
伶人町(れいにんちょう)」のプレート。

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ここ、伶人町は四天王寺舞楽を奉仕する楽人の町とされており、音楽にゆかりのある地である。また、この通りを東に見ると、ちょうど谷町筋の向こうには日本の建設会社である金剛組の社屋が見える!

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【まち旅】清水の舞台

さらに歩き、清水寺の清水の舞台へ。
今は墓地になってるが、空襲で消失する前はこちらに清水造の本堂があったそう。古代、この舞台から西は海だった。今やビル街で名残もなく。。。

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このお寺には「玉出滝」という滝があり、滝行ができる。陸奥さんは年に2,3名滝行をされている方をお見かけしたことがあるとのこと。

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また、こちらの滝の水は天王寺七名水の1つでもある。

上町台地は生駒山からの伏流水が地下を通り、良質な地下水に恵まれていた。谷町線の掘削により多くの井戸が枯れてしまったという説がある。
こちらの清水寺や滝は、陸奥さんいわく「京都の清水寺に行けない人のために清水寺を模して作られたのかも」とのこと。

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またしても起伏のあるエリアとなり、

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途中、2坂めの清水坂に立ち寄り(上らずに…)

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七名水のふたつ目をチェックしてから愛染坂に向かう

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【まち旅】愛染坂を上れば愛染堂

清水坂の次は愛染坂。これで3坂め。

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愛染坂を上れば愛染さんの愛称で親しまれている愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)

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四天王寺に建立された官寺は、敬田院、施薬院、療病院、悲田院があり、その1つである「施薬院」がはじまり。施薬院は、薬草を育て、病の人々に与えるため、四天王寺の北西の角(現在の愛染堂の場所)に建立された。勝鬘院という名前は、聖徳太子が勝鬘経というお経を人々に講ぜられた場所と伝わることから、そう呼ばれるようになった。
(愛染堂 勝鬘院 HPより)

ここからはスペシャルゲストで四天王寺の山岡さんがしばしご案内!

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縁結びでも知られており、親しみをこめて愛染さんと呼ばれている。建立当時の飛鳥時代は、四天王寺の敷地がもっと広大で、このあたりも四天王寺の敷地の一部だったので、現在も四天王寺の一部として運営されている。

愛染堂となったのは平安時代以降、愛染明王信仰の普及により「四天王寺の愛染堂」と通称されるようになった。

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勝鬘院の裏手にある多宝塔は聖徳太子の時代からあったが、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失してしまった。現在私たちが見ている多宝塔は、1597年に豊臣秀吉により再建されたもの。

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それでも「大阪市最古の木造建造物」となっており、国の重要文化財にも指定されている。かつては朱色だったらしいけど、このままでも十分すてき。

【まち旅】四天王寺西門から

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さて、四天王寺西門に到着。ここは、極楽浄土の東門と言われており、お彼岸には日想観の法要が行われる。
石鳥居は、神仏習合の名残で、上をよく見ると、扁額ではなく、”ちりとり”になっている(これは気づいていない人も多いと思う)。悩みや汚れを払うため、ちりとり型になったとか。

四天王寺には四石と呼ばれる霊石がある。
その一つ「引導石」が西門入ってすぐのところにある。棺を引導石の前に置き、鐘を三度鳴らすと聖徳太子が極楽浄土に導いてくれるという伝説がある。

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ちなみに、四天王寺は社会福祉や医療、学び舎などもあり、そのうちの一つ学校法人四天王寺学園は創立100周年で、聖徳太子1300年忌に設立されたと言われている。

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転法輪がいつでも回せる日が来ますように…

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入口だけでもうこの情報量…さすが四天王寺

さらに、境内を歩き、南門前へ。

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ここには、四石のうち2つめの熊野権現遥拝石がある。

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熊野街道のルートである四天王寺で熊野の方向に礼拝し、熊野までの道中安全を祈った場所だそう。石標に注目されがちだけど、奥にある大石がその石。

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【まち旅】四天王寺知られざるマニアックスポット

東端にある聖霊院(しょうりょういん)は、聖徳太子を祀っているお堂で前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が、奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開)が祀られている。

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奥殿の東側に、物部守屋(もののべのもりや)の祠「願成就宮(がんじょうじゅのみや)」がある。今回は、特別に祠の前まで行かせてもらった。

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蘇我馬子と物部守屋の戦い(崇仏・排仏の合戦とも呼ばれている)で戦いに負けた物部守屋、聖徳太子が守屋の御霊を四天王寺の境内地に祀り、さらに守屋の家来達を寺の公人として使役された。守屋の御霊は、聖徳太子のこの慈悲に感激し、それからは四天王寺を守護する守り神として参拝する人々の願いを叶えてくれるという伝説がある。

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そして、もう一つが「鷹の止まり木」。中心伽藍の金堂を東重門側から見ると、 2階部分の欄干のあたりに、 緑色に塗られた結界のような鳥居がある。聖徳太子が鷹となり、物部の怨霊から寺を守護した「止まり木」と呼ばれている。ちょうどその方角には、先ほどの守屋の祠がある・・・

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肉眼でないと見えないので、ぜひ現地に行ってみてもらえると◎

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通りがかりに…大工・建築技術の向上、工事の無事安全を願う建築に携わる人たちがお参りする「番匠堂」の幟は大工道具がモチーフになっている。

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そして、亀井堂に向かう途中で四天王寺山岡さんとはお別れ。

【まち旅】四天王寺も終盤、庚申堂へ

亀井堂の井戸を見下ろすと亀の顔がのぞいている。※撮影禁止
そして、舞楽が奉納される石舞台へ。

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そして、またぐるりと南門を出て、道を渡り庚申堂へと。

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四天王寺の庚申堂は、日本最初の庚申尊出現の地で、本尊は青面金剛童子である。

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秘仏であるご本尊のご開帳は60年に一度、次は2040年?!生きてるかな…生きて見れるように元気にいたい。

【まち旅】谷の清水

そして、玉手の滝に続き、七名水3つ目の谷の清水。都心の住宅地のど真ん中にこんこんと湧く井戸水。

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ふと歩いてきた道を振り返るとすり鉢状の起伏になっている。

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そして、天王寺駅の方(南)に向かおうとすると、ここから登り坂。

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このあたり、大型マンション建設で風景ががらりと変わっている。

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このあたりの住所は悲田院町といい、悲田院は、先ほどの愛染堂でも表記のあった官寺のうちの1つで、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために建立された。

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ただ、悲田院があった正確な場所は現在もまだわかっていない。ふんわりした場所だけど…このあたりで今回のまち旅は終わる。

その後、レトロな商店街を抜け、ハルカスに戻る。



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