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からほりまちアートepisode1

継続的に空堀で活動をするようになったのは、大学時代に空堀に行き、興味を持ち、卒論で関わるようになったことだが、なによりも「からほりまちアート」に関わったことが一番の大きなきっかけ。

空堀で卒論を書こう

2002年秋、はじめて空堀を訪れてから数ヶ月後、大学も後期に入り、卒論に向けたフィールドワークについて考えていこう、ということになった。
夏休み前だったか後だったかに教員と面談をしたような気がする。。。

初めて空堀を訪れたときに見た再生長屋の店舗に興味を持ち、空堀の長屋再生をテーマにしよう、という方向性が決まった。3年生のうちに卒論に向けて動きはじめている、というのはあまりないのだろうが、、、

といっても、経験値の少ない大学生の数少ない選択肢や興味の中から選ばれたものなので、大きな決断をしたというわけではない。

人脈づくりのためのボランティア

フィールドワークをするには、まず、人脈が重要らしい、ということで、偶然にもその直後に「からほりまちアート」というイベントが10月下旬に開催され、当日ボランティアスタッフを募集しているという情報を指導教員がキャッチしてきた。

「関係づくりのために参加すべし」との教員からの助言により、同じゼミから4人が当日スタッフのボランティアに参加することになった。

からほりまちアート開催2週間ぐらい前に空堀商店街のスーパーニューエール(元公設市場・現スーパーサンコー)の2階にある集会室的な部屋で当日スタッフ説明会が行われた。その時は、バイトの時間とかもあって、説明会会場と駅の往復だけだったような気がする。

その日、初めて当時のからほり倶楽部代表理事Rさんとからほりまちアート実行委員長のAさんとお会いした。が、特に会話はすることなく、説明を聞いただけだった。

大学3年生当時、私の生活

ちなみに大学3年生当時の私は、大学に週4日ほど通い、住んでいる実家から自転車圏内の飲食店で週4,5ぐらいアルバイトが中心。
時々地元の友達や当時の彼氏(地元の人)と会う、というサイクルで生活していた(たぶん)。

建築学生の割に自主的にまちも歩いたことがないし、旅行も建築もほとんど見に行ったことがないという学生だった。なので、このからほりまちアートが人生初めての「まちイベント」の参加でもあった。

そして、第2回からほりまちアート当日


からほりまちアート当日の朝、集合場所に向かう。確か、今の松屋タワー建設前―松屋ビルの駐車場だったような気がする。(ちなみに第2回の頃はまだ練がオープンしていない)

からほりまちアート当日は、エリアをざっくりと3つに分け、それぞれにリーダーがついていた。適当に巡回し、休憩とお昼ごはんをどこかで済ませてもらうような感じだった気がする。エリアのリーダーは、現在のすとっくばんくねっとわーく企業組合代表理事のMさんだった。


エリアのリーダーとして担当してくれているMさんは、自由な人で、受け身な学生だった私たちは、当日もかなり放置されて困った覚えがある。同級生と一緒だったし、少しぐらいエリア出てもいいよね、という感じである程度自由に行動することができた。お昼ごはんは、同級生Oさんと一緒に”cafe RENGA”に行ったな~

商店街でばったり、ゼミ旅行で一緒だった建築士のUさんと会い、実はからほりまちアートのスタッフだったことをその時に知る!

改めて空堀を歩く

当日は、空堀のまちをゼミで歩いたルートとは違う道で歩いた。マップをもとにアート作品を見たり、スタッフなので作家さんにも声をかけやすい。正直いくつかの作品に対しては「?」なところはあったけれど、まちの人に話しかけられたり、色々な人が関わっていたり、なんとなく「面白いなぁ」という感想。

この時は、急に決まったこともあり、バイトの都合などで1日だけの参加になった。

そして、次の年も

第2回からほりまちアートのボランティアが楽しかったという印象もあり、次の4年次に開催した第3回からほりまちアートでは、バイトの時間もずらして両日ボランティアスタッフとして参加した。

1年前に一緒に参加していたOさんも一緒だった。また、3年次の間は、留学していた同じゼミの友人Yさんにも声をかけてみた。その友人Yさんも留学したいたころにコミュニティなどのディベートなどがあり、地域コミュニティのようなことに関心があり、一緒に参加してくれた。彼女は次の年に、”からほりまちアート”をテーマに卒論を書いていた。

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