雑記2020/02/22



紛い物が多い時代に生きている。
ポストモダンの建造物に囲まれて、複製を愛好し、手垢のついた流行を追いかけては、奇跡の一枚をネットに投稿する。

今日行ったのはスーパー銭湯。
露天風呂、自然な穴蔵に見えるけど、
実は石の配置を計算してそこから削り取ってできてるんだなあと感づいた。
だって座るのに心地よい石が、こんなにちょうどいいところにある。

それっていいことだ。切り取ったり、コラージュしたり、一番よく見せたり、計算したり、誇張表現したり。幸せを生み出すためにちょっと工夫を凝らすのは、とても素敵なことだと思う。人間だからできることだし。

でもたまに、真実が見えなくて恐ろしくなることがある。

自分のことさえも分からない。
善人か悪人か。そんなふうにきれいに分けられないことなんてとっくの昔に知っている。でも、自分の本心とか、心から望んでるものって全然分からない。
分からないというのは大事だと思う。答えがあるということが、一番恐ろしいから。いつでも私は柔軟でいたい。だから、私は私のままでいい。

じゃあ、この時代に真実なんてどこにある?
公式発表は真実なのか。血がつながっていれば真実なのか。書面にサインすれば、真実なのか。信じていれば、それは真実?戸籍を持っていなければ、私はここに存在しないの?
いくら信仰が嘘っぱちでも、それを利用する、というのはやっぱり許せないと思う。人が本気で信じたものを否定したり、夢を破るようなことは最低だ。そして大人になるにつれて、世界中にこんな手立てが当たり前のように充満していることを知る。生きるために、命を消費させられている。自分勝手な先人たちによって。
悔しいけれど、それこそが真実なんだ。

こどもたちは本当に尊い。かつては誰もそうだったのに。
私は頭の中で、こどもたちを抱きしめる。想像で作ったこどもたちを。






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