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はじめまして:ひよこがニワトリを経て永遠のひよこになるまで

はじめまして。
Hiyoko-Laboイラスト担当の陽菜ひよ子です。

実は、note自体は「はじめまして」ではなく、個人ページをはじめて2年ほどになります。

個人ページでは文筆家として文章メインで執筆中。
今まで「オススメ」に選ばれた記事です。

Hiyoko-Laboでは主にイラストについてと、絵本や好きなものにまつわる話を書いていきたいと思います。


絵本を描き始めたきっかけ 

今でこそ絵本づくりなんてしてますが、絵本や夢の世界とは無縁な子どもでした。

一瞬たりともサンタクロースの存在を信じたことがなかったのです。

だから困ってしまいます。

無邪気な目で
「何歳までサンタさんを信じていましたか?」
と尋ねられると。

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まさかサンタを信じたことがない子どもがいるなんて、質問主は想像もしないのでしょう。

親に悪意があったわけではありません。

悲しいほど現実的だっただけです。

「こうして靴下を下げておけば、サンタさんがプレゼントをくれるのよ」
などというお約束の行事は皆無だったけど、クリスマスに名鉄百貨店にプレゼントを買いに行くのは年に一度の楽しみでした。

我が家にはサンタは来ないけど、クリスマスには親がプレゼントを買ってくれました。ごく普通に幸せな家庭だったと思います。

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普段から好きなものを何でも買ってもらえはしなかったけれど、両親は二人とも、本はよく買ってくれました。けれど、記憶の中で自分が絵本を読んでいた場面がどうしても思い出せないのです。

昭和40年代半ば、絵本が子どもの情緒教育に重要であるとは今ほど言われていなかったでしょう。

絵を描くのが好きで、今は絵描きを生業にしている割には、私は絵本より活字を好む子だったことも確か。

小学校1~2年生の時には、図書館から借りた高学年向けの本を読みこなして得意になっているような、嫌な子どもだったのです。活字がぎっしりと二段組になってるような本、もう今では逆に読まないような。。。

そんな私がなぜ今絵本を作っているかと言えば、単純に「絵が絵本向きだ」と褒められた(?)から。本当に我ながら単純です。

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そして飛び込んだ絵本の世界で出会った仲間たちが好きすぎて、その中でいる心地よさだけであっという間に14年。


Hiyoko-Laboについて


Hiyoko-Laboは、私・陽菜ひよ子と写真家の夫・宮田雄平とのユニットです。

宮田とは昨年共著を出版しています。

この本では私は文章の大部分とイラスト・漫画を担当し、宮田は写真と「街撮りコラム」の執筆を担当。普段は二人とも文章も書きます。

Hiyoko-Laboでは、宮田が基本、原案・作(文章)を担当。私はイラストを担当。というのも、絵本心の乏しい私より、宮田の方が絵本のココロを持っているから。

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10年前、東京で絵本制作の活動をしていた頃は、私ひとりで作(文章)も絵も担当し、ワークショップに通っていました。

当時の宮田は会社員の傍ら、休みの日に私の絵本制作に付き合い、あーでもないこーでもないと「オチ」を考えてくれて。そのオチが私が考えるより全然良くて、展示での評判もよく。それで二人体制に変更したのです。

自分で言うのなんですが、私は漫画のオチならいくらでも思い浮かぶのに、どうも絵本的なオチが頭ん中から欠落しています。宮田はいろいろアイデアを出してきてくれるので、この体制はうまく行きそうです。

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今後、彼の写真を盛り込んだり、いろいろ実験的な試みをしていきたい「絵本研究所」なので、Piyoko-Laboと名付けました。

タイトルの「ひよこがニワトリを経て永遠のひよこになるまで」は、私の最初の絵本の先生である鈴木出版のH編集長にはじめてお目にかかったときに言われた言葉から。

当時からひよこが好き過ぎて、ニワトリにならないひよこを描きたいという私に、先生は「たとえニワトリになっても、心にひよこを飼い続けていればいいんだよ」とおっしゃったのでした。

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