cotreeとケアの倫理学は接続しうるか?

1月末に、東大で開催されていた、書籍「フェミニズムの政治学」の研究会に参加してきたのだが、そこでケアの倫理を研究されている博士課程の方と知り合った。

その方のレジュメがとても良かったこと、私は前から「倫理学に詳しい人をサービス設計に巻き込みたい!」という野望があったこと、などの理由から、私は(なかば強引に)その方をcotreeのオフィスに招き、cotreeのサービスとケアの倫理学の接点について、その方とディスカッションをすることにした。この記事は、そのミーティングの翌日に控える中で書いている。

何を議論するべきか、自分の頭の整理をかねて、考えをまとめておくこととする。

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議題1. ケアの倫理学が描く理想像の「社会実装」として、cotreeのサービスを捉えた時、 理想的にはどうあるべきか? 足りないものはなにか?

・株式会社cotreeのビジョンは「やさしさでつながる社会」であり、cotree.jpというサービスの機能は、「カウンセラー(頼れる相手)とのマッチング」である

・このサービスを、ケアの倫理学の以下の主張のひとつの「社会実装」として捉えることが可能であるように思う

・ケアという関係性の中には「すべてのひとが含まれていなければならないし、誰かが具体的な関係性を取り結べない状態で放置されたままにあることを避けなければならない
・ケア関係は個人の人格・尊厳にも関わる承認がなされる関係性であるがゆえに、私的領域の自由に任せておくわけにはいかない

・カウンセリングという営みを、「カウンセラーとの具体的な関係性を提供することを通じて、クライアントの(積極的)自由を実現しようとする行為」として捉えることは、それほど間違っていない気がする


議題2. 「市場でやり取りされるサービスのひとつ」としてケアを扱うことは、ケアの倫理学においてどのように議論されているか? (批判と可能性のどちらも聞きたい)

・cotreeはカウンセラーとの具体的にな関係性を提供するサービスであるが、これを「市場」の中で担うことは、色々な倫理的壁がある
 ・臨床家の中でも、カウンセリングに過度に市場の論理が入ることを警戒する人は多い
・一方で、旧態依然としたカウンセリング業界の悪弊やわかりにくさを改善するために、クライアントを市場サービスの「消費者」として捉えることはとても有効だと考えている -> (私が過去に書いた記事)
 ・患者を「医療サービスの消費者」として捉えることで、医療者と患者の関係性を改善しようとする試みは歴史上多数行われてきて、実際に成果を挙げている
・「市場の中でケア的関係を担う」ことは、ケアの倫理学の理想を実現することにおいて、どのような可能性があるだろうか? 逆に、考えられる批判はなんだろうか?

議題3. カウンセリングはどこまで「ケア」として捉えられるか?  ケアの倫理学の観点から、既存のカウンセリングはどのように批判できるか?

※この論点は前回の記事でだいたい書いた
・書籍「居るのはつらいよ」で、「ケア」と「セラピー」が反対の概念として用いられているように、カウンセリングは、ケアと大きく食い違う部分もある
・とはいえ、cotreeのサービス内では、「セラピー」だけでなく、「ケア」も提供されている
・既存のカウンセリングは「ケア」を軽視してきた、という指摘がある。ならば、「ケア」的ニーズを重視したカウンセリングサービスが構想しうるし、作るべきなのではないか?
・とはいえ、カウンセリングが「セラピー」を志向するのにはそれなりの理由があり、そのバランスをちゃんと考えないといけない
・「ケアの倫理学」の議論を把握することで、「ケア」と「セラピー」のバランスを考える一助としたい

議題4. それぞれに倫理観や理想とするゴールが異なる各対人支援技法を、どのような倫理的前提に基づいてマッチングすべきか?

※この論点も前回の記事でだいたい書いた
・前回書いたとおり、cotreeのサービスを「倫理観を選択する」という体験を提供しているサービスとして捉えることができる。
・既存の倫理学の議論を援用することで、このことについてどう考えればいいか、考え方が分かるかもしれない
・例えば、コミュニタリズムの議論において「どの共同体に住むかをどう選ぶか?(また、どう選べないのか?)」という観点が倫理学の分野でどのように議論されてるのかが分かると、なんらかの示唆を得られるんじゃないだろうか

なぜこのような議論が必要なのか?

・Webサイトを作成することは、しばしば国作りに例えられる
・cotreeのWebサービスを改善していく上で、私達がWeb上にどんなコミュニティを作ろうとしているのかをメンバー間で共有できるようなわかりやすいコンセプトを持っておくことは重要
・『この国では何を善(good)と考え、何を悪とするのか』を形式知化できると、Webサイト作成は極めてやりやすくなる
・実際、cotree社内では普段からマジで毎日のように「何が良いサービスなのか」というような議論を行っているが、カウンセリングという分野だと倫理的な判断に迷う瞬間が数多くあり、そのたびに意思決定に悩むことがある。
・既存の倫理学の議論を援用することで、より議論がやりやすくなったり、今までの意見が整理されたり、新しい観点が出て、より思考の幅が広がったりするのではないか。

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