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なぜ日本は植民地化されなかったのか

まず西洋による植民地化(colonization)の歴史をざっくり説明します。

15世紀に、西洋諸国の外洋航海能力が高まったことにより、どんどん航海をしてお金を儲けようとする大航海時代が始まりました。

初期の植民は、軍事技術的に遅れていたアメリカ大陸への大規模な侵略と、アジア・アフリカへの交易拠点の設立が行われました。

アジア・アフリカでは現地人が武力を持っていたので、アメリカ大陸のように自由に侵略・植民することはできず、港湾に小規模な貿易拠点を作るにとどまりました。その貿易拠点は、現地の領主からの許可を得て設立されたり、島などを勝手に分捕ったりして作られました。

ポルトガルによる、1510年のゴア占領、1511年のマラッカ占領、16世紀にマカオ駐屯など、アジアでは基本的には港湾都市のみを占拠していました。

その時代の西洋諸国は、アジア各国を軍事力で滅ぼすような力を持っていませんでした。日本が植民地になることも、まずありえませんでした。


1800年の西洋諸国の地図
Jluisrs - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3639316による

その後、18世紀半ば~19世紀に産業革命により軍事力・科学力・工業力を飛躍的に向上させた西洋諸国は、世界中の現地人を攻撃し、大規模な植民地化に乗り出します。

そのときに日本が植民地化されなかったのはなぜか、と問われることがあります。

その最大の理由はナショナリズムです。

国学などのナショナリズムが勃興した日本では、日本という国民国家としてまとまろうという考えが生まれ、インドのように諸藩が外国と手を組んでお互いに戦おうという発想がありませんでした。

インドは優れた軍事技術を持つ地域でしたが、諸藩が西洋列強と手を組んでお互いに争ったため分割して征服されてしまいました。(divide and conquer)

日本では、国が素早く一つにまとまることができ、その結果として、植民地化を免れることができました。それを支えた技術としては、手紙が日本中に届くような仕組みや、木版印刷の普及、高い識字率などがあったかと思われます。

日本には毎年オランダからニュースや新刊本が届き、それを日本語で印刷したものが日本中に出回っていました。そのため、知識人はほとんどの人が外国に関する知識を持っていました。

知識人などの指導者層に一定のナショナリズムと外国の知識があったことが、議会制の国民国家へのスムースな移行を助けたものと考えられます。

また地理的に言うと、日本や中国は温帯にあり、温暖な気候と肥沃な大地のおかげで、莫大な人口を擁し、高い文明や文化を持っていました。このような国に力づくで攻め込み、奴隷化するというのは、いかに横暴な西洋列強といえども、大義名分もなしに許される行為ではありませんでした。

熱帯にあり、人口もわりとまばらで、文明もそれほど発展していなかった地域とは異なります。こうした地域のことを、西洋列強は「無主地」とみなして、ぶんどってもいいことになっていました。

それに対して、ペリーによる日本開国では、国と国との交渉という形をとり、正式な条約が結ばれました。いちおうは国家として認められていたというわけです。

トルコ、中国、日本などは、西洋でもキリスト教でもないが、いちおうの文明国として扱われました。中国は近代化に後れを取りましたが、トルコや日本は西洋の技術を素早く取り入れて、近代国となることに成功します。

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