新幹線からの景色

忘れたくないこと

 先日、祖父のお兄さんが亡くなったそうだ。

 祖父も既にこの世になく、祖母と母の弟である叔父が葬儀に参列したと聞いた。
 私も多分会ったことは……あるのだと思う。祖父の葬儀で。
 しかし、祖父の弟――祖父によく似た声で心安く話しかけてくれた――はよく憶えているが、祖父の兄という人についてはあまり記憶になかった。

 自分の直接的な記憶としてはほとんど残っていないその人のことを、祖母から何度か聞いたことがある。

「この竹細工がなかったら、あんたも、
  あんたのお母さんもこの世にはいなかったんよ」


 竹細工でできた写真立てを見せ、笑いながら祖母は言った。

 それを作ったのは祖父の兄だったそうだ。
 祖母の父、つまり私の高祖父がその竹細工を見初め、これほどよいものを作れる人なら、真面目だろう、よい人だろうと思ったんだとか。その作った人物の真面目さ、人の良さを買って「この人の弟なら」と祖母に見合いをすすめたのだという。
 現代だったらなかなかあり得ないと思うほどに、本人たちには関係のないところから始まっている縁談だった。

 最初聞いたときは「この人なら」じゃなくて「この人の弟なら」なのかい!とツッコミいれたくなったのだけど、きっと既婚者だったか年の差が大きかったのでしょうね……多分。 

 祖父と祖母の恋の——いや、縁談の——キューピットとなったのが、竹細工、ひいては祖父の兄だったわけだ。

 私の祖父母はもう既に母方の祖母しかいない。現世に残っていない。
 この話を聞かなかったら、きっと私は、祖父母の馴れ初めも知らず、祖父に兄がいたこともほとんど認識しないままでいたのだろう。
 まだ考えたくはないが、祖母もいつか亡くなるときが来るのだろう。
 でも、その前に、知ることができてよかった。

 きっと、知らなくても、何も変わらない。
 知らなくても私は生きている。問題なく生きていけるだろう。

 でも、祖父の兄が、その作品が縁を結んだこと、自分のルーツともいえるかもしれないある一つの出会いを、私が忘れずにいることが、きっと、顔も知らない覚えていない祖父の兄が生きた証になるのではないか。

 失わずにすんでよかったと無性にほっとしたような気持ちになったのだ。


この記事は、2018年の12月の下書きを発掘したものです。
記事内で「先日」と言っているのは約1年ほど前のお話。#熟成下書き

 

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