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試験に出る岐阜県|岐阜2012

「ケータイ国盗り合戦」という位置情報ゲームの旅。10年かけて全国600に分かれた位置情報を取得するため、東西南北を、電車・車・飛行機・フェリー・自転車・徒歩で巡りに巡った記録。

岐阜行軍

「白川郷行こうぜ!」という歴史好きな友人の誘いにホイホイ乗っかり、朝5時に、迎えにきた彼の車に同乗して、一路岐阜を目指す。

東京から岐阜を目指す場合は、東名高速で名古屋まで行き、そこから北上するのが普通だが、そこは三度の飯より地図・地形・歴史で腹を満たす彼、中央高速で松本、そこから日本アルプスを越えて岐阜入りをするという、欲張りコースだ。

車中では、なぜか友人による大阪の陣の陣図についての講義。中央道を走る車は、彼の中では大阪の陣で徳川家康への突撃を敢行した真田勢である。

そんなことをしているから、ジャンクションを間違えるというミスが発生し、Uターンすることに。戦国時代にジャンクションは無かったので仕方がない。

松本ICで降りた後、野麦街道で岐阜県へ。途中の道の駅とダムがあったので、休憩を兼ねて停車。

道の駅には風穴があって大変涼しい。真夏に8度という、酒の保管庫としても使われている、大変ありがたい存在だ。

白川郷 街並み

その後、延々続く峠を越えてようやく岐阜に入り、飛騨地方を抜けて、ようやく白川郷に到着。

白川郷は、世界遺産だけあって、かなりきちんとした観光地だ。街並みそのものが世界遺産なので、見て回るだけで面白い。また観光客向けのお土産屋なども少なく、あまりうるさすぎないのも良い。

公開されている住居「和田家」は、現役の住居であることに驚き。毎日自宅に観光客が来る、というのはどういう思いなのだろう。

一般公開されている住居内には農具や昔ながらの生活用品が展示されている。それらはさすがに展示用で現役のものではないだろうが、年季の入った建物の風味が、歴史を感じさせてくれて良い。

白川郷を出た時点で15時過ぎ。この日の宿は高山市だ。最寄り区間だけ高速を使うと、あの大変だった峠越えがウソのように、あっという間に高山に到着。

ホテルに荷物を置き、近くの高山城址を見学。そこで友人から、城における水の手(井戸などの水回り)の重要性を学ぶ。

夕食の時間になり、食事をしようとあたりをうろつくも、個人経営の店では、どうも「一見さんお断り」な感じで、二人の歴史好きを迎え入れてはくれなかった。ということで、安心・安全なチェーン店「村さ来」にて、歴史話に花を咲かせることに。

岐阜城 模擬

翌朝、朝市を見物した後、郡上を抜けて岐阜市へと向かう。岐阜市では、織田信長の居城でもあった岐阜城へ。完全な山城のため、山頂まではロープウェイで向かう。

天守は模擬のため、あくまで見た目だけ。城内には、戦国武将の肖像画が展示されているのだが、どうも地元の絵描きが描いたようなもので、正直クオリティが・・・。そして刀や鎧の展示もあるが、これらも地元の名士の方々が寄付されたであろうもので、特に由来とかは無く、雰囲気のみ。山の麓にあった、実際に発掘された茶碗とかの方が良かった。クーラー的にも。

下山は徒歩で1時間ほどかけて下山。岩山なので歩くのはとても疲れる。

犬山城 現存で国宝

岐阜を後にした僕らは、愛知県にある犬山城へ。県をまたぐといっても、岐阜と犬山はすぐ近く。

犬山城は、現存12天守の一つであり、かつ国宝指定されているという、なかなかに名誉ある城。歴史的には、幾度となくとったとられたの攻防を繰り返した城なのだが、その壮大な歴史の割に、こじんまりとした城だ。

大都市名古屋にも近いからか、城下町も綺麗に整備されているので、歩いていて楽しい。昔の呉服屋の展示があり、中に入ると、通りの見た目に反して中は広々。空間のうまい使い方だ。

中央道 渋滞

この時点で17時すぎ。東京まで帰らなければいけないので、予定していた有楽苑は泣く泣くカット。犬山のもう一つの国宝はまたの機会に。

帰路は素直に中央道を駆ける。が、友人の提案で高遠の城を見ようということに。伊那まで高速に乗り、そこから下道を走るが、辺りはすでに真っ暗。

街灯くらいあるだろうと思って高遠城址まで向かうも、真っ暗闇の中で霧が出始め、何やら不穏な空気。なんとか駐車場まで登るも、まさか明かりひとつないということが分かり、即時撤退。城に呼ばれたような気がして恐ろしい。

高遠から茅野に向かい、高速に乗ることに。と、途中の山道でシカが横切る。山道とはいえ、一般道にシカが出てくるのは驚く。動物飛び出し注意は本当だったのだ。

茅野の街の明かりに、ホッとしていたら、予想外に話が弾んでしまい、高速に乗るはずが、そのまま甲府まで下道できてしまった。甲府で食事をとろうとするも、時刻はすでに22時前。ほうとう屋に入ろうとするもすでに閉店。結局ここで高速に乗り、談合坂SAに全てをかける。

が、談合坂SAに向かう手前、大月あたりから大渋滞。なんとか談合坂SAに着いたのが0時。遅すぎる夕食だったが、ここで食べたカレーが大変おいしかった。渋滞中のSAは死屍累々で、そこかしこに「ここをキャンプ地とする!」のみなさんがいらっしゃった。

小仏トンネルを抜けて渋滞が解消され、東京の明るすぎる明かりを見て、あらためてホッとする。東京の明かりは本当に落ち着く。

シカとか出てこないし。

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