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幕末から明治メイン|長崎2018

「ケータイ国盗り合戦」という位置情報ゲームの旅。10年かけて全国600に分かれた位置情報を取得するため、東西南北を、電車・車・飛行機・フェリー・自転車・徒歩で巡りに巡った記録。

長崎県は、位置情報目当てで考えると、なかなかに行きにくい場所だ。離島があったり、電車が通っていないエリアがあったり、 空港が辺鄙な場所にあったりするためだ。そのため、一回の旅で長崎県全てを回りきるのは難しい。

って、思うじゃん。

そこは、位置情報のためなら寝食をおろそかにする僕である。長崎目当てなのに、福岡空港に降り立ち、そこからレンタカーで松浦、佐世保エリアを通りながら、西海経由で長崎市入りするという「なんと手間のかかることを」なルートを編み出した。さて、これで準備は万端、出発の日。

飛行機欠航。

ただ今更ルート変更はできない。慌てて、2~3時間後の便を取り直す。便が遅れるくらいのトラブルは、寝食をおろそかにすれば問題ないのだ。

手間のかかるルート

福岡空港に到着したのは、予定の約3時間後ですでに夕刻。宿は長崎市に取っていたので、とにかく位置情報を取りながら長崎市までは辿り着かなければならない。佐世保バーガーなぞ食べている時間は無いのだ。

というわけで、レンタカーで長崎北部の松浦・平戸エリアへ向かい、その後折り返して佐世保へ。最短ルートを選択し、山道を越える。途中、明らかに近道だろうルートがあったのだが、なぜかカーナビがその道を選択してくれない。ままよ、と思いその道に向かうと、

その山道が陥没しているとは。

さすがに予想はできなかった。昨今のカーナビは優秀だ。

結果、近道どころか遠回りになりながら、長崎県の西側の西海を抜けるころには、あたりはすでに夜。結局この日は何も見ず、食べずじまい。位置情報のためだ、仕方ない。

どうにか長崎市に到着し、無事に宿に到着。

出島 人工島

翌朝、長崎市内の観光のため、まずは出島へ。歴史の教科書には必ず登場する、江戸幕府の外交政策のシンボル的存在である。ちなみに日本初の人工島でもあるらしい。当時、海に面した、文字通りの「出島」だったわけだが、現在では周囲が埋め立てられた結果、入口部分の川と橋が残る。

出島の橋を渡ると、敷地内に建物が復元されており、商館や蔵、商館長の屋敷などがある。

オランダからやってきた商館の長の部屋は、畳敷きにテーブルと椅子が並べられ、違和感がすごいが、当時もそうだったんだろうか。

そこまで広い敷地では無いので、1時間くらいで出島を一周。昔はこの小さな人工島が外国との唯一の窓口だったということが、不思議な感じだ。

軍艦島 工事中

出島を後にして、向かった先は軍艦島へ向かうフェリー。日本で最も有名な廃墟に渡る船である。のだが。

「護岸工事中のため、上陸はできません。」

ば、ばかな。。。

沖合から一周するだけなら可能らしいが。。。ここまできてそれはもったいなさすぎるので、次に訪れたときのお楽しみにしておく。

その代わりというか、近くに「軍艦島デジタルミュージアム」という施設があり、そちらを見学。規模は大きくないものの、割と力の入った施設で、軍艦島の資料や写真などの展示があるほか、在りし日の軍艦島をデジタルで表現したものもあり、なかなか面白い。

歴史のほんの少ない時間に、こんな小さな島に大勢に人々が暮らしていたというのが、文化的に面白い。

ただできれば、本物を観た後にきたかった。。。

オランダ坂 ナイスガッカリ

軍艦島ミュージアムの先には、長崎市内で有名な観光スポットである、グラバー園とオランダ坂がある。幕末に開港された長崎で、武器商人として活動していたグラバーさんの邸宅がグラバー園。そのグラバー園の付近にあり、同じく幕末に外国人居留地があった場所がオランダ坂である。

このオランダ坂、付近に外国人の家があったことで、その外国人のことを付近の住民が「オランダさん」と呼んでいたことにちなむ。(当時は外国人=オランダ人という認識)

由来と歴史的背景は面白いのだが、肝心の坂が、

これである。

何の変哲もない、住宅街の石畳の坂道。これがオランダ坂だ。日本三大ガッカリ観光地の中でも最強と言われるのも伊達ではない。ナイスガッカリ。

一応、付近に外国人居留地跡が残っていたりするので、観るものが全く無いわけではないが、いかんせんただの坂なので、他に感想の持ちようがない。(僕の中では、最強ガッカリはこのオランダ坂かはりまや橋だと思っている。)

なお、グラバー園の方は、美しい洋風庭園だったが、その分ツッコミどころもない。

福江島 隠れキリシタン

位置情報取得を主目的としている以上、長崎で行っておかねばならない場所がある。それが五島列島だ。

五島列島で最も大きい福江島へは、長崎港からジェットフォイルで1時間半ほど。到着してしまえば、位置情報的には目的は達成なのだが、さすがにそれではもったいない。

というわけで、バスに乗って堂崎天主堂へ。堂崎天主堂は、キリスト教の教会が多い五島列島の中でも、最も古い教会だ。江戸時代のキリスト教禁教令が廃止され、最初に建てられた聖堂である。

福江島の突端にあり、レンガ造りの素朴な外観と海の見える教会で、厳かな雰囲気のある場所だ。また入口前には、復興した際の神父の銅像が見守っている。

内部は資料館になっており、江戸時代までのいわゆる隠れキリシタンの歴史と、その後の信仰復興が展示されている。長崎県といえば隠れキリシタンの歴史が有名であり、そこからの復興を体感した気分。

天主堂を後にして、福江港付近に戻る。帰りのフェリーまで時間があったため、近くの福江城(石田城)を見学。幕末に海防のために建てられた城で、堀や砲台跡が残るなど、マイナーながら遺構が多く残っている。

そしてこの福江城、本丸跡には五島高校が建てられており、地方にありがちな、堀に囲まれた大変防御力の高い高校となっている。

やがてフェリーに乗って長崎市内へと戻り、一泊。翌朝、長崎空港から帰路につく。

ちなみにこの長崎空港、長崎市内からはやや遠い。大村湾に浮かぶ場所にあり、電車では行けないので車のみ。細い道路が本土との唯一の道となっており、まるで出島の橋のようだ。

長崎、ここにきて出島がお好き。

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