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日帰りの限界|天竜2014

「ケータイ国盗り合戦」という位置情報ゲームの旅。10年かけて全国600に分かれた位置情報を取得するため、東西南北を、電車・車・飛行機・フェリー・自転車・徒歩で巡りに巡った記録。

朝5時に友人らと集合し、一路、東名高速を西へ。

本日は、東京から天竜を抜けて岐阜県に入り諏訪を観て帰ってくるという、「普通なら一泊する距離」を日帰りで帰ってくるという、なかなかハードなスケジュールなのだ。むしろなぜ日帰りにした。

佐久間ダム ダムカード

浜松近くで高速道路を降りた後、天竜川沿いを北上。その天竜川でみるべき僕らの目的は「ダム」

佐久間ダムという、日本第9位の高さと第8位の総貯水容量の巨大ダムの一つだ。男子たるもの、ダムのような巨大建築物は大好物なのだ。

快晴もあり、山間を切り開いて作られただろうダムの高低差と、水量の多さは圧巻。壮大さが美しい。

佐久間ダムには、佐久間電力館という、資料館のようなものが一般公開されており、ダムの仕組みや水力発電を紹介されている。それほど大きくない施設ではあるが、なかなか綺麗に手入れされた場所だった。

受付兼事務のおじさん一人で切り盛りしているようで、このおじさんがやけに気さく。そしておじさんから記念にダムカードを二枚いただいた。ダムカード、集めたくなる謎のコレクションアイテム。

長篠 ボロン

佐久間ダムから山を抜け、長篠の戦い古戦場へ。かの織田信長が、当時最強と謳われた武田の騎馬隊を破った合戦として有名であり、歴史の教科書でも必ず登場する長篠の戦い。

ただそこは古戦場。特に遺構らしきものがあるわけではない。一応、長篠城本丸跡とされる場所が残るものの、傍目には、ただの広場である。戦いの場所は平地が選ばれやすく、逆に言えば何も無い場所だから戦いやすいのだ。古戦場とはそういうものなのだ、たぶん。

ちなみに長篠城址史跡記念館なるものがあったが、見た目からしてちょっとしょっぱそうなので、華麗にスルーを決め込む。しかしながらその看板はいい味を出していた。

鳥居強右衛門、見せ場なのは分かるけど、何もこんな看板を出さなくても。。。ボロン。

岩村城 素敵な廃墟

ケータイ国盗り合戦的に、なかなかとりずらい位置情報である、天竜と長篠・設楽を取り、岐阜県入り。

岩村城なる城址を見学。メジャーな城ではないため、全く期待していなかったが、なかなかどうして、立派な遺構が残っていた。

山城の中でも標高の高い場所にあるようで、天候によっては霧が発生するため、別名霧ヶ城というらしい。雲海で有名な竹田城と似たようなものだが、標高的にはこちらの方が高い。

石垣が綺麗に残るほか、曲輪、井戸の跡などが保存状態もよく残っている。石垣と石段が緑に覆われた姿は、「夏草や兵どもが夢の跡」的な、素敵な廃墟感がある。規模の小さいマチュピチュ。

広範囲に遺構が残っているようで、僕らは本丸跡のみ見学をして終了。山城の見学はなかなかハードなのだ。

諏訪 全部まわる

中央道を長野県側に走り、諏訪大社へ。本来、ここをメインの目的地としていたはずだが、到着したのは日も暮れかかった夕方。

諏訪大社は、日本最古の神社の一つで、格式もかなり高い。そして諏訪湖の周囲に4宮あるため、この夕方からその4つを全てまわろうというのだ。無茶だ。

友人が朱印帳を買って朱印をもらっていたが、僕は強い意志をもって買わない。朱印帳のようなコレクションアイテムがあると、集めたくなってしまうのだ。そんなことをしたら、旅行先が神社だらけになってしまう。

春社・秋社・本宮・前宮の順に参拝。本来の参拝順序があるのかもしれないが、全部まわると決めた以上、効率を優先せねばならない。ちなみに、秋社が駅から歩いていける範囲にあるため、一番周囲がにぎわっていた。

本宮・前宮に行く頃は、社務所も閉まる時刻となり、ぎりぎりで4宮をまわることができた。もうここらで一泊したい気持ち。

日が落ちたところで、帰路につく。ビーナスラインなる、風光明媚な蓼科の高原地帯を抜けるところに立ち寄る案もあったが、さすがに日が暮れた後では、いかな風光明媚でも見えなきゃどうしようもない。

ビーナスラインは諦め、中央道で帰路に着く。渋滞につかまることもなく、東京には0時前には到着することができた。

結論:岐阜には日帰りで行ける。忙しいけど。

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