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痛みの連帯

痛みは連帯する
悲しみも連帯する

2020年は私にとって、痛みの年

二回の手術で膝は、低気圧の度に傷が疼く
傷だけでなくて、心も痛いことが多かった
自分の弱さと嫌でも向き合わなければいけなくて、
その弱さはどんなに顔を背けても覗き込んでくるようなしぶといヤツ

地に足がつかない

前に進みたいのに、進めない感じ
宙ぶらりんで不安定のままいるのってかなり辛い

身体的にも、まだ両松葉。文字通り足元がおぼつかない。
足元だけならまだしも、担任に進学を猛反対され(この時期に笑)自分の行く道がいかに不安定なものであるかを思い知った。安心感を求めて、国家資格が取れる専門学校の資料請求までした。すると、父は猛反対。八方塞がり。

父は、私が安定した道に行こうとすると反対する性質がある笑
教育学部に入りたいと言った時には、そんな学問には金は払わんと言われた
もちろん、経済とか心理学とか、いわゆる普通の学部は拒否
巡り巡って、神学部にたどり着き、「ここにする。受かんなかったら、起業する」と決めた時には、一か八かで不安定すぎるにも関わらず、GOサインを出してくれた。そして、神学部と高校生の起業体験プログラムに併願した。異例すぎる併願。滑り止めになってないツルツルの滑り止め。

今回も、将来の安定のために国家資格はもっといた方がいいのではと本気で悩む娘に、父は「お前、占い師やれよ。銀座の母とか新宿の母とか。みんなの母になれ。」と、真顔で言ってきた。父親は、娘に安定の道、安定した幸せを願うものじゃないのか?笑 みんなの母になるのは楽しそうだけど

地に足がつけるって本当に大事だし、足元がしっかりしてればなんだってできる気がする。でも、安定の道なんてないことも薄々気付いてる。コロナで痛いほどわかった。

ここにいれば安心。ここに所属してれば安心。この学校に行けば安心。ここに就職すれば… 安心するけど、それも実は地に足つけてるわけじゃなくて、足湯に足を揃えて浸けているだけなのかもしれない。だから、安定じゃなくて安心。

宙ぶらりんでいられる力。ナガティブケイパビリティも必要だなって思う。
不安定さに身を任せる力。考えても答えが出ないことに耐えられる力。地に足つかない恐怖に負けない力。誰か、私にください笑

この話がしたいわけじゃなかった笑


痛みの連帯

本題はこっち

最近、痛みはゆる〜くつながっていくと思い始めた。
私がnoteに自分の痛みを書き始めてから、いろんな人が自分の痛みを伝えてくれるようになった。伝えてくれてありがとう。全部のメッセージを大切にしています。

痛い!と叫ぶことは、自分が弱いことを公言するようなもの
「自分は弱い人間です!」って
自分で認めるにも時間がかかるし、周りに受け入れてもらうのにも時間がかかる。
いやぁ、苦しい作業だ。

私が、障害を持っている姉のきょうだい児って堂々と言えるようになってきたのは大学に入ってから。それまではひた隠しにしてきたし、姉の存在を知っている高校の友達はほとんどいない。きょうだいであることには間違いないんだけど、受け入れているはずなんだけど、受け入れ切れていない自分がいたし、周りに受け入れてもらえないだろうと思っていた自分がいて、とーーーーーっても長い時間がかかった。

でも、それを認めることが、思いがけず誰かの痛みに触れ、癒すことがある。
それって、痛みの連帯・弱さの連帯なんじゃないかって思う

ふとした時に読んだ本の一文が身に染み渡る感覚。慰められ、励まされる感じ。
音楽が全身に響き渡り、いつの間にか涙がこぼれているような感覚。

持論すぎるけど、広く愛されている本とか音楽とかを生み出す人ってその人自身が弱かったり、痛みを持っていたりすると思うの。

例えば、金子みすゞ。
彼女の詩は優しい詩が多く、みんなに愛されている。その裏で彼女自身の人生は悲しい別れや辛い出来事が多く、26歳で服毒自殺。

ベートベンだって家庭環境最悪、難聴、全盲、自殺未遂、絶望の中での死。

思い返してみてほしい。
文学史を習った時、文豪と呼ばれる人たちの人生はかなり波乱で、痛みを抱えていた人が多かった気がする。自殺する人もいた。芥川龍之介もそう。夏目漱石も病気が重かった。三浦綾子も。

文豪だけじゃなくて、宇多田ヒカルの歌が身に染みるのもRADの野田洋次郎の歌詞が多くの人にささっているのは、彼ら自身も痛みを感じてきたからではないかと

この人たちの痛みが、私たちの持っている痛みや弱さにそっと寄り添ってくれる気がするから、愛され続けているのではないかという持論でした。

だからね、
痛みが痛みを、弱さが弱さを包み込むのではないかと思うの

痛いの痛いの飛んでけ〜って思うけど、全然飛んでいってくれないし、飛んでかないから不安だし、それこそ宙ぶらりんな気もするから、強くなりたいとも思う

でも、一番強いのは、安定することでも、地に足をつけて踏ん張ることでもなくて

不安定なままでいられること。宙ぶらりんでいられること。痛みと一緒にいられること。弱いことを受け入れられること。

なのではないか、と言えば自己肯定できる気がする笑

先が見えない2020だから、宙ぶらりんでいられる力が試されてるなぁと思う

では、最後に考えすぎちゃうあなたに
ここ一年、一番お世話になっているお祈りを


神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

                         —— R .ニーバー


あなたと私の心に平安が訪れますように


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