運用会社の情報開示は社会的責任である

金融機関が顧客に対して果たすべき責任「フィデューシャリー・デューティー」。日本語にすると「顧客本位の業務運営」と訳されることが多いだろうか。

運用会社にとっての「フィデューシャリー・デューティー」の具体的な行動の1つとして、rennyさんが先日書かれていたように、アクティブ投信であれば信託報酬に見合った情報開示をすることがある。

個人投資家の目線で考えると、運用会社との間にある投資信託に対する「顧客本位」を要求するのだから、これが正解だと考えていた。でも別の捉え方があることを先日教わった。

債券や融資と違い、株式では経営・財務状態が詳細に調査されるデューデリジェンスが実施されるのは上場時だけ。ゆえに機関投資家が果たすべきフィデューシャリー・デューティーは、株式のデューデリジェンスを行い、それを世に示すことではないかと。そしてこの一例が投資信託の情報開示なのだと。

「顧客本位」の「顧客」を取引関係のある人に限定するのではなく「社会全体」にまで広げると、こうした考え方にたどり着くわけだ。

日本では2014年に金融庁が「責任ある機関投資家の諸原則(日本版スチュワードシップ・コード)」を策定して以来、運用会社は上場企業に対して様々な情報開示を求めるようになった。

しかしどのような対話がなされ、運用会社自身はどう評価したのか、といった情報が開示されることはめったにない。それでは上場企業に時間を浪費させるだけで、まったく意味がない。上記のような「フィデューシャリー・デューティー」の捉え方がセットになってはじめて、運用会社と上場企業の対話が社会的に意義のあるものになるのだ。

さらに話を広げれば、投資信託の情報開示を監査することが、個人投資家の社会的責任と言えるのかもしれない。


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