190回 ノックの音が


小学校の真ん前に小さな文房具屋があった。
必要なものがすぐ揃えられてありがたかったが、そうでなくとも文房具というものはいつまで眺めていても見飽きることがないものだ。なので学校帰りに立ち寄ってはノートや便箋、鉛筆や消しゴムを選ぶのが楽しみだった。
小学生のお小遣いなど微々たるものなので、そうなんでも買えるわけがない。ためつすがめつしながら予算と照らし合わせて買った文房具は、勿体なくて使えずに大切にしまったままだったものも多い。半世紀近く経った今でも手元に残っているものもあり、いくらなんでも物持ちが良すぎるだろうと自分でも呆れている。

当時は丁度シャープペンシルが一般的に出回ってきた頃であった。
シャープペンやシャーペンとも呼ばれるこの繰出式鉛筆は、鉛筆を鉛筆削りでガリガリ削っていた小学生にとっては、とても格好良い最先端の道具としてうつった。
子供の場合鉛筆はBや2Bを使用することが多かったが、私の場合それではすぐ減って丸くなってしまい、ひっきりなしに削っていなければもたない。そのたため私はかなり早くからHBを愛用していた。
シャープペンは削らなくても良いので、それだけでも大変便利に思えた。筆圧の強い私は芯をすぐに折ってしまうのだが、替え芯を常備して懲りずにシャープペンで書いていたように記憶している。

ところでシャープペンシルという名前の由来はご存知だろうか。
確認されているうちで最も古いシャープペンシルは、1791年に沈没した英国のフリゲート艦から見つかったそうだ。実際はもっと前に発明されていたと言われているが、まさかこれも古代エジプト起源ではないだろうな。
初期の繰出式鉛筆は、1822年に英国で特許が出願されたのが最初と言われているが、これはまだ一般的ではなく装飾を施した特殊なものであった。1937年に米国で「Eversharp」という名前で、世界で初めて実用的な繰出式鉛筆が発売された。シャープsharpというのは「尖った」という意味なので、いつまでも尖ったままという売り文句でつけられたのだろう。因みに米国では現在、日本で言うところのシャープペンシルは「mechanical pencil」(英国では「propelling pencil」)と呼ばれている。

1915年金属加工の職人だった早川徳次は、繰出式鉛筆の金具を受注したことをきっかけに、金属製繰出式鉛筆を発明した。当時の繰出鉛筆はセルロイド製であったので壊れやすかったのだが、早川式繰出鉛筆は丈夫な金属であったので壊れにくく、大好評となり輸出品としても人気となった。
「エバー・レディ・シャープ・ペンシル」と名付けたこの繰出式鉛筆は売れ行き好調であったのだが、関東大震災で工場を消失してしまう。製造元の早川兄弟商会は借金弁済のかたに筆記具事業を譲渡して解散、早川徳次はその後早川金属工業研究所を設立して家電事業に参入する。
そう、これがのちの「シャープ」である。業種が変わっても、創業の礎になった筆記具の名前を引き継いだのだ。

1960年に大日本文具(現在のぺんてる)が、0.9mm径のポリマー芯を開発した。
黒煙と粘土による鉛筆の芯に比べて、黒煙とプラスチックを混ぜたポリマー芯は、当時でも1.5倍の強度を誇った。1962年には、漢字という画数の多い文字を書くのに適した0.5mm径の芯が開発され、さらに芯が細くなったことで繰出式ではなくノック式が考案された。
このぺんてるによる0.5mm芯の後端ノック式シャープペンシルの基本構造は、現在に至るまで世界中で用いられている。

シャープペンの内部は、後端のノック、芯タンク、スプリング、チャック、チャックリング、戻り止め、そして一番先端のステンパイプという部品で構成されている。
この中でチャックは、芯を掴んでペン先側へと送り出す役割を担っており、シャープペンのキモとも言える重要な部品である。チャックの先端は3つに分かれており、ノックすると閉じていたチャックが開いて芯を送り出す。ここで大事なのは、2つでも4つでもなく3つに分かれているということである。理由のひとつは、シャープペンの芯のような円柱状のものを保持するためには、3つで支えるのがバランスが良いということ。もうひとつはチャックはとても小さい部品であるため、4つにするとひとつあたりの強度が下がり故障しやすくなるということ。そしてもうひとつは、2つにすると広げる際に硬くなるためその分強めのスプリングが必要となり、ノック感が重たくなるという理由である。
シャープペンという身近な道具にも、使いやすくするための技術が満遍なく詰め込まれているのである。

こういった技術開発によって低コスト化が可能になり、シャープペンシルはいまや日常的に当たり前に使用される筆記用具となった。
私が小学生の頃でも既に、シャープペンはそれ程高価なものではなかったと思う。1980年にゼブラが100円の製品を発売し大人気となり、現在では手軽なものから高価なものまで様々なシャープペンが並んでいる。マークシートを塗りつぶすのではない限り、学生でも鉛筆よりもシャープペンを使うという人は多いだろう。

仕事では字を書くときはキーボードを打つため、そもそも手書きの機会が殆どない。たまに手書きをするときでもボールペンが主である。
今ではシャープペンを使うことはなくなってしまったが、久しぶりにあのカチカチとノックする感触と繊細な書き味が懐かしくなった。


登場した単語:マークシート
→共通一次試験世代であったが、当時はマークシートを塗るのにシャープペンはご法度であった。「HBの鉛筆」指定が厳格だったため、試験前にわざわざ1ダースの鉛筆を購入してせっせと削ったものだ。
今回のBGM:「Chasing the Ghost」by Collide
→ゴス、インダストリアル、エレクトロという要素はメカニカルな構造につながり、揺蕩うようなボーカルはポリマー芯を思わせる、というのはこじつけ。


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