268回 パーマネントライフをさがして


もう20年以上パーマをかけていない。
20代後半、10代の頃から伸ばし始めた髪が膝に届く長さになったので、70cmバッサリと切った。それからはずっとショートで肩より下まで伸ばしたことはない。
ショートにしてからは、どうせ髪は伸びるものだからといろんな髪型にしてみた。
クレオパトラの髪型として良く描かれるような、細かくウェーブのかかったボブカットにしたこともある。全体に細く三つ編みをした上でパーマをかけるわけだが、三つ編みを編むのに数時間、それを解くのに数時間かかるため、美容院の開店から閉店まで8時間以上いたと思う。こちらも疲れたが、美容師さんはもっとヘトヘトになっただろう、申し訳ないことをした。
この時はボリュームが凄くなって、髪型のシルエットがまるでそろばん玉のようであった。大学生時代のことだったが、学内で「変な髪型の人」と呼ばれていたらしい。

若い頃は髪の毛が太くて硬い直毛だったが、歳をとるにつれクセが出てうねるようになってしまったので、一時期はストレートパーマをかけていた。それでも頑なにうねる髪を持て余し、段々ショートからベリーショートにすることも多くなっている。
最近はパーマといっても、昔のようにいかにもというのは見られなくなり、ゆるふわとでも言うのか、自然な軽さを持つ髪型が増えている。中には単にボサボサなんじゃないかと疑われるようなものもあるが、作り込んだナチュラルと何もやってないのとの違いは紙一重なので、その線引きは難しい。
私はこの30年くらい同じ美容師にお世話になっているのだが、彼は独立してから20年来、自分の店ではパーマはかけないという信条である。パーマは髪に負担をかけて傷めるからというもっともな理由であり、カット技術に自信があるからこそと言える。実際彼のカットは実に見事で、切った直後より段々伸びてきた時にその真価を発揮する。シルエットが崩れないどころか、伸びてますますまとまりが良く美しい形を保つのだ。
付き合いが長いから、こちらの髪の性質と私の好みや意向を熟知していることもあるだろうが、毎回曖昧なイメージを伝えるのみで、期待以上の髪型にしてくれるのには感謝している。

そもそもパーマと言うのは、パーマネントウェーブの略称である。
起源はお馴染み紀元前3千年頃の古代エジプト。湿った土を髪に塗り、細い木の棒に巻きつけてから強烈な太陽の下で乾かすことで、ウェーブを付けたと言われている。だがこの方法ではウェーブは短期間しか持続しない。手間がかかる割にすぐ取れてしまうため、一般大衆にまでは普及しなかったようだ。
古代ギリシャ・ローマ時代からずっと西洋では、カールした毛髪は魅力的とされてきた。髪を結うことが基本なので、最初からウェーブがかかっている方が結いやすいこともあるのかもしれない。また白色人種では、毛髪の性質として元からゆるくウェーブがかかっている場合も多い。
この点真っ直ぐな黒髪が多い黄色人種は、日本髪のように結うことはあっても、ウェーブをつけることには重きを置かなかったとみえる。黒色人種の場合、捻転毛と呼ばれる細かく縮れた毛髪が多いが、これは強い日差しの下で頭皮を守るために進化したと言われている。

根強い人気のウェーブだが、それを人工的に保持する方法は、長い間西洋の歴史に登場してこなかった。19世紀中頃は、石油ランプでカールアイロンを熱しそれを髪に巻きつけてウェーブを付けていたとされる。1872年のパリで、マルセル・グラトーがその方法を改良したマルセルウェーブというものを発表したが、カールアイロンを蝶番のようなもので押さえるだけなので一時的なものであることには変わりがない。
1905年にドイツ人のチャールズ・ネッスラーは、アルカリ薬品と電熱器を使ったウェーブ法をロンドンで発表、これが世界初のパーマネントウェーブと言われている。当初はなかなか受け入れられず、ネッスラーは1915年にアメリカに渡る。そして1920年にネッスルウェーブとして実用化し、そこから大流行するに至るのだ。

日本では大正デモクラシーの時代、女性の社会的な近代化とともに洋髪が流行り始める。
最初にパーマネントウェーブの機械が輸入されたのはこの時代だが、場所は神戸とも横浜とも言われていてはっきりしない。
パーマネントウェーブは職業婦人(今で言うところのキャリアウーマン)を中心として、昭和初期に爆発的に普及する。当時東京にあった850軒の美容院で1200台以上の機械があったが需要に追いつけなかったというのだから、いかに人気だったかがわかるだろう。
しかし戦争が始まるとともに、パーマは欧米の悪い習慣で贅沢品であるとされ、ついには禁止されてしまう。有名な「パーマネントはやめましょう」という標語がそれを物語っている。パーマネントというのは恒久的という意味なのだから、考えてみればおかしな標語である。
昭和15年には外来語廃止に伴って、パーマネントウェーブも「電髪」という言葉にされた。こちらもなんだか雷神のようで、髪の毛が逆立ちそうだ。

ネッスラー式パーマネントウェーブは、電気を用いる加熱方式であった。これは加熱するクリップを頭に装着してそこから長いコードが上部の機械に繋がっている仕組みであったため、長時間沢山の重いクリップを付けたままじっとしていなければならないことと、頭皮を火傷する危険があることが欠点だった。
これに対して化学的発熱を利用するケミカルヒーティング方式というものも開発されたが、こちらは殆ど普及しなかったそうだ。その後40~50℃の加温で行うウォームパーマという方法もできたらしいが、これもあまり流行らなかった。
そしてついに1940年代に、チオグリコール酸を主材とするコールドパーマネントウェーブが開発され、室温でパーマがかけられるようになったのだ。
日本では第二次世界大戦後にまたパーマが復活するが、昭和30年までは電髪が主流だった。当時高いお金をかけて施術するパーマは、一度かけたら長持ちするようにしっかりかかる方が人気だったのだ。「チリチリパーマ」という言葉があったほど、いかにもパーマをかけましたという髪型が主流であった。
昭和30年代半ばからは徐々にコールドパーマが主座を奪ってくる。加熱しないので髪をあまり傷めないというのと「ソフトで自然なウェーブ」が受け入れられるようになったためだ。
その後現在に至るまで、毛髪の研究と共にパーマネントウェーブの開発と改良が行われてきた。ストレートパーマが流行った時にやったことがあるが、あまり真っ直ぐにならなかった。今では真っ直ぐにしたいなら縮毛矯正だろう。この二つの違いも今回調べるまで良く理解していなかった。詳しく知りたい方はぜひ検索してみてください。

実は私には後頭部からうなじにかけて、つむじがいくつもあるようだ。自分では直接見えないので意識していなかったが、どうもそのため特に後ろ側の髪がうねる傾向がある。よく他人に「きれいにパーマかかってますね」と褒められるのだが、パーマはかけていない。かけていないのだ。かけなくてもかけたみたいでいいじゃないと言われても、いいんだか悪いんだかわからない。
まあゆるふわパーマみたいで、それはそれで形になって収まりがいいんだからいいのか。
今後もパーマをかける予定はないが、このわずかに残った頭頂部の体毛にかける人類の情熱には興味があるので、パーマネントウェーブの進化は見守っていきたいと思っている。


登場した単語:毛髪
→黄色人種は直毛が多く、断面は丸くて直径は平均0.08mm。白色人種は波状毛で断面は楕円形、直径は0.05mm。黒色人種は捻転毛で直径は白色人種とあまり変わらないが、断面はより細い楕円形。驚くのは本数で、黄色人種の10万本に対して、白色人種と黒色人種は14万本とかなり多い。我々の髪がボリュームがあるように見えるのは、本数が多いからではなく単に太いからそう見えるだけなのだ。
今回のBGM:「Permanent Vacation」by John Lurie
→ジム・ジャームッシュ監督がニューヨーク大学大学院映画学科の卒業制作で撮影した、実質的なデビュー作の映画。ジョン・ルーリーはサックス奏者として出演し、全編にわたり彼の即興演奏が流されている。


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