301回 理屈と膏薬はどこにでもくっつく


肩がこる、腰が痛い、手を捻った。
そんな時まず湿布をするという人は多いのではないか。家の中を探せば、湿布薬の1枚や2枚は見つかるだろう。最近は進化してるななどと言いながら、手の届かないところに貼るのに湿布薬同士がくっ付いてしまい苦労したという経験あるあるだ。
消炎鎮痛剤なら塗るタイプのものも沢山市販されているし、貼り薬はかぶれやすいから苦手という場合もあるだろう。
でもやはり湿布じゃないと満足できないという人もいると思う。私である。

幼少時、まあよく捻挫をする子供であった。手も足もだ。正確に書けば手関節と足関節。
そうするともう「湿布ができる!」と大喜び。変な子供である。痛いのは辛いが、湿布をして包帯を巻いてもらうとことのほかご満悦であった。
さてここで、なぜ湿布をするのに包帯が必要かと疑問に思われた方もいるだろう。昭和の半ばまでは湿布といえば、泥状の薬剤をその都度使う度にヘラで取り、ネルなどの厚手の布に塗って患部に貼って、包帯で固定するというものだったのだ。泥状の薬剤は、サリチル酸メチルとハッカ油などを配合したものだったので、熱感を持った患部にスースーする冷感がとても気持ちが良かった。
ただいちいち泥状の薬剤を塗るのはとても面倒くさい。また塗りすぎてはみ出したり、体温で溶けて流れてきたりと、なかなかに始末におえないところもある。
なんとかもっと簡単にならないかと思った人がいるのは当然だろう。

泥状の湿布薬は、1934年に米国で開発された吸着性の高いカオリンを主成分としたものが発祥だそうだ。これを元にした「白陶土巴布剤(カオリンパップ)」が、既に昭和初期の日本薬局方に記載されている。
日本では香川県にある帝國製薬が、1938年に泥状湿布薬の「ホルキス」を発売した。そしてもっと手軽に扱えて直ぐに患部に貼付できるようにできないかと開発を重ね、あらかじめ布に膏体を塗り一定のサイズに打ち抜いてある世界初の成形パップ「パナパップL」を1974年に誕生させたのだ。
その後、サリチル酸・L-メントール・dl-カンフルを配合した「冷湿布」やカプサイシンを配合した「温湿布」を次々と発売するが、ここまでの湿布薬は全て、皮膚に刺激を与えて血流を良くし痛みを和らげる第1世代と呼ばれるものである。サリチル酸やカンフルは一応消炎鎮痛剤ではあるが、今ひとつ薬効という点では心許なかった。

1987年にDDS(Drug Delivery System)の概念を用いた第2世代の湿布薬が登場する。NSAIDs(非ステロイド系消炎鎮痛剤)などの有効成分を、経口ではなく皮膚を通じて吸収されるという画期的な方式だ。内服ではなく経皮吸収の場合、有効成分の血中濃度の上昇は緩やかになる。また血中濃度は長時間持続するが、内服のように胃を荒らすといった消化器系に対する副作用を回避できるという利点もある。もし副作用が生じた場合でも、剥がしてしまえば体内から有効成分を速やかに消失させることができる。
これに伴い剤型も進化して、従来のパップ剤からプラスター剤(テープ剤)と呼ばれる薄くて伸縮性に富み剥がれにくいタイプの湿布薬が開発された。因みにパップ剤は水分を含み(パップ=泥)、プラスター剤は殆ど水分を含まない(プラスター=石膏)。
現在では、インドメタシンやロキソプロフェンなどの効果が証明された消炎鎮痛剤が配合されているプラスター剤が、ドラッグストアでもよりどりみどりで売られている。

そもそも人間はいつから湿布なるものをしていたのだろう。
紀元前1000年頃のバビロニアの記録には、現在の英語でパップ剤を意味する「poultice」という言葉が書かれているという。その当時の医療は呪術的な宗教儀式と一体だったが、すりつぶした植物にシナモンの汁や牛乳などを加えてペースト状にしたものを皮膚に塗ったというから、これはもう立派な泥状湿布である。
いろんな文献を見るとこのバビロニアのことばかり書いてあるが、私は知っている。お馴染み古代エジプトでも湿布をしていたことを。ヒエログリフで書かれた医学パピルスの中に、顎が外れた時はハチミツとバターと何か(忘れた)を混ぜて塗ると良い、とはっきり書かれていたのだ。紀元前1500年頃に書かれたというこの医学パピルスは、もっと古い紀元前3400年頃の文書を書き写したとされているので、古代エジプトではその頃から湿布をしていたかもしれない。
かのヒポクラテスも活躍していた紀元前400年頃の古代ギリシアでは、古代オリンピックが開催されるなどスポーツ競技が盛んだった。そのためスポーツにつきものの負傷に対して、水・酢・酒・油などを用いた湿布や塗り薬が使われたそうだ。

平安時代に書かれた現存する最古の医学書とされる『医心方』に、「生地黄という植物を細かくして患部に付け、その上を細く割った竹簡で覆ってきつく縛り、1昼夜に10回取り替えると、3日で傷が癒える」という記載がある。これが日本の湿布の原型と言えるだろう。
戦国時代になると、武将が戦で負った傷の治療に、7種類の生薬とゴマ油を混ぜたものを和紙に塗り傷にあてたそうだ。これは「金創膏」という貼り薬で、肩こりや腰痛にも効くとのこと。なんとこの「金創膏」、400年を経た今でも売られている。
江戸時代になると、生薬を調合して油や蝋を混ぜた練り物を貼る「膏薬」が、家庭薬として浸透した。これが「膏薬を貼る」という文化として根付き、日本人の貼り薬好きの原点となったと思われる。今ではこめかみに膏薬を貼っているお年寄りも滅多に見かけなくなったが、湿布薬は相変わらずみんな大好きだ。
あまりにも貼り薬が好きなので、医者にかかると「あ、湿布も出しておいてください」などと気軽に処方を頼み、その結果膨大な量の湿布薬が処方されて医療費を圧迫したため、2016年には湿布薬は1処方箋につき70枚まで、2022年には63枚までという処方制限が出たほどである。
湿布薬は無駄なく適切に使用しよう。

ところでこの湿布、欧米ではほぼ全くと言って良いほど使われていないことはご存知か。
まずあちらでは「肩がこる」という言い方がない。せいぜい「肩が痛い」である。肩こりも腰痛もないわけではないと思うのだが、塗り薬はあっても貼り薬はない。古代ギリシアまではあったのに、その後西洋では貼り薬は発達しなかったのだ。英語でパップ剤は「poultice」というと書いたが、英語圏の人にこれを言ってもまず通じないそうだ。
ではどうしているのかというと、アメリカなどではすぐに鎮痛剤を内服してしまうのだという。患部は冷却剤で冷やして、普通の鎮痛剤が効かないとなると麻薬性鎮痛薬も使用する。なんというか、それでは胃がもたないのではないかと心配してしまうのだが、刹那的というか即効性を期待する向きが多いのだろう。
ニーズがないわけではなく、現に世界最大のパップ剤メーカーである帝國製薬が1999年に発売した世界初の医療用リドカイン貼付剤は、その後世界60カ国で累計80億枚以上を売り上げている。

いまでも患者さんの中には「冷湿布ください」「温湿布ください」と言われる方が多い。しかしそういった第1世代の湿布薬は、薬効が確認できないとされ2015年からはもう保険適応ではなくなっているので、処方箋では出せない(市販薬では買える)のだ。
第2世代のスタイリッシュに薄いプラスター剤では湿布をした気がしないという気持ちはわかる。帝國製薬の製造量でも、パップ剤が75%、プラスター剤が25%というから、依然としてしっとりと冷たい「湿布薬」を好む人は多いのである。
相変わらずこの歳になっても良く捻挫をする。ピッタリと良く伸びてくっつくプラスター剤を貼ってサポーターをすると、泥状湿布薬と包帯がほんの少し懐かしくなる。
あの匂い、好きだったな。


登場した薬:湿布薬
→湿布薬は外用薬の中の貼付剤という分類になる。プラスター剤の構造は3層だ。一番下の「支持体」という部分は、昔ここに泥状湿布薬を塗っていた布にあたる。今は不織布、ニット、プラスティックフィルムなどが使われるそうだ。その上に塗布されているのが「膏体」で、NSAIDsなどの有効成分と高分子化合物などでできた基剤を混合したものになる。この高分子化合物が水溶性ならパップ剤、脂溶性ならプラスター剤になる。一番上は膏体を保護する「ライナー」、ポリプロピレンやセロファンでできている。簡単そうだが、様々な技術の結晶なのである。
今回のBGM:「描いて」by ササノマリイ
→私の心の湿布薬、ササノマリイ。スタジオぴえろ45周年記念MVに書き下ろされたこの曲は、痛みがほぐされていくような解放感がある。

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