第20回 金木犀が香る頃
好きな漫画を一冊だけ挙げよと言われたら、あなたは何を選ぶだろうか。
いや、好きなというのは違うかもしれない。一番大事なと言ったほうがいいだろうか。
私なら迷うことなく『星の時計のLiddell』を挙げるだろう。
稀有な才能を持ちながら若くして筆を折ってしまった内田善美の最高傑作。
1974年女子美大在学中に「りぼん」でデビューしてから10数年の間に世に問うたのは、漫画と画集合わせても11作という寡作なこの作家は、驚異的な画力と文学性をもって今尚私たちを魅了する。当時ある人に女子美の卒業制作だという彼女の作品を見せてもらったことがあるのだが、「アラビアンナイト」をテーマにしたその連作の精緻さにうっとりと魅了された。
彼女のようにほとんどデフォルメされていない人物造形で少女漫画を描いた作家は、その頃より現在に至るまであまりいないのではないだろうか。おそらくそれは一般的な読者からすればあまり魅力的には映らなかったと思うし、実際当時は人気抜群とまでは言えなかった。しかし正確無比なデッサン力に基づいたその造形は、どの場面を取り出しても一枚の絵画のように美しく、「ぶ〜け」という新しい雑誌のイメージを牽引する魅力は持っていたと思う。
内田が筆を折り、二度と少女漫画の世界に戻ってこなかった理由はわからない。「漫画家として書きたかったことは『星の時計のLiddell』で全て書いてしまったので、もう書けない」と言ったという説もあるが、内田が描きたかったことが漫画業界の体質とは相容れなかったという側面も大きいのではないか。もしそうだとしても、確かにこの作品は彼女の世界観の集大成であると言っても間違いではないだろう。
ジャック・フィニイが好きだったという内田は、フィニイの『ゲイルズバーグの春を愛す』の表紙画も描いているが、フィニイの作品が幾分センチメンタルな印象だとすれば、同じ時間SFと言っていい『星の時計のLiddell』はもっと思弁的で形而上学的な物語である。
文学、哲学、心理学、精神医学から環境学に至るまで、いやもっと先の人類進化の過程にまで踏み込んでディスカッションを繰り広げる登場人物たち。様々な人種と多様な価値観を持つ彼女彼等が出会う場として、アメリカという舞台が選ばれたのは必然だろう。
物語は、最初から失われた存在として世界のどこにも居場所を見いだせなかった主人公のウラジーミルが、他者との関係性の中に自分自身を獲得する過程として読めると同時に、人類として生まれたことに対する悲しみを神の視点から俯瞰する物語としても読み取れる。
いずれにせよ少女漫画というジャンルの中でこそ生まれたであろうこの優れた作品は、文字通り「Liddell=謎」と共に我々の前に遺された。
内田は絶筆後一切の連絡も絶ってしまったため、彼女の作品の再販はできないまま今に至る。
ふと想像する。もしかしたら彼女は、永遠の少女となって自分だけの時空を創造しずっと描き続けているのではないかと。
そこにはきっと絶えることなく金木犀の香りが漂っているだろう。
登場した漫画家:内田善美
→『星の時計のLiddell』とともに内田の作品で絶大な人気を誇る『草迷宮・草空間』だが、猫好きにはたまらないこちらも傑作。
今回のBGM:「交響曲第5番『革命』」 ショスタコーヴィッチ作曲 小澤征爾指揮/サイトウキネン・オーケストラ
→高校のブラスバンド部でこの曲を演奏した。パートはパーカッション。少女漫画に没頭していた時期と丁度重なる思い出の曲だ。オザワのショス5は如何にも植物的だがこれはこれで味わいがある。
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