207回 長靴を履いた猫


若い頃から足が冷えやすいので、少しでも寒くなるといそいそとブーツを履きたくなる。
ブーティからサイハイまで長さはお好み、厚底もあればムートンもあり、端正なスエードから攻撃的なエナメルまで、ああなんとブーツのバリエーションの豊富なことか。
もちろん通常の靴であっても種々様々なのだが、それはそれでパンプスやローファーなど個々の名前がついているのが普通である。それがブーツという一語であらゆる「長靴(ちょうか、ながぐつではない)」を網羅してしまうのだから、うっとりだ。
ちなみに「長靴をはいた猫」の長靴は、もちろんゴムながではない。

医学部生時代の冬、雪が降ってて寒いからという理由で、黒のエナメルのサイハイブーツを大学に履いていったことがあった。濡れても平気で大腿まで覆うので暖かい。本人は非常に快適だったのだが、クラスメイトには呆れられた。合理的な選択だと思ったのに納得がいかない。
寒い地方に住んでいるので尚更、ブーツを履いている時期が長い。できることなら蚊の来襲に備えて夏でも履きたいくらいだが、まあこれはいくらなんでも暑いので我慢している。
それくらいブーツを偏愛している私である。

ブーツのルーツ(語呂合わせではない)は、狩猟民族のゲルマン人が足を守るためとかいう説もあるが、一般的には中世の軍靴が元と言われている。
現在のブーツは、18世紀イギリスでの馬術の発展に由来する。乗馬が貴族の嗜みとされたヴィクトリア朝時代、乗馬ブーツは足を守り馬をコントロールしやすいように改良された。本革製の膝丈で、踵には拍車台が付けられ、鎧に足が入り込まないようにヒールを高くしてある。
この乗馬用ブーツは、騎兵が主戦力であった第一次世界大戦の頃まで、軍靴として使用されていたそうだ。
現在でも、ジョッキーブーツと呼ばれる正統的な乗馬用ブーツは、競技用馬術で見ることができる。

レースアップブーツといえば、ドクターマーチンを思い浮かべる人も多いだろう。特徴的なイエローステッチは、UKストリートスタイルを象徴する靴として愛されてきた。
第二次世界大戦時にドイツ軍の従軍医師であったクラウス・マルテンが、スキーで負傷した足の痛みを和らげるために古タイヤを加工したエアクッションソールを開発したのがそもそもの始まりである。そのソールの製造権を獲得したイギリスの作業用軍用靴メーカーであったR.グリックス社が、1960年にこのソールを使った最初のワークブーツを完成させる。
当初は実用本位の作業靴だったこのブーツは、1960年台後半にモッズから発展したスキンヘッズと呼ばれる若者たちに愛された。そして1970年台後半から始まったパンクムーブメントでも、ドクターマーチンのブーツは愛され続けた。
今でも音楽好きの間では、マーチンのブーツしか履かないという人が結構いる。ドクターマーチンのブーツは、カウンターカルチャーのアイコンなのだ。

実はドクターマーチンのブーツには、レースアップタイプだけでなく、サイドゴアタイプも存在する。
サイドゴアブーツの歴史は古い。
1830年代中頃、即位したばかりのヴィクトリア女王のために、ロンドンの靴職人が脱ぎ履きしやすくフィット感の良い靴として作って献上したというのだから、由緒正しい出自である。ゴア Goreというのは「マチ」のことで、内外両方のくるぶし周辺に、ゴムなどの伸縮性のある生地でマチを施してある。当時としては両サイドに伸縮性のあるゴムが施された靴なんて、非常に革新的だったことだろう。
このサイドゴアブーツ、ヴィクトリア女王はもちろんだが、夫君のアルバート公がとても気に入り、議会などの公式な場にも履いて出かけたことで、紳士靴として認められたという。
1962年にモッズスタイルでデビューしたビートルズが、このサイドゴアブーツを履いていたことで若者に人気となった。ロンドンのチェルシー地区のモッズたちが影響を受けて履き始めたことで、「チェルシーブーツ Chelsea Boots」とも呼ばれている。
そして1970年代初めに発売されたドクターマーチンのチェルシーブーツが、スィンギングロンドンなどその後のUKストリートスタイルに欠かせないアイテムとなっていく。

私はこのサイドゴアブーツ、てっきりカジュアルな靴だと思っていたのだが、そのような歴史的背景があるため、当初はフォーマルな位置付けだった。
日本でも明治時代から第二次大戦前までは、一部の礼装に取り入れられていたとのこと。昭和天皇のお気に入りの靴だったという話もある。
日本人で初めてこのサイドゴアブーツを履いたのは、かの坂本龍馬だった。ちゃんと自慢げな写真も残っている。龍馬と交流があったグラバー商会のトーマス・グラバーから贈られたものと言われているが、さすが新しもの好きだけのことはある。

そしてブーツの中でも一番暖かいものといえば、言わずと知れたムートンブーツ(シープスキンブーツ)。その名の通り、羊の毛皮を使った内側モコモコのブーツである。
そもそもムートンブーツは、オーストラリアのサーファーたちが海から上がった時に足が冷えないように作ったのが元だそうだ。
2000年初めにアメリカのセレブがこぞって履き始めたのがきっかけで、ファッションアイテムとして世界中で人気になった。日本でも何度かの流行を繰り返して、ダサい流行遅れなどと言われつつも、しっかり寒い時期の定番として根付いている。
UGGなどのブランドの本物のムートンブーツは結構な値段がするので、フェイクムートンを使った安価なものも出ているが、やはり暖かさは格段の違いがある。

そろそろブーツを履くのにもってこいの季節となっている。
今年も長さ素材を使い分け、ブーツ三昧で過ごしたいと今からわくわくしている私である。


登場したブランド:UGG
→1978年にオーストラリア人サーファーのブライアン・スミスが、カリフォルニアでシープスキンブーツを販売するUGGというブランドを立ち上げた。その後1990年代半ばにアメリカの大手靴会社のDeckersに買収されている。てっきりオーストリアのブランドだと思っていたが、実はアメリカのブランドであった。
今回のBGM:「四重人格」by The Who
→203回に続いて登場のThe Who。フロントマンのピート・タウンゼントが1967年にステージでドクターマーチンの「1460 8ホールブーツ」を履いたことで、このブーツは一躍有名になった。


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