第72回 おしろいとスカート


挿絵画家というジャンルがある。
その名の通り物語に挿絵をつける画家なのだが、かつてそれに特化した画家たちの黄金時代があった。西欧においては19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本でも20世紀半ば頃まで、様々な作風の挿絵画家たちが人気を博した時代があったのだ。

いまでこそミュシャは通常の画家として有名であるが、そもそもは挿絵画家として出発している。ビアズリーは言うまでもなくオスカー・ワイルドの「サロメ」の挿絵で一躍有名になった。ちなみにワイルドはこの挿絵が気に入らなかったそうだ。
「不思議の国のアリス」も、初代のジョン・テニエルの挿絵でイメージしている人も多いだろうが、アーサー・ラッカムの挿絵の方が好きという人も結構いるに違いない。テニエルがどちらかというとエッチングならではの硬めで古風な印象を受けるのに対し、ラッカムは水彩画の優しいタッチを生かした極めてリアルな絵柄である。
同時代には、重厚な作風のエドモンド・デュラックや愛らしい子供の姿を描いたケイト・グリーナウェイも活躍しており、20世紀前後の数十年間はまさに挿絵の黄金時代であった。
日本に於いてもビアズリーは比較的早い時期に紹介されて人気となっていたらしいが、日本で挿絵画家というと岩田専太郎や中一弥などの時代小説のイメージが強い。それに対して高畠華宵はかなりロマンティックな作風で、同時代の少女たちに熱狂的な人気を博した。竹久夢二もかなり雑誌で挿絵を描いているが、彼を挿絵画家というのはちょっと当てはまらない気がする。

黄金期の挿絵画家の中では、北欧デンマークの画家カイ・ニールセンが一番好きだ。
この画家と出会ったのは確か、今は無き銀座の洋書専門店イエナ書店であった。当時東京で外国の絵本を手に入れられる場所は、日本橋の丸善本店かこのイエナ書店くらいしかなかった。イエナ書店は現在Diorの店舗がある場所にあったのだが、1F2Fは大学時代私が日曜日にアルバイトをしていた近藤書店で、3Fがイエナだった。このビルになる前イエナは2階建の木造の洋館で、その2階は回廊式になっていたことをうっすら覚えている。両親に連れられて行ったその書店は、嗅いだことのない不思議な外国の紙の匂いに満ちていて、そのなんとも危なっかしい階段とともにとても印象的であった。
そこで外国の絵本を買ってもらうのが楽しみであったのだが、その中で出会ったのがこのカイ・ニールセンの「太陽の東 月の西」である。東洋風とも異なり、中東風と言えばそのようにも見える彼の画風は、他の画家たちよりもある意味グラフィックデザイン的であり、それは今で言うところの北欧デザインに通じるスタイリッシュさがあるのかもしれない。
その後1980年代に新書館から、ニールセンをはじめとする挿絵画家たちの挿画を載せた本が次々と発行された。そのラインナップにはラッカムの「ニーベルングの指環」もあるが、あらためて調べてみるとデュラックの「雪の女王」が荒俣宏訳だったり、ニールセンの「太陽の東 月の西」の装丁が宇野亜喜良だったりと、随分豪華な内容であったのに驚かされる。

挿絵自体はいまでもいろんなところで見ることはできる。ライトノベルなどでは挿絵が大きな役割を果たしていると言ってもいいだろう。文芸雑誌でも挿絵は欠かせない。
しかし物語の説明ではなく1枚の絵画としても成立するような、豪華で豊かなイメージに満ちた挿絵を載せられる紙の本ならではの存在は、現在では稀少になってしまった。
絵本ではなくあくまでも挿絵本。
挿絵画家の黄金時代再びと願ってやまない。


登場した挿絵画家:カイ・ニールセン
→彼は一時アメリカに渡り、ディズニーの「ファンタジア」の美術にも関わっていた。「禿山の一夜」「アヴェ・マリア」にその一端が見られるとのこと。今回のBGM:「禿山の一夜」 by モデスト・ムソルグスキー作曲/クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
→アバドはムソルグスキーフリークとして知られており、この曲を違うバージョンで4回も録音しているそうだ。


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