第28回 祈りにも似て


ピアスは自傷行為の一種だという説がある。
もちろん単にファッションとして、気楽な気持ちで開ける人が大多数であることは承知の上だ。しかし確かにリングやネックレスとは異なり、ありのままでは装着できない。イヤリングなら別だがことピアスとなると、ピアスホールを開けるという行為無くしては着けられないのだ。ならわざわざ痛い思いをしなくてもイヤリングでいいではないかと言われれば確かにそうであるが、イヤリングよりなくしにくく軽快に装着できるピアスには、ピアスならではの魅力がある。

私がピアスホールを開けたのは最近のことになる。それまでしていなかった理由としては時期を逸していたということもあるが、髪を比較的長く伸ばしていたためよく見えないからというのが大きいかもしれない。なのでイヤリングもあまりしたことがなかった。
髪をショートにしたことに加えて、人間関係でかなりのダメージを負ったことで、それに見合う代償行為として思いついたのがピアスであった。今思えば気分を変えたいという意識もあったが、一方ではそのダメージを身体に残すことで昇華させたいという思いもあったのかもしれない。そういう意味で確かにこれは自傷行為と言えるだろう。
どうせならということで、通常のピアスではなくボディピアス専門のところで開けてもらった。普通のピアスホールの径が19G(ゲージ)程度とすると、ボディピアスとして耳朶に開ける場合は14Gになるので、かなり大きめのホールとなる。施術は予想したほど痛くもなく、その後も問題なくホールは安定した。ピアスは一つ開けると増やしたくなるとは良く言われることだが、本当だ。調子に乗ってもう一つずつホールを増やし、軟骨ピアスにも手を出したところで挫折した。私の場合、耳介の軟骨部分ではホールが上手く形成されなかったのだ。
ボディピアスというものは、耳だけではなく身体のいたるところに開けることができる。臍ピアスとして有名なナーベルをはじめとして、鼻や口唇、乳頭や外陰部にまでピアスは開けられる。腕や首などにも開けることはできるのだが、こちらはホールが形成されないので、ずっといわゆる「傷」として処置を続けなければならない。なのでこれはいわゆるピアスとは少々異なる。

このようなボディピアスは、ボディモディフィケーションと呼ばれる身体改造の一種である。タトゥなどはまだ可愛い方で、皮下に人工物を埋め込んでツノのようにしたり、スプリットタンという舌を切って蛇のように先が二股に分かれるようにするタイプもある。
ボディモディフィケーションは様々な文化で、宗教的な意味合いを持つことも多い。身体を傷つけることで聖なるものとつながろうとするのだろうか。
そうするとピアスも祈りの一種なのかもしれない。自傷行為自体自らを救うための祈りのようなものだと思うので、これは正しいだろう。
ではリストカットをはじめとする他の自傷行為とピアスとの違いはなんなのか。それはピアスは傷のままではないということだ。傷ついた皮膚は再生し新たな形を形成する。そこで傷は完結するのだ。そしてピアスを着けないでいればホールはまたすぐに閉じてしまう。傷としての痕は残らない。

トラウマ(外傷)は適切な対応をすればいつかは治癒する。心の傷もまた。


登場した身体改造:スプリットタン
→単純な疑問だが、食べにくくないのだろうか。
今回のBGM:「Avenged Sevenfold」by Avenged Sevenfold
→ヘビメタバンドのこのアルバムの中にある唯一のバラード「Dear God」は、神様に向けた素朴で誠実な祈りの歌だ。カントリー調の美しいメロディを聴くと、彼らは絶対こっちの方がいいのではないかと思ってしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?