第74回 宝石箱の中から


ブローチをあまり着けなくなった。
ネックレスもピアスもリングも直接肌に着けるものだから、強いていえば身体に付随する。スキン・ジュエリーなどという言い方もあるほどだ。なのでコーディネートを別にすれば、服を着替えても継続して装着していられる。つまり着けっ放しもありだということだ。
しかしブローチは直接肌に着けない。というか、着けられない。ブローチはピンで留める構造になっているため、布に刺すしかないのだ。そうなると服によって刺し換えなければならないし、なんでも着ければいいというものではないので服との相性をいちいち考える必要がある。
結局それほどまでしてブローチを着ける必然性がなくなってしまい、ブローチの出番が減ったのかもしれない。

昭和というのは、ブローチが活躍した時代だったように思う。戦後の高度成長期の頃の写真を見ると、ワンピース姿の若い女性の胸元にはよくブローチが留められている。あるいはスーツの襟元にも、ブローチは誇らし気に飾られていることが多い。ピアスはまだ存在しない時代であるが、イヤリングでも着けていればかなり派手なイメージになる。リングは如何にも「宝石」というデザインが一般的であったため、日常生活で嵌めるのは稀だった。
当時アクセサリーの中でブローチだけは、普通の人にも敷居が低かったのではないか。ふと思いついたのだが、ブローチは帯留めに似ているので抵抗感があまりなかったのかもしれない。今でも実際ブローチを帯留めに流用することはよく行われている。

西洋のアンティークやヴィンテージジュエリーに於いて、ブローチの占める比率は高い。面積が広く取れるため凝ったデザインにすることもできるので、職人の腕の見せ所だったのだろう。古いブローチには超絶技巧のものもみかけるが、それほど凄くなくても、マイクロモザイクやインタリオといった現在は殆ど使われていない手法を用いたブローチもあり面白い。
インタリオというのは沈み彫りというやり方で、裏側に彫刻することによって表から見たときに中のモチーフが立体的に見えるという手法である。このインタリオはヴィンテージジュエリーでは、ルーサイトという素材によく用いられている。
ルーサイトは1941年にデュポン社が開発したアクリル樹脂で、透明感と強度を合わせもつことから戦闘機の風防ガラスの代わりに使われた。熱硬化性で着色も可能、ガラスよりも遥かに軽く扱いやすい。戦後物資がなかった頃には、戦闘機に使用された風防をリサイクルしてアクセサリーに生まれ変わらせたそうだ。
ちなみにこのルーサイト、アクセサリーのみならずバッグにも使われていたようで、1953年の映画『ナイアガラ』の中でマリリン・モンローが持っていた小さな箱型のバッグがルーサイトバッグだった。
ルーサイト以外にもベークライトやセルロイドなど、いまでは見ることのできない素材を使ったブローチは、なんとも柔らかく暖かい印象を与えてくれる。

ブローチは布との相性があるので、薄い布に大きくて重いブローチは着けられないし、あまり厚い布でもピンが留めにくい。それでもブローチひとつで印象はかなり変わる。多少面倒でも、服とのコーディネートを悩みながらお気に入りのブローチを着けて、胸を張ってお出かけをしてみよう。
いつのまにか落としてしまうと悲しいので、シリコン製のストッパーを付けることも忘れずに。


登場した素材:ルーサイト
→ルーサイトという名前は、世界的な化学メーカーの英国ICI社と米国デュポン社のMMA(アクリル樹脂の原料となるメタクリル酸メチル)事業を引き継いだ専業メーカー「ルーサイト・インターナショナル」に残されている。2008年ルーサイト社は三菱レイヨン(現在は三菱ケミカル)に買収され子会社化された。
今回のBGM:「gobbledygook」by 川本真琴
→傷つきやすいけど強靭。「FRAGILE」の彼女のように。

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