第130回 幸せの白いTシャツ


Tシャツを着たことがないという人は、おそらく殆どいないのではないか。
老若男女問わず、下着にしろファッションにしろ、Tシャツは我々の生活に深く溶け込んでいる。
可愛いから格好良いまで幅広くカバーしてくれる包容力と、吸湿性や着心地の良さを兼ね備えた実務機能。Tシャツは懐が深い。

そもそもTシャツは、西欧で着用されていたアンダーウェア(肌着)が起源である。
1800年代欧米で下着といえば、ウールのオールインワンが一般的であった。1904年に初めて、米国のクーパーアンダーウェア社が「No safety pins - no buttons - no needles - no thread」を宣伝文句に、Tシャツの原型といえる綿でできたカットソーのアンダーシャツを大々的に売り出した。実用的なその肌着は、早速海兵隊員の下着として米海軍に採用されることになる。
1920年には初めて辞書に「T shirt」という言葉が掲載される。その頃既にTシャツは、兵士だけでなく労働者階級のユニフォームとして、一般的に着用されるようになっていた。
1932年南カリフォルニア大学が、アメフト選手のためにジャージの下に着るTシャツを作らせるが、それが学生の間で大流行となって盗む者まで現れたそうだ。困った大学側はTシャツに「Property of USC」とプリント、現在のロゴTの始まりである。丁度1920年代から1940年代にかけてはファッションがカジュアルに変化した時期であった。それまで下着としてしか扱われなかったTシャツは、若者の間でアウターとして広く着られるようになった。
1940年代第二次大戦下の米国では、戦意高揚のための言葉などをプリントしたグラフィックTシャツが台頭する。その他にもハリウッド映画のプロモーション用や選挙のスローガンなど、Tシャツは多方面で安価な宣伝材料として活躍するようになった。

そして1950年代に、ファッションに於けるTシャツのパラダイムシフトが起こる。映画『欲望という名の列車』のマーロン・ブランド、『理由なき反抗』のジェームス・ディーンなどのハリウッドスターたちによって、Tシャツは格好の良いファッションアイテムとなったのである。
1970年代にかけてTシャツは、ロックやヒッピーといったカウンターカルチャーの象徴となった。ラヴ&ピース、ドラッグ、パンク。いまなお人気のあるデザイン・染め・加工には、この頃生まれたものが多い。
1980年代になるとブランドもののロゴTシャツが一斉を風靡し、ハイブランドもTシャツに参戦するようになる。そして1990年代にはストリートスタイルが盛り上がって今に至るのだ。

ここでひとつTシャツのサイズ感についても言及したい。
チビTを覚えているだろうか。1995年から1999年に流行したわざと小さめのTシャツを着るファッションのことであり、ピタTとも呼ばれた。
アムラーたちがこぞって着用したものだが、体型にぴったりと沿ったタイトなものであるため、鳩胸で骨太で肩が張っている私にはなかなか厳しいものがあった。当時はお洒落なTシャツといえばSサイズか子供サイズしかなかったので、無理して着ようとしてもどうにもこうにもきつい。せっかくの可愛いプリントも横に伸びて可愛くなくなる。今思えば殆ど拘束着である。チビTは昨年あたりから再び脚光を浴びているようだが、もう流行りにはのらないぞ。
それに比べて現在のストリート全盛のファッションでは、Tシャツといえばオーバーサイズが当たり前。XLはいざ知らず、XXLやXXXLというもはや大きさがよくわからないサイズまで売られている。
ここまでくるとTシャツはTシャツとしてではなく、チュニックやワンピースがわりに着られることが多い。身体が中で浮く程大きいTシャツをダボっと着るのは楽であるばかりでなく、なかなかに可愛いことは確かだ。
もちろんきちんと身体に合ったサイズ(チビTではない)のTシャツをスーツの下に着込むのも、スマートで格好良いと思う。

定番の丸首だけでなくV首やU首、素材も綿100%以外にもストレッチ製を高めたポリウレタン混紡や吸湿速乾のポリエステルなど、Tシャツは進化し続けている。
たかがTシャツと侮るなかれ。
着ることで込められたメッセージをアピールする人もいるかもしれない。
よれよれになったバンTに青春の思い出を見るという人もいるだろう。
Tシャツは頼もしい人生の相棒なのだ。


登場した年代:1920年代
→若きF・スコット・フィッツジェラルドが書いた『楽園のこちら側』の中で、文学史上初めて「T shirt」の語が使用された。
今回のBGM:「The Circle Game」by Buffy Sainte-Marie
→タイダイといえばヒッピー。反戦と反体制の象徴とされたアメリカン・ニューシネマ『いちご白書』の主題歌、作詞作曲はジョニ・ミッチェルである。

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