第59回 菫色の研究


好きな色は?と聞かれたら、まずは黒と答える。しかし黒は厳密に言えば色ではない。いや、全ての色を含む色の中の色とも言えるかもしれないが。
ではいわゆる色の中で選べというのなら、それは紫である。

紫という色ほど、数々の毀誉褒貶に晒された色はないのではあるまいか。
本来紫というのは古今東西の文化に於いて高貴な色とされることが多い。高貴な身分の者しか使用を許されなかったり、祭事の時に使用されたりと、特別感のある色として君臨してきた。英語の慣用句でも「born in the purple」というのは「王家の生まれ」を意味するそうだ。
紫というのはもともと紫草から来た言葉であり、日本ではこの紫草の根(紫根)から取れる紫色の染料が貴重であったため、高位を表す色とされた。この紫根染を何度も繰り返した黒味がかった深い紫色は「濃色(こきいろ)」と呼ばれる。濃色は深紫の別名であり、対色は薄色=浅紫。この2色のちょうど中間には半色(はしたいろ)という色もあり、濃い薄いといった形容詞だけで色名となる程、紫は特別な色であったのだ。余談だが、濃色は高貴な身分しか使用を許されない禁色(きんじき)であったが、半色は許色(ゆるしいろ)で誰でも使用が認められていたとのこと。
そういった由緒正しい紫色だが、近年はなぜかヤンキー文化の文脈で捉えられたり(紫のスカジャンに「夜露死苦」の刺繍も楽しいが)、白髪の高齢女性が髪を紫色に染めることが多いため高齢者の色とされたりと、妙なイメージが先行して誤解されることが多いように思われる。
いっぽう海外では紫色はパープルハンドや紫のサイといった歴史的な由来からゲイのシンボルカラーとしても有名であるため、とりもなおさず性的マイノリティのイメージも強い。ちなみに1900年代前半の西欧ではレズビアンが菫の花を相手に贈る習慣があったそうだ。そういう面からすると、紫は迫害と戦ってきた色という側面もあるのかもしれない。

一口に紫色といっても、そこにはかなり幅の広い色調が広がっている。なにせ赤と青を混ぜた色であることから、そのどちらに寄るかで色の印象も変わってくるのだ。英語でも赤味がかった紫はpurpleだが、青みが強くなるとviolet、つまり菫色となる。虹の七色を定義したニュートンは、最も短波長側の色である紫をpurpleではなくvioletとした。その他にもmauve、magennta、fuchsiaなど、紫色は沢山のバリエーションを携えている。
この菫色という色名は平安時代から使われているということだが、その名の由来となったスミレという植物は東アジアに広く分布しており、山野草として我々には馴染みが深い。西洋で愛されてきたニオイスミレは、日本のスミレとはまた異なる種類であり、その名の通り馥郁たる香りが特徴である。このニオイスミレ、種子や根茎に神経毒を持っているとのことで、古来より薬草としても使われて来たそうだ。スミレもニオイスミレも、その花の色は美しい菫色だ。
フランス南西部にあるトゥールーズという都市を訪れたことがある。フランス第5の都市でありエアバスの本拠地としても知られているトゥールーズだが、この街のシンボルはスミレである。フランスのお菓子として有名なスミレの花を丸ごと使ったスミレの砂糖漬けはここが発祥とのこと。その他にもスミレの香水やスミレモチーフの雑貨など街中に菫色があふれていて、とても優雅で幸せな雰囲気であったことを覚えている。

与謝野晶子はその浪漫主義的傾向から「星菫派詩人」と呼ばれたそうだ。また和歌では「むらさきの」という言葉は「匂う=美しく輝く」にかかる枕詞であった。
可憐で美しく、高貴であるのに懐が深い。上品でいながら戦う時には戦う。
紫という色は少女のシンボルとしても相応しいのではないかと、密かに思っている。


登場した色:モーヴ mauve
→1856年に発明された世界初の合成染料の名前である。mauveとはフランス語でゼニアオイを意味しており、華やかだが品のあるその花の色に相応しいわずかに赤味がかった紫色は、菫色と双璧をなす好みの色である。
今回のBGM:「弦楽四重奏曲第1番ニ長調」ベンジャミン・ブリテン作曲 エンデリオン弦楽四重奏団 
→シャーロック・ホームズ(というかコナン・ドイル)と同じ英国人のブリテン。英国人らしい音楽観を貫き通した作曲家である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?