第91回 憧れのハワイ航路


レーヨンという生地には、どうしても「扱いづらい」という印象がつきまとう。縮みやすい、水に弱い、家で洗えず面倒だ。普段着でレーヨン100%の服を着ることは、通常の生活ではあまりないと言ってもいいだろう。どうしてもすぐ洗濯ができて便利な、綿やポリエステルの生地が重宝される。
しかしレーヨンの持つあの冷んやりとした肌触りや、てろんと落ちる質感には、他の生地には変えがたい魅力があるのは確かだ。

レーヨンの服といえば、アロハシャツ。
アロハシャツというのは登録商標なので、一般名詞としてはハワイアンシャツと呼ぶのが正しいそうだが、やはりここはアロハシャツと言いたい。思えば昔の夏はもっとアロハを着ている人を多く見たような気がするのだが、最近はお洒落として着る以外あまり目にしなくなった。
アロハの歴史については、1930年代に日系移民が浴衣や着物を使ってシャツを作ったのが元と言われている。当時は綿や絹の生地が主流だったが、綿はプリントの発色が悪く、絹は高価であった。
この高級繊維である絹を人工的に作り出そうと、19世紀末から西欧では研究が始まった。その中で1884年にフランスのシャルドンネ伯が硝酸セルロースという人工絹糸の発明に成功、これが人工絹糸と言われたレーヨンの始まりとなった。しかしこの硝酸セルロースは極めて燃えやすい繊維であったため、これを使ったドレスが炎上する事故が多発し、生産が中止されてしまう。その後燃えにくいビスコースレーヨンが開発されたことによって再度レーヨンが人気を取り戻し、1920年代からはデュポン社が大量生産を始める。
アロハの素材も次第にレーヨンが多くなり、40年代に入るとほぼ主流を占める。現在ヴィンテージアロハとして人気があるのは、このレーヨン素材のものだ。状態の良い40年代のヴィンテージアロハでは、20万円以上するシャツもあるほどだ。

レーヨンは英語の「Ray(光線)」と「Cotton(綿)」を組み合わせた造語で、つまり「光る糸」という意味を持つ。
日本では明治時代末期から「人絹」と呼ばれて輸入されていたが、国内生産が開始されてからは、1930年代には日本のレーヨン工業は世界のトップクラスの規模となった。現在の日本の大手繊維メーカーの名前には、当時のレーヨンの製造から始まった歴史が残っている。東レは東洋レーヨン、クラレは倉敷レーヨン、そして帝人は帝国人造絹絲。
レーヨンは「再生繊維」と呼ばれるカテゴリに属している。これは天然の植物原料(セルロース)を化学的な繊維として再生したものを指し、キュプラやリヨセルといった繊維もこの仲間である。セルロースを原料としているため、自然分解され土に戻る所謂環境に優しい繊維である。
吸湿性も化学繊維の中で一番高く11%もあるため、汗をよく吸い染色性も良い。色鮮やかな発色が可能で様々な柄を表現することができるので、アロハにはもってこいだったのだ。また繊維が弱酸性であるため、汗の匂いなどのアルカリ性の成分を中和する消臭効果にも優れている。そして熱にも強く、静電気を起こしにくい。
このように書くと良いことずくめのようなレーヨンだが、欠点も多い。摩擦によって毛羽立ち白っぽく見えるという「白化現象」や、吸水性が良いため雨に当たると水染みができやすく、乾いた時には酷くシワになる。水に濡れると強度が1/3に低下し、水洗いすれば10%も縮んでしまう。
それでもレーヨンのあの肌触りと落ち感には、他の繊維では出せない魅力がある。

最近ではこのレーヨンの長所を活かし短所を補ったポリエステルとの混紡素材が、衣類に多く使用されている。
毛玉ができやすいとかシワになりやすいとか安いからだろうとか、あまり評判が良くないようだが、私は結構好きだ。レーヨンの柔らかさと光沢とドレープにポリエステルの丈夫さと扱いやすさが加わって、着心地が良い。ドライクリーニング表示になっているものが殆どだが、普段着なら家で洗濯してもほぼ問題ない(お勧めはしないが)。
でも時々無性に、レーヨン100%のてろてろのアロハが着たくなるのだ。あとの手入れが物凄く面倒とわかっていても。
その手間こそがお洒落の真髄なのかもしれない。


登場した繊維メーカー:デュポン社
→知る人ぞ知る世界第4位の米国の化学メーカー。元々黒色火薬を製造し、南北戦争で巨利をあげたそうだ。現在はバイオサイエンスまで手がける巨大財閥である。
今回のBGM:「サンディーズ・ハワイアン・クリスマス」by サンディー
→クリスマスソングもハワイアンになると、暑い季節にもよく似合う。

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