264回 ドランクモンキー


はっきり言って酒には強い方だと思う。
とはいえここ数年は外で飲むこともなくなり、家でも仕事がある前の日は飲まないので、自然と週に一度位しか飲む機会はない。それも休日にゆっくり何かつまみながら時間をかけて赤ワインを飲む程度である。これなら強いも弱いもないだろう。
元々酒はあってもなくても別にどちらでも良いので、飲む機会がなければそれで済む。ただその機会があると、それなりに飲んでも顔には全く出ないので、やはり強いのだろう。

そもそも父方の家系は大酒飲みが揃っていたそうだ。
下町の職人が多かったので、自宅兼仕事場で飲みながら仕事をすることも多かったという。なかには日本酒の一斗樽を脇に置いて、そこに繋いだホースを股の間から出して口に加えながら作業をした強者もいたというから、驚く。それでもアルコール依存というよりは心底酒が好きな大酒飲みだったようで、経済的に困窮することはあっても、身体や精神を壊すことはなかったとのことなので、如何に強かったかが伺える。まあ金銭に困るまで飲む時点で十分依存とは言えるだろうが。
そのように酒で身上を潰す親戚を何人も目にしていた私の父親は、一切酒の類を口にしなかった。それはもう確固とした信念で、結婚式の時の三々九度の御神酒を飲まなかったというから徹底している。仕事関係の親睦会などでは酔っ払いをあからさまに毛嫌いしていたので、それを見ていた私にも「酔う」ということに対する忌避感が植え付けられてしまった。
20歳になった時、大学の飲み会で勧められたビールを飲んでみたが、少々の量では酔わない。そして自分は酔っ払わないぞという強迫観念のようなものがあるため、いくら飲んでも大凡は正気を保っている。酔わないのなら何のために飲むのだと言われそうだが、その酒の味が好きで飲むということも多い。私の場合、酔うために飲むのではないのだ。

よく飲み過ぎて翌日その時の記憶がないという話を聞くが、未だかつてどんなに飲んでも記憶を無くしたことはない。最後まで正気を保っているということは、他の酔っ払いを介抱して一番最後に見送る役目をするということである。なんとなく理不尽な気もしないでもないが、まあ仕方ない。
頭より身体の方に酔いは回るようで、かなり杯を重ねた段階では、頭の方はそれなりにはっきりしていても呂律が多少回らなくなる。歩行がふらついたりすることはないが、なぜか喋る方だけ舌っ足らずになってしまうのが悔しい。それでも少し前までは12時間飲み続けても翌日けろっとしていたので、代謝が早いことは間違いない。因みにアルコールに強い人あるあるで、鎮痛剤もすぐ切れてしまうのには困る。
まだ飲酒の経験が豊富でない20代はじめの頃、新潟のSF大会に参加した際に日本酒を1升飲んだことがある。ご存知のように日本酒は蒸留酒ではないので雑味が豊富であり、そのため代謝が遅くなって残りやすい。翌日は二日酔いではなく、単にまだ酔っているという状態が続き、心底まいった。これ以降日本酒は飲んでいない。
おそらく酒好きの中には、この種類の酒だけは苦手というのがある人が結構いると思われる。それはその酒でやらかした経験に基づいているに違いない。

酒というのはつまりアルコールである。
体内に入ったアルコールは大部分が消化管で吸収され、ごくわずかな量のみ分解されずそのまま呼気(0.7%)や汗(0.1%)や尿(0.3~4%)から体外に排出されるのだ。
消化管では20%が胃で80%が小腸で吸収される。胃ではゆっくり、小腸に入ると素早く吸収されるので、なるだけ何か食べながら飲んで小腸に行くのを遅らせるのが、酔いが回らないコツなのである。吸収されたアルコールは血流に乗って肝臓に送られ分解される。肝臓ではまずアルコール脱水素酵素(ADH)でアセトアルデヒドに分解され、その後アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)によって酢酸に分解される。酢酸は全身に送られて、筋肉や脂肪組織で二酸化炭素と水に分解される過程でエネルギーとなる。
この過程は一度で全部済むわけではなく、分解されなかったアルコールやアセトアルデヒドは何度も血中に残って全身を巡り、その都度肝臓で分解されていく。アセトアルデヒドは毒性の強い物質で、頭痛や嘔気を引き起こす。多量の飲酒ではいつまでも分解されずに残ったアセトアルデヒドが、二日酔いの原因となるのだ。
アルコールの分解には上の2種類の酵素だけでなく、ミクロソームエタノール酸化酵素(MEOS)も関わっている。この酵素はアルコール量が増えると活性化する性質があるため、飲酒の機会が多いとある程度酒に強くなるのはこの影響だ。
とはいえこの酵素が頑張らなければいけない程の飲酒というのは、確実に肝臓に負担をかけることになるので、酒に強くなるためにせっせと飲むというのは決して良いことではない。

日本人は人種的に酒に弱いとよく言われているが、理由はこの酵素にある。
アセトアルデヒド脱水素酵素には2種類あり、ALDH1型は血中アセトアルデヒド濃度が高くなってからゆっくり働き始める弱い酵素である。一方ALDH2型は濃度が低い早期から働き始める強力な酵素だ。実はこのALHD2型には3種類の異なる遺伝子型がある。
正常活性を持つNN型、NN型の1/16の活性しか持たないND型、ALDH2の活性自体持たないDD型の3型だ。人類は元々はNN型だったが、数千年前にシベリア地方で突然変異が起こり、ND型やNN型が東アジアに広まったと言われている。
黄色人種の40%がND型で10%が不活性型のDD型だというのだから、酒に弱いのも当然である。アルコール綿を肌に当ててすぐに赤くなる人はこのDD型なので、ごく少量の飲酒でも顔が赤くなってしまうフラッシング効果が現れる。ヨーロッパ系の人種はほぼ全てNN型なので、酒に強いわけだ。
しかしいくらNN型と言っても分解速度には限りがあるので、一度に多量に飲めば誰でも影響がある。飲めない人に無理に酒を勧めるのは論外だが、大学のコンパで一気飲みをさせられ急性アルコール中毒で亡くなるといった悲惨な事件が毎年繰り返されているのは悲しいことだ。

酒に強かろうが弱かろうが、意識せずとも飲めば酔うことは間違いない。
いくら自分は酔わないから大丈夫と思っていても、確実に諸々の反応は鈍くなる。ただでさえ集中力と注意力が求められるクルマの運転に於いては、どんなにアルコール度数が弱い1杯でも、取り返しがつかない事故につながることを肝に銘じたい。クルマやバイクだけでなく、自転車でさえも飲酒運転が如何に危険であるか、周知しておきたいところである。
そしてなんと言ってもアルコールは毒なのだ。コロナ禍で散々使っただろう。ウイルスも死滅するアルコールが、細胞にダメージを与えないわけがない。猫はアルコールを肝臓で分解できないので、わずかでも致死量になる。そんな危険な物質を恒常的に摂取して、人間だって身体に影響がないというのはあり得ない。
酒は百薬の長などと古来持ち上げられてきたが、今の医学的には少量のアルコールでも消化管全域の癌のリスクは高くなると言われている。その他にも高血圧や高脂血症には多大な影響を及ぼす。病気にならないためには一切飲まない方が良いわけだ。

酒は人類の歴史の中で熟成されてきた英知の塊である。そしてまた人間は毒が好きだ。身体的社会的リスクを承知した上で、適量を嗜むことは個人の自由である。
酒は飲んでも飲まれるな。これを守れる大人はせいぜい楽しむとしよう。
さて、赤ワインでも開けるかな。


登場した人物:父親
→それだけ徹底して酒を嫌っていたにもかかわらず、なぜか洋菓子のサバランは大好物だった。洋酒にたっぷり浸かったサバランは酒だろうと思うのだが、断固認めず喜んで食べていた。当然酔っ払うことなどない。体質的には酒に強いことには変わりはないのである。
今回のBGM:「酒とバラの日々」 ヘンリー・マンシーニ楽団
→この曲がテーマとなった同名の映画は一度は観た方が良い。アルコール依存症の怖さが身に染みてわかるから。


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