216回 理屈と膏薬はどこにでもくっつく


家の中に軟膏の類がひとつもないという人は少ないだろう。
湿疹ができた時に皮膚科でもらったステロイド軟膏、筋肉痛が酷くてドラッグストアで購入した消炎鎮痛剤の軟膏。あるいはとにかく何にでもメンソレータム(もしくはメンターム)塗っておけばいいという人、それも軟膏である。
軟膏。ちょっぴり塗るだけで効果はあるが、ベタベタするので実はあまり塗りたくないもの。何年前からあるのかもうわからなくなっているが、なんとなく引き出しの奥に転がっているもの。
もはや軟膏は私たちの生活に欠かせない存在となっている。

飲む薬ではない、皮膚に塗ったり貼ったりする所謂「外用薬」は、その剤形によって固形剤・液剤・スプレー剤・ゲル剤・軟膏剤・クリーム剤・貼付剤というように分けられている。
他の剤形はなんとなく想像できる。では軟膏とクリームは何が違うのか。軟膏は「有効成分を基剤に溶解または分散させた半固形の製剤」、クリームは「水中油型または油中水型に乳化した半固形の製剤」と定義されている。どちらも半固形だ。
軟膏はさらに油脂性軟膏と水溶性軟膏に分けられており、この油脂性軟膏というのが一般的な軟膏である。油脂性というだけあって、ベタつきが気になったりなかなか洗い落とせなかったりするのだが、皮膚の保護作用が強く刺激も少ないため、様々な皮膚疾患の薬として重宝されている。
軟膏と異なりクリームには、油と水を混ぜて乳化させるために、界面活性剤が加えられている。そのためベトつかず水ですぐに洗い流せるが、界面活性剤が加えられているため皮膚刺激性が強く、滲出液が多い患部には向かない。
どのような剤形を選ぶかは、患部の状態や場所によって使い分けるというものだ。

上に「基剤」という言葉が出てきた。外用薬は基剤と主剤でできている。薬効があるのは主剤の方で、それを基剤に溶解して皮膚に浸透させやすくする。成分の割合としては、殆どが基剤と言ってもよいくらいなので、基剤の選択は重要である。
軟膏の基剤として最も一般的かつ広範囲に使われているのは、ワセリンである。
ワセリンというのは、石油から得られたパラフィンなどの炭化水素類の混合物を脱色して精製したものだ。精製純度の低い順に、黄色ワセリン・白色ワセリン・プロペト・サンホワイトとなっており、通常使われるのは白色ワセリンである。

ワセリンは英語では本来White Petroleumである。しかし世界的にその単語よりも、ユニリーバが商標として使用しているVaselineの方が、一般名詞化してしまった。日本でもワセリンは一般名詞である。因みにユニリーバの商品のワセリンの名前は「ヴァセリン」なのでご注意を。
ワセリン自体に積極的な薬効はないが、皮膚の表面に油の膜を張ることで角質層からの水分の蒸発を防いだり、外的刺激から皮膚を守ったりする働きがある。皮膚は、傷がついても再生する自己治癒の力を持っている。なので一時的にワセリンで保護してあげるだけで、それ以上余計なことをしなくても自分で治ってくれるのだ。
褥瘡の治療でも、患部に感染がなければ、ワセリンを厚目に塗っておくだけで治ることは結構多い。冬の手荒れから褥瘡まで、ワセリンは一家に一つ常備しておくというものである。
ベタベタになるのさえ我慢できれば、だが。

ワセリンが基剤となっている外用薬で、私が愛してやまない軟膏がある。
それがヴィックス・ヴェボラッブ。日本では1953年から販売されている長寿薬だが、なんと1894年にアメリカで開発されたという超長寿の軟膏であった。
これを書くために調べていたところ、驚愕の事実が判明した。これまで「ヴィックス・ヴェボラップ」だと信じていたのだが、実は「ヴィックス・ヴェボラッブ」だったのである。何が違うのだと思われた方は、拡大して読んでほしい。最後が半濁音ではなく、濁音だったのだ。半世紀以上半濁音として愛用していたのが濁音だったとは。ただでさえ濁音だらけで発音しにくいのに、更に濁音。言いにくい。
気を取り直して。この軟膏の効果は、カンフル・メントールなどの作用により、鼻閉やくしゃみなどの風邪の症状を和らげるというものである。カンフルやメントールといった揮発性のスースーする成分に加え、松脂から採ったテレピン油、ユーカリ油、ニクズク油、杉葉油といった有効成分が入っているというのだから、どれだけ清涼感あふれる塗り心地か想像できるだろう。
内服薬でないので幼児にも使いやすいということで、子供の頃風邪をひく度に、親によく塗られていた。長じて自分でも塗るようになったが、胸や鼻の下に塗った後の手で目なんか擦った日には大変なことになる。
このヴィックスヴェボラッブの基剤もまた、ワセリンなのである。なので当然ベタベタする。ベタベタしても背に腹は変えられない。スースーする気持ちよさが勝つのだ。
ヴィックス・ドロップも好き。最近巨峰味も出たらしい。

軟膏にはきちんと使用期限が記されている。
使用期限を過ぎた軟膏は薬効が落ちているばかりでなく、基剤の変質も懸念されるので、確認しましょう。
いつまでもあると思うな、バンドと軟膏。


登場した商品名:メンソレータム
→あなたはメンソレ派?それともメンタム派?ではないが、このふたつ、まあほぼ同じといっていいだろう。1894年にアメリカで開発されたメンソレータムは、1920年に近江兄弟社が輸入販売権、その後国内製造販売権も獲得。しかし1974年に経営難で近江兄弟社が倒産したため、一時米メンソレータム社に戻り、その後ロート製薬が権利を取得してメンソレータム社も傘下に収めて販売している。一方近江兄弟社も再建を果たし、自社製品としてメンタームの製造販売を開始して今に至る。この二つはワセリンの配合量とカンフル・メントールの含有率が違うそうだ。メンソレータムのリトルナースとメンタームのメンタームキッドは、同じデザイナーだったって知ってました?
今回のBGM:「11」by 中山うり
→再び登場「風邪薬」。風邪に効くのはやはり半濁音だと思うな。


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