第110回 木綿のハンカチーフ


あなたはいま、手元にハンカチを持っているだろうか。

数年前から手を洗った後にハンカチを出して拭いている人を、あまり見かけなくなった。
大規模店舗や高速道路のサービスエリアなどのトイレスペースでは、手を洗った後ハンカチを取り出すまでもなく、濡れた手で髪を撫で付けて出て行く人や、そのまま両手を振って周囲に水分を撒き散らしながら去って行く人を目にする。いずれも現在のような状況になる前からのことである。
風圧で水分を吹き飛ばすブロワーが常備された頃から、ハンカチは外出の必需品ではなくなった。ハンカチで吹けばハンカチが濡れるので、ブロワーの方が清潔という意識もあったかもしれない。
しかしブロワーは水分を吹き飛ばすだけなので、乾燥にまでは至らない。しっかり乾くまで手をかざしているとなるとかなり時間がかかり、次に使おうとする人にも気兼ねする。どことなく中途半端に水気が残った手はなんとなく気色が悪く、結局ハンカチを取り出して拭くことが多かった。
それがいまや空中にウイルスを撒き散らすかもしれないという理由から、どこもブロワーは使用禁止になっている。そうするともはやハンカチを持ち歩く習慣を無くした人たちは、濡れた手の拭きどころがなくなるので、手を振り回すしかなくなってしまうのだ。
もちろんペーパーが用意されていて、それで拭いて捨てるようになっているところも増えた。使い捨てなのでこれが一番清潔は保てるだろう。今の世の中、紙が勿体無いというよりは感染予防の方が大事なのだから仕方ない。

子供の頃外国文学を読む度に「ハンカチで洟をかむ」という描写に悩んだものだ。洟、つまり鼻汁が付いたハンカチをそのままポケットにしまうのか、乾いたらまた同じところでかむのか、鼻汁が付いたまま手を拭いて良いのかなどなど、納得がいかないことだらけで、西欧の人々はあまりきれい好きではないのではないかという結論に至った。
調べてみるとフランス語でハンカチをさす「mouchoire」は、洟をかむという意味の動詞「moucher」からきているそうで、はじめからハンカチは手を拭くためではなく洟をかむためにあったのだという事実に驚かされる。
ハンカチの起源は紀元前のエジプト文明にまで遡れるということだが、正方形になったのはマリー・アントワネットが規格として統一させたのが始まりだそうだ。現在でも一般的な10または11.5インチ四方の正方形にするように、夫のルイ16世に頼んで府令を出してもらったとか。なぜそうしたかについては諸説あるようで、様々な形があるのはお洒落じゃないからとか、自分だけが他の形を使いたかったからとか言われているが、真実は定かではない。
日本ではハンカチ(当時はハンケチとも言われた)が一般的になったのは明治時代になって洋装が入ってからであり、それまでは手拭いが様々な用途に使われていたので特に不便はなかった。
ハンカチの正式名称はハンカチーフで、この「handkerchief」の「kerchief」とは元々頭を覆うのに使われた正方形の大きな布のことである。そういえば最近聞かなくなったが、小さめのスカーフはネッカチーフ(neckerchief)と呼ばれていた。バンダナもこの類の布物で、ヒンディー語で絞り染めを表す「Bandhnu」が語源とのこと。
昔は実用品としては水気を吸い取りやすい麻が、贅沢品としては絹が素材として用いられたが、綿が登場すると一気にハンカチの主流はこちらになった。現在でもハンカチといえば綿が一般的だろう。

いまではパイル地で出来たタオルハンカチやガーゼハンカチなど、様々な素材のハンカチも多くなっている。大きさもスカーフにもなる大判のものや、邪魔にならないハーフサイズなどよりどりみどりだ。
濡れた手や汗を拭くだけではなく、食事の際のナフキン代わりにしたり、バッグのハンドルに結んでみたりと、ハンカチは今でも使い勝手が良い。
子供の頃に「ハンカチ持った?」と親に言われた人も多いだろう。そういえば「ハンカチ落とし」なる遊びもあった。それほど昔はみんなハンカチを持っていたのだ。
男女を問わず、ポケットにハンカチを入れて出かけようではないか。
人類はこの小さな布を5000年もの間愛してきたのだから。


登場した遊び:ハンカチ落とし
→鬼ごっこの一種であり、英語圏でも「Duck, Duck, Goose」という類似の遊びがあるそうだ。日本における鬼ごっこの歴史は、1300年前から行われている宮廷行事「追儺」に始まるとのこと。
今回のBGM:「第三の男」by Anton Karas
→ハンカチが重要な鍵となるというとシェイクスピアの悲劇『オセロ』。かのオーソン・ウェルズが監督・主演して1951年に映画化したって、知ってました?


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