295回 11モンキーズ


猿害に悩まされている。猿害、ニホンザルによる被害のことだ。
いま住んでいる場所は標高600m程度の山麓部の林の中で、キツネ、タヌキ、キジなどの野生動物をよく見かける。時折ツキノワグマも降りてきて騒動になることもあり、以前洗濯物を干す紐をかけている裏の木に爪痕が付いていた時はぞっとした。リスもいたのだが、最近は林も切り開かれて新しい家が建つようになったので、姿を見かけなくなった。リスは梢伝いに移動するので、木々が隙間なく生えていないといけないのだそうだ。
そしてニホンザルだ。10年程前までは、少し上の山麓に沿うように通っている交通量の多い道路から下には降りてこなかった。もっと上の方にある有名な蕎麦屋に行った時に、塀の上にいるニホンザルを見て驚いたものだ。それが今はどうだ。何か音がすると気付いて見ると、我が物顔で家の屋根の上を走り回るサルたち。家の周りの木では子ザルたちがキャッキャと遊び、窓の外を見ると丁度目が合った親ザルに威嚇される。なんでもイタズラするので、家の外に下手なものは置いて置けない。クルマのカバーが引き裂かれて、ご丁寧にその上に排泄物まで残していったのには頭にきた。

たまりかねて市の鳥獣対策課に連絡して来てもらったが、追い払うしかないということで、ロケット花火を数本渡されただけだった。林の中で花火など火を使う物は火事が怖くて使えやしない。
仕方がないのでオモチャの拳銃を買ってみたが、「パン、パン」という程度の可愛い音では、全く効果がない。最初こそ逃げるふりをするが、実害がないとわかると平然としている。拳銃ではダメかともう少し大きいオモチャの銃、それもダメならハンドガンクラスのオモチャの銃と段々にスケールアップしてみたが、いずれにせよオモチャであることには変わりない訳で、音で脅かすだけではすぐ慣れてしなう。
こちらが血相を変えて追いかけても、あちらはちょっと離れるだけなので、まるで「バーカ、バーカ」と嘲笑されているような気分になる。数匹程度ならまだしも、群れで来られたりすれば多勢に無勢、圧倒的にこちらが劣勢である。
ニホンザルを観察したことのある方はお分かりだと思うが、成獣のオスは物凄い牙を持っているので、かなり怖い。噛む力もかなり強く、噛まれたら骨にも達するそうだ。たとえ1匹でも、襲ってこられたら到底敵わないので、おいそれとは近寄れない。
かくして屋根の上でサルたちがはしゃいでいても、去る(駄洒落ではない)のをじっと待つしかないのである。

ニホンザルはその名の通り、日本にしか存在していない。
ヒトを除く霊長類ではもっとも北に生息する、日本固有のサルである。積雪地帯にいるニホンザルは「snow monkey」と呼ばれ、子ザルが雪玉を抱えて歩いている愛らしい写真が世界中で人気となった。長野県の北部、志賀高原の近くにある地獄谷野猿公苑では、世界で唯一温泉に入るサルを見ることができるため、外国人観光客に大人気だ。
ニホンザルはオナガザル科マカク属に属するサルで、北海道と沖縄を除く全国に分布している。体長50~60cm、体重8~15kg、寿命は20年から飼育下では30年と言われている。野生では、様々な植物の葉、果実、種子、樹皮から昆虫まで食べる雑食である。ライチョウの雛が食べられたという報告もあるので、食べられる物ならなんでも食べるのだろう。
それでも味にはうるさいらしく、一度美味しいものがあることを覚えてしまうと始末に負えない。近くの林檎果樹園でたわわに実った林檎を、まるで林檎食べ放題のビュッフェのように食い散らかしている群れを見たことがあった。その被害にあった果樹園はたまらずに、その後電気柵を張り巡らしている。

ニホンザルと言うと、動物園のサル山を思い浮かべる人も多いだろう。サル山のボスザルという言葉も、比喩としても使われるほどお馴染みだ。
しかし実はニホンザルの群れには、ボスザルというような存在はいないのだそうだ。10匹程度から100匹超の群れを作り、群れは主にメスと子どもで形成され、オスは一定数にとどまる。群れの中で個体間の順位はあるが、ボスザルは存在しない。母系社会で、メスは同じ群れで一生を過ごす。オスは5歳くらいになると群れを離れて、単独で離れザルになる個体やオスだけのグループを作ることもあるが、別の群れに合流することが多い。活動は主に日中で、夜は眠る。
長野県の農林業に対する野生鳥獣の被害は、被害総額が7億円を超える。内訳は、1位がニホンジカ、2位が鳥類で、3位をニホンザルとツキノワグマが争い、イノシシが続く。特に松本・安曇野地域はサルによる被害が多く、農作物だけでなく、物損や人的被害も起こっているので深刻だ。
ニホンザルは視覚・聴覚・臭覚は人間とほぼ同じだが、味覚に優れていて、一度食べたものの味は忘れずその場所や時期も覚えているそうだ。なのでまさに「味をしめる」とまたやってくるので、タチが悪い。知能は幼稚園児位、そして運動能力は人間の比ではなく、2m程度の高さは飛び越えられ、100m15秒で走る。犬歯いわゆる牙はオスでは太く長く、噛む力も強い。ただしニホンザルは肉食獣ではなく主食は木の葉なので、この犬歯は肉を噛みちぎるためではなくオス同士の威嚇に使われていると考えられている。だからといって噛まれない訳ではないので、サルに遭遇したら無視して後退りでそっとその場を離れるのが一番だ。

行政もサル対策には頭を悩ませているようだが、手をこまねいている訳ではない。
被害があるから退治すればいいというのは短絡的な考えである。ニホンザルもまた日本の生態系を構成する一員であり、古くから我々の近くで生きてきた隣人(隣猿?)である。昔は狩猟資源として、つまり食用にもされてきたそうだが、戦争中の食糧難で乱獲されたり環境の変化で全国的に生息分布が減少したため、1947年(昭和22年)からは狩猟鳥獣から外れて現在に至っている。
長野県では「鳥獣保護管理法」に基づき、科学的・計画的な管理によりサルと人が緊張感あるすみ分けを図り、ニホンザル個体群の長期にわたる安定的な維持及び農林業被害の軽減と人身被害等を防止することを目的とした「長野県第二種特定鳥獣管理 計画(第5期ニホンザル管理)」が定められている。市町村が群れの生息状況や行動域等を把握した上で、電気柵や電動モデルガンなどを使った追い払い、モンキードッグといった複数の防除技術を組み合わせた総合的な対策を実行するとしているが、実際は効果が上がっているとは言えないのが現状だ。
安曇野市でも「ニホンザル追い払い隊」を結成してパトロールなどの活動をしているが、我が家の周辺ではまだサル達は我が物顔で過ごしている。クルマが来ても道の真ん中にいる群れがどかないなど、すっかりなめられているので、サルとの穏便な共存の道は遠い。

ヨーロッパや北アメリカ、つまり欧米にはサルは生息していない。人間のすぐ近くにサルが生息しているのは、アジア・アフリカ・中南アメリカである。
不思議なことに、それぞれのサルはどことなくその土地の人間に似ている。いや、人間がサルに似ているのか。ニホンザルなど、どこかで見たことのある顔をしているのには苦笑してしまう。これほどそっくりな存在が近くにいると、人間が一番偉いなどという思い上がりはなかなか現れにくいのではないだろうか。40歳代以上の方は覚えているだろうが、初代ウォークマンのCMに登場した、ウォークマンを手に音楽に聴き入っているかのような表情のニホンザルを見た時は、人間のなんたるかを考えさせられてしまった。
我々の近くにずっと存在してきたニホンザルは、古くから神の遣いとされてきた。特に馬を守る存在として、厩でサルを飼ったり、サルに舞を踊らせてまじないとしていたという。これが後の「猿まわし」となったそうだ。1165年に後白河法皇の要請で描かれた「年中行事絵巻」の中に、猿を連れた猿まわしが描かれていたり、鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡」にも「猿舞」の記載があったりと、歴史は長い。江戸時代には幕府直属の職業として認められていた。
明治時代以降は大道芸として生き残ってきたが、1950年(昭和30年)代半ばには一度途絶えてしまう。それを1978年(昭和53年)に山口県で「周防猿まわしの会」が復活させ、現在は「日光猿軍団」などでも猿まわしの芸は観ることができるが、動物福祉の面などからは批判も出ている。

我が家の屋根を飛び回るサル達はみな、動物園の猿山のサルよりもずっとふくよかでふさふさの毛を備えている。それはもう見事なものだ。
山を降りて人里に来れば、美味しいものを食べられるかわりに、駆除されてしまう危険も待っている。人間が彼らの領域を侵犯すると同時に、ニホンザルも人間の生活に入り込むようになってしまった。これはニホンザルだけでなく、クマやシカにも言えることで、どうすれば上手く棲み分けができるのか、難しい問題であることは間違いない。
とにかくうちの屋根で遊んでいないで山に帰ってくれるように、「ニホンザル追い払い隊」に希望を託す毎日である。


登場した動物:サル
→平安時代にはサルは「ましら」と呼ばれていた。語源はサンスクリット語でサルを表す「摩斯咤(マシタ)markata」からきたという説もある。「ましら」が「ましこ」になり、更に「まさる」に変わって「さる」となったというが、無理があるような気がする。サルのことを「エテ公」と呼ぶことがあるが、これは「サル=去る」を忌み言葉として「エテ=得手」と言い換えたそうだ。なにもそこまで忌み嫌わなくても。
今回のBGM:「Monkey Magic」by ゴダイゴ
→サルといえば孫悟空。TVドラマ「西遊記」「西遊記Ⅱ」のオープニング・テーマとして、エンディング・テーマの「ガンダーラ」と共に大ヒットした。三蔵法師役は当初坂東玉三郎に依頼したが、即断で断られたそうだ。玉さんの三蔵法師、観てみたかったな。


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