269回 ランドリー・ブルース
洗濯物を干すのが好きだ。因みに畳むのはそれほど好きではない。
注意してもらいたいのは、洗濯が好きなわけではないということだ。
脱水が終わった洗濯機から洗濯物を取り出す。絡まりを解きほぐしつつ、何種類もあるハンガーの中から適切なものを選び、よくシワを伸ばし形を整えて吊るす。どの順番でハンガーにかければ効率が良いか、しっかりしたハンガーはあと何本あるのか、この洗濯物に使うとして残りは何本か、細いハンガーに適したのはどれか、ピンチハンガーに吊るす際に重さのバランスをどう取れば傾かないか。
余計なことは何も考えず、ただそれだけに集中できることなどそうはない。それが私にとって、洗濯物を干す時間なのだ。その後外に干すか内干しにするかはまた別の話。
人類はこれまで何千年もの間、洗濯に多大な時間と労力をかけてきた。特に女性にとっては、家事の中でも特別大変な仕事だっただろう。
洗濯の起源。これもまた古代エジプト、紀元前2千年頃の壁画に洗濯をする様子が描かれているそうだ。ただ古代オリエントも負けてはいない。こちらは紀元前3千年という記録もあるので、まあ同じような時期に洗濯という概念が人類に生まれたであろうことは予想できる。
洗濯は衣類の歴史と密接な関係がある。ネアンデルタール人やクロマニヨン人の時代は、衣類といっても毛皮をまとっていたので、洗うことはせず使い捨てだったろうと言われている。それが服として麻・羊毛・綿といった素材が使われるようになってくると、どれも貴重なものであるので大切に長く着られるような工夫が必要となる。
埃や水溶性のシミは水洗いで落ちる。なのでまずは川で洗うことから始まり、水が出るということで井戸も使われた。水のないところでは砂で洗うこともあったそうだが、それでは埃は落ちるがシミは落ちないだろう。
身体に触れていれば垢や脂も付着するし、食べ物などの脂溶性のシミも付く。布は織物なので繊維の間にそのような汚れが入り込めば、冷たく感じるし保温性も悪くなる。そこでまず人類は、水よりもお湯の方が汚れがよく落ちることを発見した。洗濯に於ける最初の改革と呼ばれる所以である。
そしてより繊維の中の汚れまで落とすために、揉んだり踏んだり棒で叩いたりといった荒技を行なったのだ。服にしてみればたまったもんじゃないと思うが、古代ギリシアの叙事詩「オディッセイ」の中で、王女ナウシカ(!)が川で踏み洗いをしている様子が描かれているというから、ごく一般的な方法であったことは間違いない。かえって柔らかくなったり光沢が出たりして喜ばれたという説もある。
物理的な洗浄だけでなく、化学的な洗浄も洗濯の歴史には寄与している。
紀元前3千年頃、古代エジプトでは湖から得た天然炭酸ソーダ(ナトロン)、古代オリエントでは木を燃やした灰から得た灰汁(あく)を、洗浄剤として用いていた。灰汁には炭酸カルシウムまたは炭酸ナトリウムという強アルカリ性の成分が含まれているので、それが脂溶性の汚れを分解する。この灰汁は19世紀後半まで世界中で洗濯に使われてきている。
もちろん日本も例外ではなく、江戸時代まで灰汁は標準的な洗浄剤であった。奈良時代から、サポニンという泡立ちを起こす成分が含まれるサイカチの鞘やムクロジの果皮も洗濯に使われたが、洗浄剤の主流はあくまでも灰汁だったようだ。
石鹸「Sapo」の語源は古代ローマの「サポーの丘」からとされるが、石鹸自体はもっと古く、紀元前2千5百年頃のシュメール人の粘土板に作り方の記録が残されているという。ただこの石鹸は医療や羊毛の洗浄に使われたそうで、衣類の洗浄に用いられた記録はない。石鹸は高価で貴重なものだったので、この後長らく衣類の洗浄剤としてはマイナーな存在であった。
古代ローマでは、し尿を発酵させたものを洗浄剤として使っていた。これは発酵でできたアンモニアが油脂を分解する働きを持っているためである。古代ローマの街角では、洗濯屋が尿を集めるための桶が置かれていたという。この商売は白いトーガと呼ばれる服を白く保つためたいそう儲かったので、ついには税金がかけられるに至ったそうだ。
尿を洗浄剤として用いる習慣は、古代ローマだけでなく世界各地に存在している。人類は貪欲になんでも使えるものは使ったのだ。
叩いたり踏んだりという労力は半端ではない。
長らく洗濯は一大イベントであった。なので当然頻繁にはできない。中世ヨーロッパでは、月曜日が洗濯日とされていたが、実際は1日で終わらないため、多くても2~3ヶ月に一度、それどころか年に2回村中が集まって洗濯場で洗濯をするという社会的行事として行われることもあった。汚れの悪魔を追い出した「洗濯祭り」の様子が、数多くの絵画に描かれたというから、本当に一大イベントだったのだ。
日本では江戸時代までは踏み洗いが普通であったが、江戸時代に入ると桶で洗う揉み洗いとなる。そのずっと前、室町時代から洗濯を仕事とする業種が存在していた。それが「紺屋(こうや)」と呼ばれる藍染めを生業とする人たちで、日本中の城下町にいたという。紺屋は洗濯業も兼ねていたのだ。
江戸時代には、水仕女(みずしめ)」という女性が大名家や裕福な商人の家々を回って洗濯をした。元禄時代になると、江戸では「洗濁屋」、京都では「洗物屋」と言う商売があったそうだ。
ヨーロッパでも16世紀頃から、女性の職業として洗濯女があった。いずれにせよしゃがんだままあるいは立ってでも、無理な姿勢で水を吸って重くなった衣類をゴシゴシ洗うのは重労働である。
洗濯の道具として洗濯板が登場したのはごく最近、18世紀末のことである。それもはじめはただの平らな板だったが、それにギザギザの鋸状の刻みがつけられより効率的に洗えるようになった。
日本には明治時代中期にこの洗濯板が導入されたが、私が子供の頃まだこの洗濯板を見たことがあったので、本当につい最近まで洗濯は原始的で大変な労力と時間を要するものであったのだ。クリーニング業の始まりは、1859年に横浜で西洋式の洗濯業を営んだ青木屋忠七と言われており、それに因んで横浜にはドライクリーニング発祥の碑が立っているそうだ。
大正時代になると手回し式洗濯機が登場するが、かなり高価なものだったため一般には普及しなかった。これはまだ脱水はできず、手で絞るほかない。電気洗濯機は20世紀になってすぐアメリカで発明された。
昭和30年代になると電化が進むが、脱水が簡単にできるようになるのは、昭和50年代に2層式洗濯機が出てからというから、本当に最近まで如何に洗濯が大変だったか。話は逸れるが、今では「2層式」というのは「洗い/すすぎ+脱水」ではなく「洗い/すすぎ/脱水+乾燥」を指すそうだ。
今では乾燥までやってくれる全自動洗濯機が主流となっており、洗濯は洗濯物と洗剤を放り込めば後は取り出して畳むだけという場合も多い。
我が家の洗濯機は脱水まで(風乾燥という機能はあるが)で乾燥機はないから、どうしても手で干すという過程が必要となる。日本では「汚れたら洗うではなく、着たから洗う」という意識なので、ほぼ毎日洗濯をする人が多いそうだ。
きれいになったねと心の中で声をかけながら、今日も洗濯物を無心に干す私であった。
登場したアイテム:洗濯板
→一昔前まで「洗濯板」といえば、胸が豊かでない女性(今や貧乳という言葉は差別用語だろう)の代名詞だった。酷い話だ。
今回のBGM:「フォルスタッフ」 ジュゼッペ・ヴェルディ作曲・リッカルド・ムーティ指揮/ミラノ・スカラ座管弦楽団演奏
→シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を元にしたオペラ。主人公のフォルスタッフが女性陣の企みにより、身を潜めた洗濯カゴごとテムズ川に放り込まれる場面がある。
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