201回 ドーナツの穴


昨今の健康志向からすると、ドーナツというのはかなり背徳的な食べ物と言わざるを得ない。
なんといっても油で揚げて砂糖をまぶしてある。カロリーのことなど考えていたら食べられやしない。ドーナツ1個で軽く300kcalを超えるのは普通だ。このところの傾向で「品の良い甘さ」などというものになっているが、ドーナツにおいてそれは邪道と考える。
ドーナツはしっかり甘くなくてはならない。

日本では戦前からドーナツは家庭でも作られていたという。沖縄のサーターアンダーギーもドーナツの仲間と言えるし、中国の開口笑という菓子など世界各国に同様の菓子は存在している。
日本においてドーナツの存在を一気に広めたのは、やはりミスタードーナツの功績が大きい。ミスドを全く業種の異なる玄関マットのリースなどで有名なダスキンが運営しているということは、知る人ぞ知るといったところだろう。日本に進出したのはダンキンドーナツの1970年の方が早い。名前が似ているダスキンの創業者である鈴木清一が、間違えられるくらいならいっそドーナツ屋もやってしまえと、渡米してミスタードーナツの創業者であるハリー・ウィノカーに会って事業提携を決断したという話が伝わっているが、本当か。
ミスドは1971年大阪の箕面に第1号店がオープン、その後はフランチャイズを増やし現在に至るまで、日本におけるドーナツの代名詞となっている。それに引き換え元祖のアメリカには、今ミスタードーナツは存在しない(厳密には1店舗だけあるのだがこれは特殊な事情による)。ダンキンドーナツの共同経営者であったウィノカーが1956年に独立して開業したミスタードーナツは、結局1990年にダンキンドーナツに吸収合併されて消滅してしまった。
ミスドはいまや名目共に日本の会社なのである。

2006年にクリスピー・クリーム・ドーナツが上陸して、大流行となった。一時は一等地にあった店舗に長い行列ができて、特徴的な平たく大きな箱を持った人にどこででも会えたものだ。
アメリカ由来のしっかりと甘いそのドーナツを私は結構気に入っていたのだが、ブームはあっという間に去り店舗も激減してしまった。その上日本人好みに2019年頃から甘さを加減したそうで、ますますがっかりしている。

実はドーナツの製法には2種類ある。
ミスタードーナツのオールドファッションのサクッとした食感は、ケーキドーナツと呼ばれるベーキングパウダーでふくらませる製法のものだ。一方クリスピー・クリーム・ドーナツのふんわりとしたパンに似た食感はイーストで発酵させる製法でできている。
ドーナツは、オランダで15世紀くらいから作られているオリーケイクという揚げ菓子が原型と言われている。17世紀イギリスの清教徒が迫害を受けてオランダに渡り、その後新大陸への植民と同時に伝わったそうだ。
ドーナツは英語の「DOUGH=生地」+「NUTS=クルミなどの木の実」が語源という説が一般的だ(これには別の説もある)。元々は中心にはクルミが置かれていたので、19世紀のドーナツに穴はなかった。いつ頃から穴が空くようになったかは、なかなか歴史学的にも難しい問題らしい。

ドーナツの穴というのは、哲学的なテーマにもなり得る。
つまり穴とはなにかということだ。穴とは空間自体を指すのだろうか。そうなると穴が別の場所に移動すれば、そこは空間としては異なるものとなってしまうので齟齬が生じる。
そもそも穴とはどこからどこまでを指すものなのだろう。穴はそこになにかを埋めることができる場所という定義をすることもできるが、そうなるとその埋めるという出来事に依存することになり、単なるモノではなくコトとの間にあるものではないかと、ある哲学者は述べている。
そして面白いことに、哲学的には穴は埋まっている時にこそ穴であるにもかかわらず、言語学的には穴は埋めたらそれはもう穴ではなくなるという相反する現象が起きる。このあたりは『失われたドーナツの穴を求めて』という本に書かれているのだが、学問というものの面白さがよくわかる。
『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』に挑戦した学者たちもいる。
穴は奥が深い。

2008年に豆乳とおからが原料の「はらドーナツ」が人気となり、ドーナツにも健康志向が訪れた。
2015年頃から大手のコンビニがイートインスペースを店内に作って、コーヒーとドーナツというアメリカンスタイルを提唱して、コンビニのドーナツがブームとなったことは記憶に新しい。
今はSDGsへの取り組みから、オーガニック素材やヴィーガンといったより社会的要請に合ったドーナツも人気となっているそうだ。
ドーナツはケーキよりも手軽で敷居が低い。値段もそう高くなく、気軽に食べられて満足感も高い。しっかり甘いドーナツはいろんな意味で危険なのだが、時々無性に食べたくなる。
ドーナツはあまり意識が高くならなくていいので、身近な存在であってほしいと思う今日この頃である。


登場した成分:油と糖
→この組み合わせは最強(最恐?)なのである。ある実験で猿の群れにふかし芋を与えてみたところ、空腹が満たされる分だけを食べ、それ以上は残っていても食べようとはしなかった。それがその芋にバターと蜂蜜をかけて与えたところ、満腹になってもあるだけ抱え込んで際限なく食べ続けてたという。かくも油と糖の組み合わせは恐ろしい。
今回のBGM:「Do-Re-Mi」by ジュリー・アンドリュース
→ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する歌で、日本では「ドレミのうた」として知られている。「ドはドーナツのド」という歌詞は原語では「Doe, a deer, a female deer」でなんと雌の鹿である。和訳したペギー葉山が大好きなドーナツに置き換えたそうだ。

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