第124回 白馬物語


思い出す限り最初の将来の夢は、牧場主になって馬を飼うことだった。
動物学者になる夢の前なので、幼稚園に入る前後と思われる。
馬が好きだったというのが理由だが、いまだに牧場主どころか、乗馬もできていない。非常に忸怩たる思いである。

その頃上野動物園には、子供を乗せて引き馬をしてくれる馬場があった。いまでもポニーに乗せてくれる動物園はあるようだが、当時の上野動物園では子供を普通の馬に乗せてくれた。
馬を間近で見たことがある人はおわかりだろう、馬という生き物はかなり大きい。平均的な馬の体高は150〜160cmある。ちなみにこの体高、よく勘違いされているようだが、頭までの高さではない。地面から肩の一番高いところまでの高さである。頭の高さは入っていないため、実際の馬の頭は更に高いところにあるわけだ。
馬に乗るということは、150cm以上の高さに座ることに等しい。落ちたらどうなるか容易に想像できる中途半端な高さは、なかなかに怖い。
馬から落ちて落馬して、というリダンダンシィなフレーズがある。移動手段として馬が生活の中に存在していた昔は、落馬はもっと身近な脅威であっただろう。今でも時々落馬事故の報道はあり、有名なところでは「スーパーマン」を演じたクリストファー・リーが、落馬によって脊髄損傷を負い下半身不随となった事故がある。乗馬ではまず落ち方を練習するという話があるほど、落馬の危険は常に意識しなければならないのだ。
大人でも怖いのに、幼児にとって150cmはかなりの高さである。その動物園の引き馬で、親が良かれと思って子供を乗せても、恐怖のあまり泣き叫ぶ子供は多かった。そうでなくてもベソをかいたり怯える子供が多い中で、来園する度にせがんで意気揚々と(証拠写真が残っている)乗っていた私は、単に怖いもの知らずというよりやはり馬が好きだったのだろう。

乗馬こそ叶わなかったが、馬が走るところを見るのは好きだ。
賭け事に興味はないので競馬の馬券を買ったりはしないが、重賞レースの映像などを見るとわくわくする。卒業研究で所属した研究室の仲間に競馬好きがいて、一度だけ講師の先生を含む研究室のメンツ全員で、彼の助言に従って馬券を買ったことがあった。予想は当たらなくても、彼の講釈を聞きながら競走馬に思いを馳せるのは、なかなか楽しい経験であった。
日本で競馬といえば平場を走るのが普通だが、本場英国の競馬の王道は障害物競技だ。その中でも頂点に君臨するのは、毎年4月にリヴァプール郊外のエイントリー競馬場で開催される「グランドナショナル」と呼ばれる大障害レースである。7000m弱の距離に計16個設置されている障害を、述べ30回飛び越す。障害の中には160cmの高さのものもあり、何十頭といる出走馬のうち、無事に完走できるのは10頭を切ることも珍しくない(2頭の年もあった!)という、世界一過酷なレースと言われている。
グランドナショナルは1836年に創設された由緒あるレースだ。これだけの歴史があると数々の有名なエピソードが存在している。1956年に「競馬」シリーズの小説でも名高いディック・フランシスがまだ騎手だった時に、ぶっちぎりで優勝すると思われたゴールまであと50mの所で、馬がいきなり座り込んでしまうという事件があった。怪我をしたとかでもなく今でも原因は謎に包まれているそうだ。
1981年には、癌で余命8ヶ月の宣告を受けていた騎手のボブ・チャンピオンが、同じく骨折で安楽死処分されそうになった名馬アルダニティに騎乗して、グランドナショナルを制覇した。人馬共不可能と思われた状況を克服しての大復活劇であり、これは「チャンピオンズ」という映画にもなっている。

旧石器時代から人は馬と接してきた。ラスコーの洞窟の壁画には馬の絵が残っている。紀元前4000年頃から馬は家畜化され、馬車として農耕馬として、そして遊牧民の足として、人間の生活とともに存在してきた。
日本の東北地方に伝わる”オシラサマ”は、柳田國男の「遠野物語」で有名になった、少女と馬の異種婚姻譚である。馬は遠い昔から我々の身近な存在なのである。
いまからでも遅くはない。乗馬ができる馬場が近くにあるか、探してみよう。馬の背から見る風景は、きっと違う世界になるに違いない。


登場した映画:「チャンピオンズ」
→主人公を演じたのはジョン・ハート。終盤の5分はただひたすらレースの模様を映し出す。次々と出走馬たちが障害を越えられず脱落する中、一人と一頭が文字通り人馬一体となってゴールする場面に、号泣した。
今回のBGM:「25の練習曲」 ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルクミュラー作曲
→ピアノを習った人で「貴婦人の乗馬」を弾いたことがない人は珍しいのではないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?