性被害だと言えるようになるまで〜諦めた学生時代〜
前回の記事で自覚した事までの過程を書きました。
私がこのように外に言えるようになるまでの話を書きます。
長くなると思うので分けて書きます。
憚る学生時代
性被害を自覚した時は学生で、たびたび動悸などがして私自身を蝕みました。これは困ると思って、何度も外の誰かに相談するために言おうと思って伝えようとはしました。何度も外に伝えようとしました。
でも、ダメでした。結果的に何でも出来ませんでした。理由としては
医者に頼るにも経済的に余裕がない
親起因での症状もあるので親に頼るのはかなり抵抗がある
性被害のことを伝えようにも伝えようとすると体が硬直してしまい伝える術がない
のようなものがありました。
精神的に辛いとなれば精神科でカウンセリングと治療が必要になります。ただし、それらの料金を合わせるとすぐに1万円とかになってしまいます。学生の私には余裕がありませんでした。
お金の問題であれば、親とかに頼るのは?と思うかもしれませんが
でも書いたように、親起因だったため、この選択は出来ませんでした。
硬直して伝えられない
さて最後の「伝えようにも伝えようとすると体が硬直してしまい伝える術がない」ですが、とにかく手強かったです。
言葉にしようとすると、何故か体が重くなります。
口を使えば、口が開かなくなり、ならば文字だと思えば、手が震えて作業が出来ず。
まるで見えない枷がついているかのようでした。何故か、言葉に出来ないのです。頭にある言葉を出すとかでなく、頭の中にそれらを説明するための言葉が浮かんできませんでした。映像の記憶はあるのにです。
言葉として、それを解釈することができなかったのです。
そうして向き合うのを諦めた
このような事情もあり、学生の私は諦めました。
むしろ、相談や治療には否定的ですらあったかもしれません。
実際に
伝えられたところで、医者に行ったところで、私の何が救われるのか?
小さい時の事をただの気にし過ぎ、認めたら戻れなくなるのでは?
そもそも伝える手段がないのにどうやって?
と疑問すら思い浮かべたほどです。
結果として、学生時代はとにかく無理にでも意識を逸らす努力をしていたように思います。授業だったり、研究だったり、期限のある課題だらけなので、それを言い訳に考える時間をから逸らしました。それなりに充実した生活は送れたような気がします。
ですが、そうして都合の悪いところを誤魔化しつつ、私は学生時代を終えるのでした。
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