実家が苦しいから1人暮らしすることにした
noteでキーボードを打つ期間が空いてしまった。
何から話そうか…
まず、報告です。念願の1人暮らしをすることになりました…!!
嬉しい。嬉しすぎて、飛び跳ねるどころか慎重に物事を進めています。本当に1人での生活が始まるまで、現実になるまで期待しないように。
本当に苦しかった。noteでは「実家 ストレス」「1人暮らし できない」など似たような環境で似たような感情を持っている人の記事を読んでは少し励まされ、ストレスは溜まる一方で…
契約を終えてひと段落したので、記録していこうと思います。
実家の話
話し合いの場に限定した話、母は怒りやすい訳ではないが、父との相性がすこぶる悪いようにみえる。実際、仕事の話になると大体怒鳴り合い(大声で意見を言って圧を掛け合う)になる。私が小さい時に両親が事業を立ち上げてから、ずっとそんな環境でご飯を静かに食べていた。
私は父はともかく、母が大好きだ。(父に関しては以前記事にしています)
だけど物心ついた時から、母に無意識にずっと気を遣う娘になっていたから、母が笑っている時はすごく楽しいし、母が怒ったりイライラしている時はこれ以上怒らせないように静かにして遊んだりしていた。
心の緊張が解けた瞬間に両親の張り詰めた空気に圧倒されたり、そんな環境の変化に、私の心と体は敏感すぎるほど影響される体質・性質なのだと知ったのは「HSP気質」という言葉が世に浸透されてからになる。
耳ストレス
これはうつ病が寛解してからの変化なのだが、聴覚が敏感になったため急な大きい音にストレスを感じるようになった。
心がギュウウと締め付けられる感じで胸が苦しくなる。耳ストレスと名付けておく。
実家は壁が薄いので、リビングの壁に隣接している私の部屋は、両親の怒鳴り合いになりそうな声も、イライラで大きくなる足音も、大きなため息まで聞こえてくることがある。毎日。
だから部屋にいる時は極力イヤホンでNetflixを見ていたり、寝る時は耳栓をしたり(朝の怒鳴り声が聞こえないように)している。母に「イヤホンにしないでスピーカーで(動画を)見ていいのに」と言われたけど、返す気の利いた言葉が見つからなくて、苦笑いだった。
本当は静かに本を読んだり瞑想する時間を取ったりしたいのだけれど、なかなか時間を作れないのも苦しかった。
四六時中激しい音が聞こえる訳ではないけど、いつ大きな音が来るかわからない中での生活は、実家暮らし3年目になろうとしていた今、限界を超えたようだ。
1人暮らしを提案できない親の圧
2年前に一度、1人暮らしをしたいと伝えたことがあった。
その時はまだうつ病の治療中で、体調が良いと崩れる日の波があった頃だったのだが、耳ストレスを感じ始めた頃だったので実家暮らしに苦痛を感じ始めていた。
母にそれとなく、1人で暮らしたいな〜と伝えてみた。
「そんな状態で1人で暮らそうだなんて、理解できない。甘えるな。2度と言わないで」
当時は母にそう言われた。病気の治療中で実家に助けてもらってる身だったので当然だと今なら思う。でも、あのストレスは2年も続いたので、たしかに本物だった。
それから、1人暮らしの為に、お金を貯めようと決意した。ストレスを感じた時はSUUMOで部屋を探したりYoutubeでルームツアーを見て、気持ちを未来に向けた。
実家戻りになってから「〇〇(私)がいてくれてよかった〜!」と言われることが多くて、ずっとここにいてほしいという母の心の声が聞こえた気がして、貯金がある程度できても、なかなか言い出せなかった。
ストレスは続いた。
限界
そして2023年になってから、うつ病は寛解した。同時期にPMSの症状が始まり、定期的に生理前が来るたびに症状は重くなる。
なんとなく、実家でのストレスが関係している気がした。
父が私の布団の中で寝る愛猫を触りたくて、私がいない間に部屋に入っていること、母がノックなしで部屋に入ってくること、壁越しに聞こえる両親の声、入浴中でもトイレ中でもドア越しに話しかけてくること、1人で静かに過ごす時間がないこと。
3年間かけて、苦痛が大きくなったんだと思う。この半年間は睡眠不足になりがちで、一晩で何度も目が覚めることがあった。
そして先月、両親の怒鳴り声がイヤホンをしていてもなんとなく音の響きが伝わってきて
死にたいなあ
と一瞬、口からこぼれた。
この数年間、いや学生時代も含めても「ああ、これはもう限界だ」と思うことは何度もあった。死んでほしいと思ってしまうことも正直あった。けど、自分自身が死にたいとまで思ったことはなかったと思う。
私はうつ病の時に未遂をした経験から、死にたいと思うくらいならその場から逃げていいと思えるようになった。うつ病での大きな経験値だ。
早速物件を探して、初期費用を計算して、自分の中で計画を立てた。
何度も頭の中で話の切り出し方を練習して、母の機嫌と言うタイミングを何度も見計らって、「限界」を感じた3日後に告白をした。
正直に、家でリラックスできずに苦しんでいること、1人暮らししたいことを伝えて、なんとか理解を得た。
理解を得たなんていうと、「理解してもらわなくても、もう社会人だから自分の好きなようにして良い」という意見を知恵袋で見たけど、現実はそうはいかないから大変なのだ。
だから、両親が理解してくれたことにとても感謝している。
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契約を終えた今、1人暮らしできることにホッとしています。
家族も大切にしたいけど、私は私の一度きりの人生を生きたい。
理想の暮らし、1人暮らしでやりたかったことがたくさんあるから、またそのことも書きたいなあと思っています。
殴り書きならぬ殴り打ち込みの拙い文章でしたが、読んでくださりありがとうございました。
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