見出し画像

日銀ETF出口戦略妄想

■植田新日銀総裁の異次元緩和出口戦略は如何に?

24日に行われた植田日銀新総裁の所信聴取が話題になりました。

市場関係者はここで これまで黒田総裁が進めてきた異次元緩和政策の転換がされるのではないか と危機感を持ってこの聴取を固唾をのんで見守っていましたが、明確な転換を示す発言はなく、現在の物価高騰に関してもコストプッシュ型インフレなので令和5年後半には下がるとの見方を示し、今の緩和政策継続を少なくとも安定的物価上昇が2%になるまでとの見方を示しました。

この発言でマーケットは買い戻され、為替も一時135円台まで円安が進みました。

こういう動きを見ていると投資家はプロもアマもマクロ動向が最大のカタリストであり今後も株式市場動向を決めることになるのを改めて感じました。

一方で物価上昇率がこのまま上がり続けた場合、日銀は緩和的政策を転換することを意味しますので、一部では日銀ETF売却か?などという記事も散見されるようになっています。

そもそも日銀ETF買いオペレーションが始まった時、いくつかの転換点があることは容易に想像できました。

買い入れ期から買い入れ金額低下、買い入れ頻度低下そして停止。 最後に処理の話です。

現状は買い入れ頻度低下時期でストップされていません。

釈迦に説法ですが少し政府の株式維持政策の歴史と黒田日銀総裁のETF購入に関するまとめをしたいと思います。

■公的資金による株式維持政策の歴史

日本は大規模な経済的な危機が起きると必ず政府や日銀が何かしらの介入を行いその危機を救済 しようとするアクションを取ってきました。

その昔株価維持ではないですが 1965年(昭和40年)5月28日 に日銀が証券会社向けに事実上無担保・無制限に特別融資することを決めたいわゆる 日銀特融が有名です。まず大手の山一証券が対象になり、2カ月後の7月には大井証券にも特融が実施されました。

これは1964年に銀行主導で日本共同証券が設立され東証1部上場の優良企業や日経ダウ平均に影響のある株のみ買い入れたことが上手く行かず山一始め証券不況が一層厳しくなったことを受けての措置でした。

日本共同証券自体株価維持というよりも銀行の担保価値維持が目標だったとも言われています。

その後 日本証券保有組合 設立で購入株式の範囲が広がりました。

しかしながら60年代後半から買い入れ銘柄の放出が始まります。

日本はOECD加盟後海外から資本市場開放の圧力 があり、外国企業からの買収防衛策として銀行と企業の株式持ち合いをこの放出株の買い手に使いました 。

当時 金融機関と事業法人の株式保有比率は金融機関と事業会社の株式保有比率は 1964年度末の各々21.6%、18.4%から1969 年度末にはそれぞれ30.7%、22.0%に上昇したとのことです(東証の資料)

ご理解いただけると思いますが、近年の株式市場、特に金融機関はこの持ち合い株の呪縛で動きが非常に限定的になっています。

もちろん世界的なルールの影響で自己資金運用の制限はかかっているとはいえ、金融機関が投資主体別投資家動向を見ても常に売り手なのはこのためです。

事業法人に関しては持ち合い解消の売りは出るものの 自社株買い という流れが一方であるので今の株式市場では引き続き買い手であることはご存じのとおりです。 

続いてバブル崩壊後1992年に始まったPKO(Price Keeping Operation)です。

バブル経済崩壊による相場の下落に対し打ち出された総合経済対策のことで、公的資金による株価買い支えのことを指しますが、広義に銀行保有株を一時的に買い取るための銀行等保有株式取得機構設立、空売り規制などの一連の株価対策を意味することがあります。

買いの主体は 郵貯及び簡保の自己資金 。それまでに 郵貯・簡保の株式組み入れ比率制限を撤廃 して開始されました。

これが始まった当初は市場で PKOが入っているという噂が流れると株価へ上昇のインパクト があったのですが、そのうちに格好の売り場だと考える投資家が出てきてインパクトは徐々に薄くなっていきました。

■日銀の株式買い入れからETF購入へ

日本経済はバブル崩壊の後処理にかなりの時間がかかっていました。(今でも薄くその影響は残っていると思いますが…)

特に金融機関の不良債権問題は日本経済の信用不安に繋がる重大な問題でしたし、現に 2003年にはりそな銀行が国有化されるという象徴的なイベントが起きてしまいました。

2003年4月28日には当時バブル崩壊後の 日経平均株価最安値7607.88円 を記録しリーマンショック中2008年10月27日の7162.90円を付けるまでは最安値として記憶されていた象徴的な時期です。

その前年である2002年、日銀は 株式買入等基本要領を制定

この基本要領は、金融機関による株式保有リスク削減努力を支援し、これを通じて金融システムの安定確保を図る趣旨で金融機関の保有する株式の買入等を行うために必要な基本的事項を定めるものでした。

2002年10月制定11月から買い付けを開始して2003年終了するまでに 約2兆円の金融機関保有株を買い取りました。

買取に関する買い方や銘柄も VWAPもしくは引け値 ですとか流動性や議決権に関する細かい取り決めもされていて、 2006年まで売却を始めないという明確な取り決めもされていました。

このオペレーションに関する賛否は当然あったものの当時は中央銀行が株式を購入する画期的な出来事として記憶されています。

そして 2010年から始まったETF購入 。

現状時価ベースで50兆円以上という巨大なポジションであることは言うまでもありません。

実はこの ETF買いは白川前総裁が導入したものなのですがが、当初の狙いは、リスクプレミアムの正常化を通じて株式市場の機能回復を支援すること。ところが黒田総裁のもとで、直接株価を押し上げることを通じて、経済、物価に好影響を生じさせることに、政策の狙いは変質していったという経緯があります。

投資家にとっては日銀ETF=黒田さんというイメージがありますが実は違います。

2021年のルール改定以降購入金額は激減しています。

■香港や中国の例 ─ 個人投資家の活用

実は英国から返還された香港は 1998年から日本と同じような株価維持政策がとられ半年で当時の香港株式市場の時価総額約6%分を購入しました。

その購入株式を ETF(トラッカーファンド 2800 HK)にして個人投資家に2002年までに売却しました。

テックバブル前で非常に良いタイミングだったこともあり PKOの成功例として有名な話です。

仕組みとしては香港政府が保有する株式をステートストリートに預けてETF組成、それを売却するといういたってシンプルな方式です。

中国では2014年に行った大規模なPKOの後処理の問題としてやはり個人投資家への売却を行いました。

それには 1年以上の長期保有者には非課税、1年未満には課税率50%というインセンティブを付与しました。

個人的にはもし日銀がETF売却に踏み切るとしたらこの辺りを検討するのだろうなと思っています。

■日銀ETF祭りの後始末の方法(私見)

実は2018年頃だったと思いますが、 東証経由で日銀からETFについてのヒアリングがありました。 当時日銀は別にETFを売却する意思はなく一応 出口戦略のアイデアをいくつか考えておこう という意図だったかと思います。

そこで僕が伝えたのは 香港モデルと公的年金買取モデルです 。

1)香港モデル

香港モデルで個人投資家向けにETFなりインデックスファンドのような形で販売する形は個人投資家のすそ野拡大に役立つのではないかという話をした記憶があります。

香港のケースと日銀のケースで決定的に違うのが 現物株で保有しているのかそれともETFで保有しているのか という点です。

ETF保有だとそのオペレーションをする際にETFを償還して一旦現物株式にする必要があります。

今日銀は様々なETF運用会社のETFを保有していて一旦それを株式に変えてそれを新たなファンドに組成し直すというオペレーションが発生します。

もしくは保有しているETFを運用会社に買い取らせて(価格やスキームは議論余地あり)、運用会社に販売させるという手もあります。その場合問題となるのが流動性です。

ETFですので流動性はあまり意味がないのですが、それでも個人投資家はそれぞれのETFを市場で取引するしかありません。

そうなるとそれぞれのETFで流動性の差が生まれてしまいます。

香港の場合 ステートストリートが1社で新たなETFを組成できたのでこのようなオペレーション的問題は起きませんでしたが、日本の場合オペレーションを練る必要があります。

しかし 個人的にNISA改正がされて新制度が2024年度から始まるというニュースを見た時これはもしかして日銀ETFの出口戦略の地ならしかな? なんてすこし思ってしまいました。

オペレーション上で考える点はあるにせよ、 制度的な整理もついているので今でもきれいな出口戦略だと思います。

調べると各運用会社がそのような戦略をある種期待していて、中には日銀の含み益還元で投資家にはディスカウントで販売できるスキームも紹介されています。

ただこれだと何らかのリスクを誰かが負わないといけないので、無理やり販売するだとかまた新たな問題が発生する可能性があります。

2)公的年金買取モデル

一方、公的年金買取モデルはGPIF始め大口のインデックス買い手として既に存在しますので、年金が購入する時に現物でクロスするということは可能性としてありだと思います。

この場合も ETFを現物に変えるオペレーションは必須です。

現在例えば GPIFは運用資金の25%が国内株式の割合でかつ現物購入ですから、株式市場の動向次第では売却しなくてはならないこともあります。また年金の買いが市場でなくなってしまうと相場の重要な局面で買い手不在ということになりかねません。(もちろん売り手もいなくなるわけですが)

また相場状況や資金流出入次第で購入可能額が変わるので、いつこのオペレーションが終わるか見通しが立たないことも考えられます。

■単純に売却してきた歴史

ヒアリングがあった当時僕が感じたことは日銀はあまり複雑なオペレーションはしたくないのかな? でした。

市場で売却したい?

正直出口戦略といっても方法は限られています。

それなのに証券会社を回って様々な意見を聞くということに意味があるのかわかりませんでした。
すでに調べればわかるような方法を別の人間から聞いてレポートを書くというお役所仕事的な雰囲気を感じました。

実際 2002年から2003年にかけて日銀が購入した株式は2006年から2026年にかけて市場で売却しています 。

(日銀HPから)

当時購入金額が2兆円ですから今のETF残高と比較にはならないので、もし単純にETFを市場で売却していくならばマーケットインパクトを考えたルール策定が重要、かつ恣意性を極力減らすためにも買いの時のような明確な基準を設ける(TOPIXが前場2%マイナスだった時後場VWAPGteeで購入だとか)よりも薄く長く粛々と売り続ける方法が良いと思います。

東証プライム売買代金が1日平均で3兆円、日銀ETF時価52兆円、営業日数245日(2022年)として出来高関与率が以下のように毎日売却するパターンを考えてみました。

1.0%(300億円)売却 1733営業日 → 7.07年
0.5%(150億円)売却 3466営業日 → 14.14年
0.1%(30億円)売却 17333営業日 → 70.74年!!


毎日300億ずつ日銀から売りが来るというだけで何となくぞっとしてしまいますが、実際過去のPKO時日々のマーケットインパクトがそれほどあったかというと意外になかったことを考えると市場で売却することもありのような気がします。

多分一番ネガティブなインパクトがでるのは 日銀がETF購入をストップ若しくは凍結しますとアナウンスした時でしょう。

その後それをどうするか?のアナウンスがあるまでが織り込み期間となります。そんなイベントがありそうですね!

実際金額が少ない2006年からの売却は20年という期間を設けて売っていることを考えると、向こう50年かけて売っていくということも十分に考えられますよね?

もしくは意表をついて売らない方向を考えるとか…

実際政府が箱作って時価で日銀からETFを買取りいま9000億弱ある配当分配金を大学ファンド等に回すなどの議論があります。ETFを現物に変えて配当を取る、など様々なやり方と合わせてその財源は国債を発行するだとかとにかくいろいろ言われている日銀ETFの行く末

タイミングは分かりませんが既に後始末に関する議論や各方面との調整は終わっていると考えるのが普通だと思います。

イベントとしては大きなものになりそうです‼️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?