愛を拒絶してたのは、ワタシだった

大学のときに、友人に言われた。

「あんたが、愛を必要としているのはわかる。
 でも、私は、そういう愛はあげられないんだ」

彼女は、少し苦しそうだった。

そのとき、私ははっとしたのだ。

その頃の私は、さみしさのかたまりだった。
「いつも一緒」とか「キャッキャする」とか、ベタベタした感じのつきあいを、ものすごくものすごく求めてた。

でも、彼女は、そういうつきあいは、してくれなかった。
私は、さみしくて、
「彼女は、私みたいなやつとは、友達でいたくないんだろうな」と距離を置こうとしてた。

つまり、拒絶したのは、私のほうだった。

彼女は、彼女なりの愛を注いでくれてたのに、
私は、愛の定義を、狭く厳しいものにして、
自分好みの愛でないものは、受け取らなかった。
受け取らなかったのは、私なのに、傷つけられた気になってた。

彼女の距離の取り方は、私にはさみしいものだったけど、おかげで、細いけど長い付き合いを重ねることができた。たしかに、そこに愛はあったのに。

そのとき、私は、
「もっといろんな愛に気づいて、自分のエネルギーに替えていけるようになりたい」と思ったのだった。

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私の愛の定義をゆるーくしてみたら、
愛は、世界中にあふれていたことに、気づいた。
ただ、それが自分好みの表現でなかっただけで。

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幸せの定義は、人それぞれだから、
愛の表現も人によって違う。

例えば、

自由が大事と考える人と、

傷つかないことが大事と思う人では、

愛情の表現が、違ってくるのだ。

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もし、それがネガティブな表現でも、
その奥にある愛に気づける人でありたいな、と思う。(難しいけど)

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