行く年

自省録~部下にダメ出しされた日に考えたこと

年の瀬も差し迫り、職場もなんとなく慌ただしい。意識は来年のことに向いている、クリスマスの日の話。

午後、Aさんと来年の組織についての提案を管理者2人で聞くミーティングの時間をもっていた。

自分の属している部署はちょっと特殊で、国や自治体の公共事業をまるっと受託して運営する部隊だ。自分がマネジメントしているチームの一つは、40名超のメンバーで、地方就職支援のプロジェクトを担っている。スタッフはこのプロジェクトのために契約している人たちで、子育て中の方や早期退職した方などが多く、部下といっても、ほぼ全員自分より年上だ。
管理者である社員は2名。チームマネジメントは、指揮命令権が前提になっているプロパーで構成された組織とは違う難しさがあった。

大手企業で部長も務めていた50代のAさんを含む営業チームは、経験豊富なメンバーが集まっており、何も指示しなくても動くなんとも頼もしい存在だ。
いちメンバーであるが、マネジメント経験も豊富なAさんに、自分はよく相談しては、貴重な意見をもらっていた。

このプロジェクトも5年目が過ぎようとしていて一つの節目を迎え、来年に向けて新たな体制案を練ろうということで、かねてからいろいろ考えてくれていたAさんの意見を聞こうと、今日のMTGの場をもった。

向かいに座ったAさんは、作っていた組織図案をおもむろに取り出すと、今のチームの課題について話し始めた。

その内容は、自分のマネジメントに対する批判だった。


Aさんの主訴

行政から委託される公共事業は、売上目標がない代わりに、達成すべき指標が定められており、この指標の達成度合いで成否が評価される。
このプロジェクトは、11月末時点で既にその指標を達成しており、委託元である省の評価も上々だった。
自分は、事業2年目の途中、このプロジェクトが混乱していたころにジョインし、数々の課題をクリアし、毎年ハイ達成できるチームに変えた自負があった。子育て中の女性が働きやすい職場をつくり、現メンバーも楽しそうに働いてくれている。数百ある社内のプロジェクトの中でも優良だと認識されているはずで、問題は何もないように見えていた。

Aさんは、「自分の立場でこんなことを言うべきではないのかもしれないが、失礼ながら言わせていただくと」という前置きを置いた上で、以下のような説明をした。

・プロジェクトの方針と、プロジェクト内の組織構成が一致しておらず、十分な成果が出せていないこと
・メンバーのアクションとアウトプットがどのようにつながっているのか、メンバー自身が理解できていないまま動いていること
・チーム内のユニットリーダーが役割を認識しておらず、リーダーとして機能していないこと
・上記3つを設計する責任はプロジェクトの管理者(自分)にあり、管理者としての責務を果たせていないし、現場のことも理解していないこと

話を聞きながら、こみ上がってきた怒りと共に、頭に20個くらいの反論が並んだ。

Aさんの指摘していることは百も承知。できれば全部全力で取組みたかったことだ。
でも、できなかった。
公共事業が故の融通のきかなさ。委託元なのに事業の中身には関心を持たない役所。役所の建前と、利益を上げなければならない会社とのギリギリの調整。高度な業務を、十分な処遇ができない契約社員で実行しなければならない体制。相反する東京事務局と大阪事務局の融和。
様々な矛盾の中で、それでもこの事業で果たさなければならない役割を定め、外さないようにやってきた。その上にこの5年間がある。

あなたが見えないところで、自分がどれだけ闘ってきたか。
あなたたちの給与を確保するためにどれだけ自分が調整をはかったか。
ベストではないが、様々な矛盾の中で調整をはかり続けて現在がある。
あなたはスタッフとしての視野で思ったことを言っていれば良いが、こちらには守らなけばならない責務が複数あるのだ。

のど元まで出かかった悔しさを吐き出す寸前で少し上空を見る。

ただ、
ただ一点、理想の組織でないことは紛れもない事実だった。
Aさんの言う通りだ。

深く息を吐くと、頭上に箱を思い浮かべて、並んだ20個くらいの反論をしまって横に置き、Aさんに向き直った。

「続けてください」


見えていないものは何なのか

いつしか、自分の仕事はバランスをとることだと思っていた。
いろんな人が自分の立場で勝手なことを言ってくる。(元々国からして、地方創生と言いながら、東京一極集中を助長する政策を止めない。)
たくさんの矛盾の中で、妥協しつつ、妥協できないとことを守ってきたはずだった。

どこで間違えた?
何が見えていない?

Aさんの用意した組織図には、各機能ごとに細かくインナーのKPIの案が書き込まれていた。
自分はそれを設定しかけたこともあったが、数字で縛ることが与える悪影響のことを考慮し、大目標以外はできるだけ指標は作らず、自由にやってもらおうという方針をとってきた。

Aさんの真意は、メンバー各人のアクションが、何を目指して行われているのか、その流れを一人一人が理解した上で仕事にコミットできる状態を作ることにあった。

自分は何度も(何十回も)、事業の目的とそれに必要なアクションを説明をしてきたはずだった。何回説明しても一部の人しか理解しないので、100%理解してもらうことは諦めた。理解してもらえなくても最終成果の数字だけは確保する仕組みを作る方に意識を傾けた。
契約した業務スタッフだけで事業を回さなければならない中で、大目標を理解した上で、各ユニットの役割の設計まで求めるのは無理なのだろうと思っていた。能力的に無理というよりは、そこまでスタッフの立場でやってくれないだろうと思ったからだ。

でもAさんはそこが違うという。
マネージャーの役割は、判断することと人材を育てることで、自分で考えるのではなくてスタッフに考えさせて、進めてよいかどうかを判断するのが仕事だという。そうでなければ、人が育つ職場にならないと。

自分は、人に任せる部分と自分が担わなければならない役割を間違っていたのだ。
事業成果は自分しか責任を持てないのだから、そこだけ担保して、あとは好きに楽しく仕事をしていてもらうのが、このいびつな組織の中では良いマネージャーだと思っていた。本当の意味でメンバーを信頼していたわけではなかったのだ。
委託元のニーズをくみ取った上で何を目指すべきなのか目標を設定したら、そこに向かうために、リーダー、メンバーに手段を考えてもらい、それが大目標の達成につながるのかどうかを判断してフィードバックする。
そうすることで、マネージャーだけではなく、メンバー全員が責任を持ちながら事業成果の創出に向かう組織ができるのだろう。

自分が間違えたのは、マネージャーの役割を明確に理解していなかったのと、どうすると働く人が成果創出に参画できるチームができるのかがわかっていなかったからだ。

血が通った組織は、生物のように、それぞれ生きている機関が連携しあって、一つの生命体をなしている。
自分が作っていた組織は、脳は生きているが、一部の機関は人口のパーツをはめ込んで、無理やり動かしていたようないびつな組織だ。血が通っていない部分は壊死していく。

「このままだと、自分の仕事にやりがいを見いだせなくなり、意欲が高いスタッフほど辞めていきますよ。」
Aさんの言葉は、自分にとってはショックな言葉だった。誰よりも、やる気のある人が働き甲斐のある職場にしようと思っていたのが自分だったから。

「役所は2年ほどで担当者が変わってしまい、事業成果の責任も問われないので、本当の意味でこの事業の意義を考えているのは、運営している自分たちです。行政事情の数値目標に追われるのではなく、自分たちで成果を定義して、意義のあることをやっていきましょう。」
そう期初に話したのは自分だったのに、自分自身が国の建前や会社の視点に絡み取られ、本質的な価値追求ができなくなってしまっていたのだった。


自分自身が揺さぶられているか

Aさんは、今年に入って何度か今回のような話をしかけていたのだが、自分は聞き入れられなかった。
違うことに焦点が当たっていたので、言わんとすることがわからなかったのだ。

Aさんは、自分が見えていない部分を伝えようとしてくれていた。

今まで通りでも仕事はやっていけるだろう。でもそれに意味があるのか?

うすうす気づいていたが、見ないようにしていたことを、ちゃんと見るようにと、Aさんは伝えてくれた。


MTGが終わるころ、Aさんに対しての気持ちは、怒りから感謝に変わっていた。

何度も、「出すぎた真似をして申し訳ない」と言いながら、言葉を選びながら、組織の危機を伝えてくれた。
出すぎてくれるから、自分はこの人のことが好きだったのだ。


自分は今年に入ってマネジメントを一から学び、相談を受けた友人の会社の組織改善にも関わるようになった。
それはとても素晴らしい経験だったが、一歩引いた位置から組織に関わると、どうしても抜け落ちてしまうことがある。それが、自分自身が問われることだ。

意識的に自問自答するだけでは、どうしてもカバーできない問われ方がある。揺さぶられ方がある。

コンサルタントだったり、自組織であっても管理者になって現場を出てしまうと、自分が問われる機会が減ってしまう。
「この中で自分が一番経験も情報も持っている」と思うと、盲点を知らせるサインに気づきずらくなってくる。成長の機会を逸してしまう。

ゆめゆめこのことを念頭におき、自分を揺さぶられる立場に置かなければならないと強く思った。

**

年の最後に、重要なことを教えてもらった。

今日が仕事納めのAさんに、帰り際、両手を握ってお礼を伝えた。
「今日は本当にありがとうございました。来年もよろしくお願いします」と。

―冷え性のせいで、自分の手はいつも冷たいのが残念だ。

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