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43歳の休日 〜さとうきび企画2 草堂寺にて〜

ここ白浜富田坂の入り口にある草堂寺は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となっています。草堂寺というお寺が単体でなっているというのではなくて、史跡熊野参詣道大辺路の一部に草堂寺が含まれるという形で登録をされています。

世界遺産とは何ぞや。あるいは、史跡とは何ぞや。というところについて少しだけ説明をさせていただきますと、世界遺産登録をされるためには、その文化財(あるいは自然)の価値が十分にあることが証明されるとともに、その国において最高レベルの保全措置が図られていることが必要となります。

我が国の場合、文化遺産については文化庁が”史跡”というものに指定をする必要があります。史跡とは読んで字のごとく「歴史の跡」ということで歴史上価値のあるもので、文化庁が指定するということは国の史跡ということになります。これは、有形文化財で言うところの重要文化財レベルに当たるという認識でだいたいオッケーです。

それで、この熊野参詣道(いわゆる熊野古道)については、道自体が史跡ということで、1000分の1の測量図面上で道そのものの範囲が文化財指定をされています。その範囲の中に草堂寺も含まれているということになります。

文化財についての説明はこのくらいにしておきます。

この草堂寺ですが、なぜ、さとうきび企画なのかと申し上げますと、江戸幕末の文久時代に、讃岐國から西国巡礼中に来ていた松井民蔵氏が、大辺路の難所である富田坂を通る前に、ここ富田で宿を取ったそうです。当時の富田では、さとうきびが栽培され、黒砂糖を出荷していましたが、より価格のいい白砂糖が作れなかったそうです。

讃岐と言えば、今の香川県です。当時は讃岐三白といって、砂糖・塩・綿が製造品として有名で、白砂糖を大阪等へ卸して、たいそうな利益を上げていたようです。

民蔵さんは讃岐からの旅人で、白砂糖の製法を知っていました。一宿一飯の恩義からか門外不出の白砂糖の製法を富田で教えてしまったようです。そのことによって富田でも白砂糖が製造されることとなり、大阪等へ出荷して利益を上げることができたようです。

民蔵さんは、讃岐に帰ることなく富田で一生を終えたのですが、ここ草堂寺にその墓石がありました。それで草堂寺とさとうきびが関連するわけです。

そして、民蔵さんは日置の伊古木から奥様をもらい、奥様の姓を名乗ったとのことです。その姓が原と言います。そうです、わたくし”はらっち”のご先祖様、高祖父に当たります。

それゆえに、さとうきびを育ててみたいと思ってこの企画を始めました。令和2年は試行期間でした。令和3年はもう少し本数を増やして育ててみようと思っています。

#43歳 #休日 #さとうきび #草堂寺 #世界遺産 #讃岐 #富田坂 #熊野参詣道


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