「自立する」とはどういうことなのか
こんにちは!
普段はサラリーマンとして営業の仕事をしながら、日々の学びや感じたこと、気づいたことなどを主にTwitterを通して発信しています。
こちらのnoteではTwitterで取り上げた内容に関してさらに深堀って話したいなと思ったツイートに関して取り上げていきます。
今回は「自立するとはどういうことなのか」というテーマで話していこうと思います。
僕は物心ついた頃からずっと早く自立して生きていきたいという想いがありました。
そして今までの僕にとって「自立」の定義とは誰にも依存せず自分一人の力で生きていく。
というものでした。
そして学生時代から一人暮らしを始め、今7年目に突入しようとしています。
僕は今になってようやく「自立」というものがなんなのかに気づくことができました。
それは誰にも依存せず自分一人で生きていけるようになることなんかではありませんでした。
「この人は助けてあげたいと思われるような存在に自分がなる」ことです。
このことに僕はコロナウイルスが流行りだして1年が経とうとしている今ようやく気づきました。
当たり前ですが、人は一人では生きていけません。
緊急事態宣言が発令されて人とリアルに会うことが中々できなくなった時、当時の僕には大きく自立するチャンスでした。
それは人と会わなくなることによって、一人の時間ができ個人の価値を高めることができると思ったから。
もちろん自由に使える時間が増え、様々なことに挑戦できたり心の余裕もできました。
しかし、そんな環境を手に入れた僕は自立して意気揚々な生活が送れているかと思いきや
どこかいつも心に穴があいたような感覚がありました。
そのあいた穴を塞ぐために欲しいものを爆買いしたり、美味しいものを食べたり、気の済むまで寝たりと色んな工夫をしてきましたが、解決しませんでした。
そして気づいたことは改めて人は一人では生きていけないということ。
そして一人で生きていけるようになることが「自立する」ということではないということです。
災害が起きたとき、人との繋がりが遮断されたとき、自分が本当に苦しいとき
助けを求めることのできる繋がりをどれくらい自分は持っているのか。
そして皆が苦しい状況の時にそれでも手を差し伸べてあげようと自分は思われる存在なのか。
そう思ってもらえる存在になることが「自立する」ということなんだなと僕は思いました。
そして人から助けてあげようと思われる人とはどのような人なのか。
みなさんも考え、日々を大切に過ごしましょう。
そんなことをこのコロナ禍の中考えたので、
共有しようと思いました。
んじゃまたね。
ばーい!✌️
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