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【ネタバレ有】スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームを観た

【注意!!】 この記事には映画のネタバレが多分に含まれます。今後鑑賞予定の方は十分にご注意下さい!!
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十分にスクロールできましたか?
肝心の内容に入ります。
目次の時点で多分にネタバレを含んでいると思うので、この先は本当に気をつけてください!

J・ジョナ・ジェイムソン編集長

冒頭、前作のヴィランであるミステリオの策略によって、スパイダーマン=ピーターパーカーという事実とともに、「殺人を犯す人物である」ということが全世界に広められてしまいます。このニュースを報道していたのは、J・ジョナ・ジェイムソン編集長なんです。
もうサム・ライミ版スパイダーマンから観ている人はお気付きの通り、演じているのはJ・K・シモンズです。

もう冒頭からこれですよ…
今作の「ノー・ウェイ・ホーム」、注目すべき点はやはり旧作のスパイダーマンは出演するのか?というところだと思います。きっと誰しも気になっている、最も核心的な部分。
冒頭、J・ジョナ・ジェイムソン編集長のニュースから始まるとなれば…自ずと期待は高まってきてしまいますよね。あの独特な渋い声質で、淡々とニュースを読み上げていきます。

旧作のジェイムソン編集長は、スパイダーマンの裏の顔を暴くことに情熱を燃やしつつも、愛嬌があってどこか憎めないキャラというか、スパイダーマンに対してある種の愛情のようなものがあり、ルパン三世に対する銭形警部、バットマンに対するジョーカーのような、切っても切れない関係として描かれていたと思います。
しかし今作は、スパイダーマンをとことん地に叩き落とすべく行動する、ある種の「悪」として描かれていたように感じました。

急に物語クライマックスに差し掛かるくらいの場面の話になってしまいますが、とある人物を失ってしまったピーターパーカーをさらに決定的な絶望のどん底に叩き落としたのは、ジェイムソン編集長の報道でした。この時のジェイムソンの語り口は憐れみの感情たっぷりに現場で起こった事実を報道する、という感じでしたが、内心はしてやったりと言ったような、恍惚感で満たされた気持ちだったのでしょうね。

前半はちょっと駆け足感?

ミステリオによって社会生活に支障をきたしてしまったピーターパーカー。自分だけでなく周りの家族、友人にも影響が及んでしまったことがきっかけとなり、とうとうドクター・ストレンジに助けを求めます。
ピーターの我儘で阻害されたことによってストレンジの魔法が詠唱未遂となり、その影響で時空の裂け目の様なものが起き、他の次元(マルチバース)から過去作のヴィラン達が登場する、という展開は公開前トレーラーで既に明らかになっていました。
個人的にはサム・ライミ版スパイダーマン2にかなり思い入れがあるので、ドック・オクの登場はかなりアツかったです。当時より俊敏なアクションでスパイダーマンと戦うところは胸熱でした。
更に何が熱かったかって、現在の世界のスパイダーマンはどうやってドック・オクを制したか?という展開です。
それは、「トニースターク製のアイアンスパイダースーツ」でした。
アイアンスパイダースーツの一部を奪ったドック・オクはナノテク製であることに気付き、科学者として、ピーターに対して遂にこの境地に至ったのか、と賛辞の言葉を送ります。しかしこの行動が仇となりました。
ナノテクが侵食していき、スパイダーマン柄に変化するドックオクのアーム。(ここの映像表現が素晴らしく、息を飲みました。)
するとスパイダーマンのAIがBluetooth(?)で接続され、ドックオクのアームの支配権はスパイダーマンに握られてしまいます。
これが、サム・ライミ版では成し得なかった表現に感じました。ワイヤレスによるコンピューターへの接続、AIによるコントロール。スマホを中心とした最新文明の力を使いこなす現代っ子・トムホランドのピーターパーカーならではの戦術だと思いました。これにはドック・オクも成す術がなかったようで、意外と大人しく投降します。そこへおなじみ緑の爆弾とともに飛来したのがグリーン・ゴブリン。ここから、マルチバース襲来したヴィランたちが次々と登場します。
ゴブリン後はリザード、エレクトロ、サンドマンが登場するのですが、ここら辺が個人的にはちょっと気になってしまったポイントではありました。あまりにもテンポよくヴィラン達が登場するもんだからちょっと小物感?というか…モブっぽさを感じてしまったんですよね。もうちょっと引っ張って、満を辞して出て欲しかったなあと。
でも映画が進むに連れて、登場の仕方はさして重要なことではなく、ヴィラン達の抱えている運命が、今作の大きなキーポイントとなってきます。

ヴィラン達の運命

ヴィラン達は、全員過去のスパイダーマン作品の世界から転送されてきた、という設定になっています。ゴブリン、ドック・オク、サンドマンはサム・ライミ版スパイダーマン。リザード、エレクトロはアメイジングスパイダーマン。
今後MCU作品のキーワードになってくるであろう「マルチバース」という概念は、次元間での行き来があったとしても、元の世界の運命に対してまで基本的には影響を及ぼすことができません。
つまりこの映画に出てくるヴィラン達は、出典元の映画を同じ結末を辿る、という運命を背負ったまま転送されてきます。
それは、全員死ぬ運命ということ。全員、元の世界のスパイダーマンに倒されてしまいます。あ、サンドマンは風になって去っていったので違うか…?
とにかく、ストレンジが詠唱した魔法を中断したことによって起きてしまった事象。ストレンジによって再度元の世界に帰そうと試みますが、ピーターは各々のヴィランが背負っている運命に気付かされてしまいます。
運命に同情したピーターは、この世界でセラピーを行い、悪を浄化することは可能ではないか?元の世界に返してしまうことが果たして正義なのか?と思い悩みます。ついにストレンジに背き、ヴィラン達を元の次元に返すことを拒み、詠唱中断した魔法を封じ込めた箱を強奪して逃走します。

スパイダーマン vs ドクター・ストレンジ

このシーンから、ドクター・ストレンジの映画でも展開された「ミラー次元」のシーンに入っていきます。息を呑む様な映像美。
アストラル体にされながらも箱を頑なに渡さないスパイダーマンには笑いました。
なんと、ここではスパイダーマンがストレンジを出し抜くというまさかの展開が起こります。「数学は魔法より強し」。兄貴分のストレンジを頭脳で超えた瞬間でした。
勝利した結果、ヴィラン達を改心させる、という考えをゴリ押す権利を得たピーター。ここからちょっと謎の、ヴィラン達と一つ屋根の下、おとなしいヴィラン達が拝めるかわいいシーンが続きます。
サム・ライミ版でドック・オクが失ってしまったアーム制御チップをピーターが作成したり、エレクトロのパワー制御に使ったアイテムがアークリアクターだったりと、旧映画版とMCU版の要素が見事にミックスしていて、この辺りもちょっとじんわりきたポイントではありました。

ただの日常パートで終わるかと思いきや、ここで反旗を翻したのが最もドス黒い悪、ゴブリンです。ゴブリンの鶴の一声で、ヴィラン達は「平和にするのやっぱやーめた」となります。今作のゴブリンは徹底した悪っぷりで、やはりスパイダーマン映画最初のヴィラン、起源にして頂点といった外道っぷりを見せ付けてくれました。ヴィラン全員おとなしくね…?なんかかわいくない…?こんなんで大丈夫…?といった不安をこの瞬間全て跳ね除けてくれたのが最高でした。
映画の展開としてはここから盛り上がりを見せていくのですが、ピーターパーカーにとっては最悪の悲劇の引き金になってしまいます。

大いなる力には、大いなる責任が伴う

ベンおじさんがピーターに語る、スパイダーマンという作品においては最も重要なキーワードの一つといっても過言ではない言葉、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。
MCU版ではベンおじさんは登場しないため、今までちょっと不自然なまでに隠されていた感がありました。
MCU版三作目となる今作でこの言葉を語ったのは、まさかのメイおばさんでした。
ゴブリン達との戦闘に巻き込まれ、重傷を負ってしまったメイおばさん。「一呼吸起きたい」と何度も繰り返し冷静さを保とうとしますが、ピーターの腕の中で次第に息絶えていってしまいます。この事件の直前にピーターに授けていた言葉が、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」という言葉でした。

愛する人を失い、ジェイムソン編集長の報道によっていよいよ行き場も失い、喪失感に打ちひしがれたピーターは、いよいよMJとネッドの元から失踪してしまいます。

歴史的瞬間

この映画を観るまで、ネタバレを極力避けるべく、SNS断ちをしていました。
「出るのか?出ないのか?」
新鮮な気持ちで答え合わせしたかったからです。

「出た」

こんなことあります?これは映画史に残る事件ですよ… 失踪したピーターを探そうとしたネッドはスリングリングで、「ピーターパーカー」を探します。ていうかなんでスリングリング使えるん? たしかに、ピーターパーカーが出てきました。アンドリューガーフィールドの。 もうここで涙腺崩壊しました。となると、もう次はいよいよ…?という雰囲気ですよね。もちろん、満を辞して登場してくれました。トビーマグワイア

※以下、三人のピーターパーカーが登場したことによってややこしくなるので、トムホランド演じるMCU版をトムピーター、トビーマグワイア演じるサム・ライミ版をトビーピーター、アンドリューガーフィールド演じるアメイジング版をアンドリューピーターと記載します。

子供の頃、サム・ライミ版スパイダーマンを観て、ワクワクが止まらなくてアメコミが大好きになりました。 私の中で、一つの「きっかけ」になった人物が、2022年、また同じ役として映画のスクリーンにカムバックしている… こんな泣けることありますか? しかも良い歳のとり方をしているんですよ、トビーマグワイア。あの頃頭脳明晰好青年だったトビーピーターが、今では顔にシワがかなり増えたナイスミドルに。 向こうの世界にいながらも、ちゃんと歳をとってくれていたのはなんだか嬉しかったです(当たり前だけど)。クリス・エヴァンスをガリガリからムキムキに(実際はムキムキの状態をフレーム毎にガリガリにCG加工していったそうですが…)したり、ターミネータージェネシスに若かりし頃の姿でシュワちゃんが登場したり…そういった、人間の感覚ではおおよそ理解できないであろうようなトンデモCG術を駆使して、若いままのトビーピーターが出る、なんてことがなくてよかったと思いました。一つのシリーズを長く見続けている観客にとって、当時の俳優さんが今なお現役で出ている、ということは何よりのご褒美ですもんね。

失踪したトムピーターを発見したMJとネッド。三人の元に、過去ピーター二人が合流します。
トムピーターはメイおばさん。トビーピーターはベンおじさん。アンドリューピーターはグウェン。
三人とも、大切な人を目の前で失っているんです。
それぞれの世界で違う時間軸を生きていた三人のスパイダーマンですが、大切な人から授かっていた「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉は共通していました。

共闘

遂に集った三人のスパイダーマンは、暴走し始めたヴィランを食い止めに向かいます。
ここでの三人の掛け合いもチャーミングかつ、それぞれの世界の出来事を想起させるやりとりが多くてほっこりしました。トムが「印象に残った敵は?」という質問をしたときに、トビーピーターは「ヴェノム」アンドリューピーターは「ライノス」について、直接的な名前は出しませんが言及するんです。今作に映像として登場していないヴィランも間接的に登場させることによって、監督の旧作へのリスペクトを真髄まで見させられたような気がしました。
アンドリューピーターがトビーピーターのストレッチをするシーンは、トビー側の世界の経過を感じさせてすごくよかったし、トビーだけシューターを使わず手首からウェブが出せることに他の二人が驚いているところとか、それぞれの映画の設定上の違いを見事に今作に落とし込んでいました。
三人のスパイダーマン達は協力してヴィラン達に挑もうとしますが、なかなか息が合いません。何せ、チームプレイを経験したことがあるのはアベンジャーズに在籍していたトムピーターだけだったから。アベンジャーズという言葉を聞いて不思議がるトビーピーター、アンドリューピーターのリアクションはとても愛しく思えました。
そこで、三人の息を合わせる手段として用いたのが「スパイダーセンス(通称:ムズムズ)」です。スーツのデザイン、能力の設定、生い立ち、経験。三者三様の各世界のスパイダーマン達でしたが、唯一ぴったりと共通していたのがこのスパイダーセンスという能力を持っていたこと。普段は危険を事前に察知する能力として使用していますが、スパイダーマン同士のコミュニケーション手段として用いるのはとても斬新な表現だと思いました。

救済

今作はひたすらに、スパイダーマンファン達に対してこれでもかと言うほどのファンサービスの暴力を浴びせ続ける映画でしたが、私が一番涙したのは、MJ落下シーンです。
事前トレーラーでもかなり重要なシーンとして描写されていました。
アメイジングスパイダーマンを観たことがある方なら一発で、「グウェン落下のシーンと同じ構図だ」と気づくかと思います。
アンドリューピーターは、最愛のグウェンを落下から間一髪のところで助けることができませんでした。

今作では、スパイダーマンファンからしたらデジャヴのように繰り返される落下シーン。落下していくMJをトムピーターは必死に追いかけます。
果たして間に合うのか…?と息を呑んだ瞬間、ゴブリンがグライダーで突撃してきます。
為す術無く重力に身を預けるしかないMJ。
MJを救ったのはなんとアンドリューピーターでした。
きっと、グウェンを失った後ずっと後悔が残っていたのだと思います。
今回MJを救えたことによって、グウェンも、そして自分の魂さえも救えたんだと、アンドリューピーターの表情から感じ取れました。

ラストバトル

物語のクライマックスでは、トムピーターとゴブリンが肉弾戦を行うシーンがあります。メイおばさんを失った憎しみを、ゴブリンに拳で叩き込むトムピーター。
ここでちょっと気付いたのですが、肉弾戦を行っている場所がキャプテン・アメリカの盾の裏側なんですよ。
スパイダーマンチームvsヴィランチームの戦いが行われたのは、とある建設現場でした。そこには自由・平和の象徴としてキャップの盾を持った自由の女神が建設されようとしていました。戦いの影響によって大部分が大破してしまいますが、キャップの盾が綺麗に裏向きで落ち、地面に転がっていたんです。そこで物語のラストバトルが行われるのは、とても趣深かったです。
憎しみに支配されてしまったトムピーターの姿を観て、思い出したことがありました。それはサムライミ版スパイダーマン3のシンビオートに取り憑かれたトビーピーターの姿です。彼も怒りに任せ、普段の温厚さとは程遠い行動をいくつもしてしまいますが、今回のトムピーターの、ゴブリンへの怒りのぶつけ方はまさに同じ様に思えました。これが正義の象徴であるキャップの盾の裏側で行われている…正義と悪は表裏一体…そんなメッセージが隠されているように感じました。

トムピーターの決意

起こってしまった顛末の収拾をつけるには、一時封印していた、未遂に終わったストレンジの魔法を再発動する必要があります。そうなると起こってくるのは、最初のトムピーターの願いである「全ての人がスパイダーマンの存在を忘れる」ということ。共に闘ったストレンジも、連れ添ったMJとネッドも、全ての人類がトムピーターという存在を記憶から失ってしまいます。
いよいよ決意したトムピーターは、戦友ストレンジのことをスティーブンと親しく呼び、恋人MJ、親友ネッドに別れの挨拶をしに行きます。MJには、自分のことを忘れたとしてもまた思い出させる、そう約束して。その後、遂に解き放たれる魔法…

訪れたのは、全ての人類がピーターパーカーという存在を忘れ去った世界でした。
自分のことを思い出してもらうための手紙を読み上げる練習をしながらMJが働くカフェに出向くトムピーター。
MJは、もちろんトムピーターのことを知りません。
何度も練習したはずの、自分を思い出してもらうための手紙。トムピーターは読み上げることができず、ポケットにしまいコーヒーを頼みました。

なんて切ないんだ。でもどうやら、MJとネッドは念願叶ってMITに入学することができているようです。トムピーターの自責の念も、ある種このシーンで救われているのではないでしょうか。

全てを失ったように思える、トムピーター。しかし、スパイダーマンとしての能力は失ったわけではありません。
ラストシーンのトムピーターのスパイダースーツは自作?なのかはわかりませんが、あきらかにトニースターク製ではないような、青がやけに強調されたスーツを着て、夜の街へ颯爽と飛び出します。このラストシーンでは、原点回帰のような、きっとまた、新たなスパイダーマンの物語が始まっていくんだ、という希望を感じました。

マルチバースの可能性

今作から、「マルチバース」という概念がMCUへと本格的に導入され、次作「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」へ直結していくようです。(ちなみに監督はサム・ライミ。こんなアツいことあります?)
この「マルチバース」という概念は、映画の閉塞感を打破する手段でもあり、映画会社の垣根ごと超えることへの免罪符にもなり得るという、画期的なものです。
それが最も顕著に現れていたのはエンドロールだと個人的には思います。MCU映画おなじみの、いわゆるポスト・クレジットシーン。

登場したのはまさかまさかの、予想し得なかったエディ・ブロックでした。
は?そんなことある?このシーンはマジで我が目を疑いました。
いや今、ヴェノムさん側かて、映画絶賛公開中やん?
例に漏れずエディ(と、ヴェノム)もストレンジの魔法再発動によって元の世界に送り返されていくのですが、なんとシンビオートだけMCUの世界に残されます。
これはもう、期待していいんですよね…?
しかも、とどめの一撃として、エンドロールの一番最後にソニーコロンビアのロゴ。
そんなことある???今私は何の映画を観ているんだっけ…?

マーベルのファンサービス精神と、今後の更なる展開も乞うご期待!という自信をこれでもかというほど叩きつけられました。

あ、そういえば、エレクトロが自分が黒人であることにちなんで「他の世界にも黒人のスパイダーマンがいるかも知らねえな?」的なことを言っていました。まさかこの映画、マイルス・モラレスへの言及もしてくるとは…


正直、マーベル映画ファンとしてアベンジャーズエンドゲーム後の展開が不安でした。ちょっと燃え尽き症候群というか、アイアンマン、キャプテン・アメリカというマーベル二大巨塔が去ったあとのMCU、どのように展開していくのだろう?トニー・スターク、スティーブ・ロジャース程のヒーローが果たして現れるのか?と…
今回の「ノー・ウェイ・ホーム」で、マーベルはそんな不安を一蹴してくれました。

マルチバースという新たな展開によって、あらゆる事象に「可能性がない」ということそのものを否定してくれたんです。
誰しも「ありえない」と思ったことも、今後のMCUの映画の中では起こりうる。
デアデビルだってヴェノムだって、もしかしたらX-MENだってスパイダーマンと戦う日がくるかもしれません。

本当にありがとうマーベル。という気持ちに浸りながら私は映画館を後にしました。誰にも言えないモヤモヤを、このnoteに乱文ながらもぶつけている次第です。

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