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おおあめ in 長崎

 今朝、けたたましい警報音で飛び起きた。時間は午前5時過ぎ。画面を見ると、長崎市が真っ黒に塗りつぶされている。いわゆる警戒レベル“5”というやつ。思わず長崎大水害を連想させた。

 長崎大水害は僕が中1の夏、1982年7月23日に起きた。その日僕は、父と共に散髪に行き、その帰りに映画を観に行っていた。『ファイヤーフォックス』という最新鋭のロシアの戦闘機を、クリント・イーストウッド扮するスパイが潜りこんで奪ってアメリカまで持ち帰るという近未来アクション映画。

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 当時は今のようなシネマコンプレックスはまだなくて、「駅前劇場」という長崎駅から桜町方面に少し行ったところの映画館だった。本編の最後のシーンから入ってしまい、同時上映が何かコメディっぽいものだったが、それが終わって、通常ならそのまま居座って観そびれたところまで見て出る、というのがウチの定番(笑)だったが。
「父ちゃん、今日はよかよ、もう。帰ろう」
不思議とその日は、自分から帰ろうと言ったのを覚えている。自宅に着いて、その刹那、急に雷雨が始まった。時間は午後5時半を回ったころだろうか。

 その後1~2時間ほどして、テレビを見ていた家族たち(父母と、父方の祖父母、僕の5人暮らしだった)に、父がトイレから戻ってきて僕らに叫んだ。
 「おおごとバイ! 家の前が川のごたる!」(訳:「大変だ!家の前が川みたいになってるぞ!」) トイレの小窓から見てみると、なるほど、自宅の前の道路、その先はJR長与線の線路だったが、そこが茶色の川に変わっていた。洪水だ!まさか長崎で!とびっくりした。
 それから午後10時近くには満潮になるということで、水位が徐々に増してきた。また、流されてきたホンダのシビックだったろうか、後ろ向きに我が借家のブロック塀にぶつかった。それでヒビが入り水が玄関先のラインを超すまでになりそうになり、しかし平屋なので避難のしようもなく、とにかく、靴類を高いところに上げるぐらいしかできずにいた。幸い徐々に水位が下がって、我が家は床下浸水だけで助かった。もう少し雨が続いていたら、確実に自宅で腰まで水につかっていたことだろう。
 ちなみに自宅付近の道は下図のようになっており、くねくねと曲がった浦上川の支流が、×印の部分であふれてしまったのだろう。

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 両親は中学の教師をしていたが、母の教え子が横尾だかの裏山の土砂崩れで亡くなったり、実際に被災が甚大であることが分かったのは、明朝のことだった。テレビぐらいしかなかったわけで、情報が今のようにふんだんに手に入れられるのは、本当に恵まれていると思う。

 話を今日に戻すと、朝から真っ黒な地図を見せられて、ビビりまくり、電気をつけ、テレビで確認し、家の前の側溝(浦上川に続いている。昔は小川だったという)を見てみたが、水位はそこまで高まっていなかった。家内はというと、「眠れるうちに寝とかんね。比較的場所としては安全なところだから…」と堂々としたもので。家内の家族も心配だが、そちらも「大丈夫だと思うよー」確かに安全地帯に属している。それでもなかなか落ち着かず、今日は休日出勤だったが、だいぶ早く出てしまった。家内は雨、雷、台風が来るとなぜか目が輝くタイプで(もちろん被害について知人のことも心配したりするが)「自然が起こすことだから‥」と達観しておられる。慌てる僕がいつも笑われるのは腑に落ちないが、間違いなく彼女は災害でも生き残るタイプだな。ではー。