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理屈が通る≠寄り添う

人と対峙している時、まずは相手の意見をしっかり聴こうじゃないか。
これは仕事でも、パートナーとでも、よく大事と言われる姿勢である。

まずただしっかり聴く。
これが全く簡単ではなく、非常に奥が深いことなのだが、それは今日は置いておく。

例えば、妻と自分は、食器用洗剤を使う量が全く違う。
妻はよーく泡立つほど使う。
私は油物を洗うときに、必要な分だけ、できるだけ少なく済むように使う。

一緒に暮らし始めた当初は、
もったいない!
手が荒れるよ!
環境に悪い!
とずっと思っていた(今も思っている)し、たまに伝えてもいた。

妻からは、
それで本当にきれいになってるの!
油の洗い残しがヌルヌルするのよ!
ケチってきれいにならなきゃ意味ない!
と言われていた(今もごくたまに言われる)。

これに関して、しっかり話し合ったこともある。
ふむふむ、そんなことを考えていたのか。
わかった。
たしかにたまに油が残っている時があるね。
それはできる限り注意しよう。
ただ、、、
洗剤はできるだけ使わないほうがいいよ!
洗剤をたくさん使えばきれいになるということは、そもそも企業側の、、、(以下略)

しっかり聴いて、相手の主張も分かった。
ただ、、、それを言うならこれはこうだよ!
と、結局、自分の理屈が通ることを優先しがちになってしまう。

これ、そもそも正解がないし、
妻と自分の考えは平行線だ。
もちろん、すり合わせていくことはできる。
事実、お互いこの件に関して、まあ許容している。
お互いがお互いのやり方に、ほぼ文句を言うことはなくなった。

ただ、理屈を通すことを第1にすると、すり合わせも難しい。
育ってき〜たかんきょお〜がぁち〜がうからあ〜ああ〜
だと思う。
いなめないの。

まあこれが人と暮らす楽しさでもあると思うんだけど、、、それもまた置いといて。

理屈を通すことは、必ずしも正しくないということ。
私の例のように、パートナーや家族だとわかりやすいと思う。
それだけでなく、仕事相手や同僚でもそうだよね。
理論的に!ロジカルに!ということの大切さももちろんあるけど、
同じ人や組織とのコミュニケーションなのだから。

それを理論だけで動いてるんじゃない、感情があるんだから。
と、説明することもあるけれども。
理論と感情は、分けられるものでもない、と自分は思う。

なのでそこで対峙する人を、対峙しているとせず。
意見は対峙しても、
一緒にいて、まず寄り添う。
全く違う発想を持っているのかもしれない。
と、いうか持っている。
としていたいと思うのです。

人の話を、頭で考えて整理しようとしていると、
自分のフィルターに、相手を当てはめようと無意識にしているから。

傾聴。寄り添う。
それは自分の姿勢や態度そのものの質が、気持ち悪いくらいに現れてしまうもの。
や〜れるだ〜け〜がんばってみ〜るよ〜

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