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小説:アタック・オブ・ザ・キラー・トマトズ

 数週間前からほとんど毎晩夢の中に有働さんが出てくるようになって、ある日俺はそのことをぽろっと南帆に話してしまう。
「有働さんて誰?」
 南帆は俺が押しているカートにすっぽり嵌っている買い物かごに、大根を丸々一本入れながら聞き返す。
「バイト先にいる……大根まだ冷蔵庫に残ってたから一本もいらないよ」
 俺は入れられた大根を隣の二分の一カットのものと交換しながら続ける。
「……俺よりちょっと先輩の女の人」
「ふーん。美人?」
 二言目に飛んでくる質問だとは予想しておらず、俺は一瞬だけ遅れてから「まあ、普通……?」と首を傾げながら返す。
「ふーん」
 南帆はまた無機質に相槌を打ち、カゴの中にあった二分の一サイズの大根を手に取って俺の脇腹を突く。
「おほっ、何だよ?」
 俺はいつものじゃれ合いの時と同じヘラッとしたテンションで返すが、南帆は口元だけ笑って視線を動かさずに大根で俺を突き続ける。
「いや、やめろって。何何」
 人間というのは、ある程度の長さと近さで過ごせば、言わずとも相手の気持ちを察せるようになるし、察してしまうものだ。俺みたいなボンクラ野郎でも一応それは例外じゃない。
 俺はあまり意識する余裕もないまま目の前に陳列されていたキャベツを一玉手に取ってカゴに入れ、俯きながら「いや、もちろん南帆の方が可愛いけど……」と呟く。
 すると南帆は鼻で笑うように一息吐いた後、目元も笑って「声が小せえんだよ」と言って大根をカゴに戻す。俺も再びヘラヘラッとした笑いで返事する。
 そして南帆はキャベツを手に取り、「キャベツは、まだ冷蔵庫に残ってたからいらない」と言って棚に戻した。
「あ、はは。ごめん」
 謝りつつ、もっと修行しなければという自覚を取りあえず持つ。
 沈黙を挟んで、さて次の話題は何にすべきか、ひとまずこの後帰ってからの夕食の支度のことでも話そうかと考えていると、南帆がトマトを一玉手に取りながら「で、どんな内容の夢なの?」と聞いてきて「えっ」と俺は固まってしまう。
「あ、うーん……」
 俺はいかにも今思い出していますよ的な顔を作って二秒稼ぐ。二秒間、南帆は一言も喋らない。トマトの棚の前で立ち止まって俺を固定したまま、俺が自主的に、責任を持って話すのを待ち構えている。
「まあ、何だろう……普通の夢っていうか」
「夢に普通とかあんの?」
 ないと思うが、口に出して認めることはできず、俺はまた笑って誤魔化す。誤魔化すが、南帆は直立のままトマトを三つ四つとカゴに放り込み続けている。「トマトはそんなにいらないよ」と言って棚に戻したいと思ったが、体がそういう風には動かなかった。
「いや、何か、普通に喋ってるだけだよ。世間話」
 俺が締まり気味の喉でそう答えると、南帆は手を止めて俺の顔をちらりと一瞥して「ふーん」と相槌を打つ。俺が答えなかったら、売り場のトマトを全部買い占める気だったのだろうか。
「何かさ、職場でこう普通に……みんながいる中でだよ? 仕事しながら、『あれやっといてくれますか?』とか、『これやっときました』とか、そんな話……業務連絡? する、そういう夢」
 俺は話しながらじわじわとカートを押して動かし、何気なさを装って移動を始める。
「ふーん」
 だが南帆にその気はないようで、一歩も動かないまま棚に目を向けて、またもやトマトを手に取っている。そのトマトはたぶん七個目くらいのはずだが、南帆は特にトマトに強い興味があるわけでもないだろう。それでもトマトを持った手を俺に向けて「ん」と伸ばす。俺はカートを戻して南帆の前にカゴを差し出す。
「あの、トマトこんなに……」
「え、それでどう思ったの?」
 話す時に「え、」とか「あ、」とか付けるのは相手に対して萎縮していることを表していると思っていたが、今の南帆の声色はその真逆であるようだった。南帆は俺の方を見ていない。新たに手にした八個目くらいのトマトを握り、冷たい視線で見下している。特にトマトに怨みを抱いているわけでもないだろうが、そうしている。このまま握り潰してしまうんじゃないかと思えて、締まった俺の喉はどんどん乾いていく。
「いや……何とも思ってないよ」
 それだけ絞り出したタイミングで、隣を通ったおばちゃんのカゴが俺の体に当たる。
「あ、すんません……」
 俺は縋るようにおばちゃんに顔を向けて頭を下げ、そのまま顔を戻して「あの、続きは帰ってから話すからさ。取りあえず買い物済ませちゃおう?」と早口で言う。
 南帆は俺に視線を向け、持っていた八個目のトマトを棚に戻す。戻してくれる。
「ふーん、わかった」
 南帆は歩を進めながらそう答え、俺の横を通り過ぎていく。通り過ぎる時、俺の体にぶつからないでくれてよかったなと、小さく思う。
 俺は一瞬カゴの中にある多すぎるトマトを見てからカートを押し、南帆の後に続く。
 このトマトたちを活かして作れる美味い料理は何かあるだろうか、まあ、どんなご馳走が完成したとしても、食欲は湧かないだろうな……と俺は考えている。



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