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小説:隣の芝生は

 マトリックスで仮想現実の世界を案内するモーフィアスが主人公のネオに「道を知っていることと実際に歩むことは違う」と言う場面がある。どういうわけか僕は愛について考える時にこの言葉を思い出してしまう。
 岩部がかつてとても深く愛し合っていた女の子と唐突に別れなければならなかった時、彼はまるでその子が死んでしまったかのように悲しんだ。彼の姿を見て、僕は同情もせずにただただ驚いていた。それは、僕が大人がこれほどまでに激しく泣いている姿を見たことがなかったせいだと思ったが、本当はそんな薄っぺらい理由じゃなかったんだろう。
 やがて僕の前からも女の子は去った。しかしながら、予想通り僕は岩部のような視聴率の高そうな悲しみ方はできなかった。青葉との別れを僕の心は許容した。仕方ない。人生はこんなもんだと。そんな人間だから青葉も僕から去ったんだろう。
 僕は映画を観る。よく観る。その中で恋愛も見る。知る。だけど楽しんではいなかった。
 正直なところ、僕にとって青葉は唯一でもなければ一番の女の子でもなかったのかもしれない。映画の中の人間たちは皆、そういう相手と出会い、別れているように見える。岩部もきっと映画に出られる人間だったのだろう。僕はその境界を超えられない。その資格がないにも関わらず僕は境界を渡ろうとした。
 資格って何だ? と岩部が言う。それって誰かに認められないといけないことなのか? ごもっともである。僕はとてもいい友人を持てた。僕もいい友人になれれば良かったが。
 僕は見たことのある、知ってしまった道に移りたくて、みっともなく藻掻いている。自分がどんな道を歩んでいるかも知らないで。



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