見出し画像

小説:百万円はどこから来るの

 散歩の帰りに札束を拾ってきた清春が「これで貧乏脱出できるかな」と言うので、わたしは「貧乏は人間性だからお金じゃ治んないよ」と返す。
 わたしは清春の手から札束を受け取り、取りあえずパラパラと弾いて確認してみたりする。一万円札で、だいたい一センチ分くらいの厚さだから百万円ということだろうか。
「偽札じゃないよね?」と清春が聞いてくるけど、わたしは偽札と真札の見分け方なんか知らない。けど、たぶん本物なんだろうなと思う。
「これ、道端に落ちてたってこと?」
 清春がわたしの手から札束を取り返そうとするのをゆっくりとかわし、目を見て聞く。
「違う違う。上から落ちてきたんだよ」
 ……?
「川沿いの土手の道を歩きながらさ、今日も曇ってるなーと思って、何となく空見て、そしたら俺の顔面に落ちてきたんだよ」
 清春はわたしと目を合わせたまま話し、人差し指で自分に頭の上を指す。
「上から?」
 清春の指の先を追う。染みのついたアパートの天井が見える。上の階にはいつも同じ色のジャンパーを着たおじさんが住んでいて、すれ違った時に挨拶すると小さく会釈してくれる。声を聴いたことはないし、表情も一種類しか見たことがない。
 もちろん、清春が言ってるのはそのおじさんじゃなくて、もっと先のことなんだろう。
「上だよ。上から落ちてきたんだ」
 何もない場所で、突然札束が落ちてくるなんてことはあり得ない。あり得ないけど、清春はわたしから目を逸らしていない。
 その目を黙ったまま一秒間見つめてから、わたしは「警察に届けた方がいいんじゃないの」と口にしたけど、言い終わる前に清春は払い落とすような勢いで札束を奪い取っていた。
「ダメだよ、そんなん」
 清春は手の中の札束を見て、撫でながら言う。
「ダメだよ、警察に届けるなんて」
 一拍置いてから、わたしは軽い痛みを感じて、自分の指が切れていることに気付く。中指の腹から血が出ている。清春はそのことに気付いていない様子で、札束を撫で続けている。
「……いや、さすがにその額のお金を届けないのはまずいよ」
 わたしは親指で傷口を押さえながら言う。
「千円だったら届けなくてもよかったってこと?」
 清春は相変わらず自分の手の中に目を向けている。
「これはさ、俺らにとっては百万円だけど、あいつらにとっては千円なんだよ」
 あいつらって誰のこと、とは聞かずに、わたしは溜め息をつく。
「いや、五百円かもしれない。ひょっとしたら十円くらいかも。全然大したことじゃないんだよ」
 清春の呟き声は祈りか、もしくは呪いのように聞こえた。わたしは中指に走る痛みを意識する。天井を見上げる。ふと思う。あのおじさんは、何か欲しいものはあったりするだろうか。食べたいものはあるだろうか。
 わたしは出血している方の手を清春の顔に伸ばし、前髪をかき上げる。その額にある大きな傷跡をなぞると、わたしの血の跡が残ってしまった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?