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小説:追っ手

 隣に座ってる十六分前に出会った女は、汚れたスニーカーでアクセルをベタ踏みし、ハンドルをひっきりなしに左右に回転させながら激しく揺さ振っている。
 揺さ振っているってのは、今俺たちが乗っている、このよくある軽トールワゴンの車体のことだが、どういう改造がしてあるのかエンジン音がロケットみたいにうるさくて、今走っている高速道路が垂直に建っていたら、今頃二人ともゴツい酸素マスクを着けて大気圏に突入しなければならなかっただろう。速度メーターを見る余裕は今の俺にはないので、それくらいの速度で走ってるってことだけ何とか伝わればいい。
「ねえ、後ろのやつ、増えてない?」
 女が前を向いたまま聞く。そういう質問をしたってことは、後ろを振り向いて、俺たちを追っている黒くて馬鹿みたいにデカい軍用ヘリコプターの数を確認しろってことだ。まったく。
 俺はとにかく両手で車体のどこかしらをしっかりと掴み、揺れる体をガンガンと打ち付けられながら、一瞬だけ振り返って見る。
「増えてるんじゃないか」
「どっちよ?」
 女はイラついた声で俺の回答に返す。
「増えてるよ。たぶんな」
「何台?」
「台じゃなくて機だろ」
 俺がこの切羽詰まりきった状況において、わざわざ言う必要のないことを言うと、女は案の定「何?」と眉間に皺を増やして吠える。まるで狼だ。
「ヘリコプターの単位は、台じゃなくて機だろ。一機増えて全部で二機だよ」
「クッソ! ふざけんな!」
 それは追っ手に言ったのか、俺の態度に対して言ったのかわからなかったが、これ以上不要なやり取りをする気はさすがの俺にもなかった。
「あいつら一体何なんだ?」
 俺が合理的な質問をすると、女は「今説明できるような長さの話じゃない!」と叫んで目の前の運送トラックをかわして一瞬で追い越した。と、同時に俺たちの背後でエンジン音をかき消すほどの馬鹿でかい爆発音が聞こえる。振り返ると、一秒だけ見た運送トラックは炎と煙を上げて横転していた。
「嘘だろ!」
 俺の叫び声は裏返っていた。
「ミサイル撃ちやがったあいつら!」
 思わずあたふたキョロキョロとする俺を、女は相変わらずの狼顔で「撃たないと思ったの? 使いもしない物をぶら下げて飛ぶわけないでしょ」と叱責する。
「俺に向かって撃つ奴がいるとは、これっぽっちも思ってなかったんだよ!」
 と、言い返したところで女はハンドルをガツンと切って俺の体を窓に押し付けて黙らせる。
「うっおお!」
 ガラス一枚隔てたすぐ隣で、また大爆発が起こって俺は言語が発せなくなる。
「おおおっ!」
 爆発したのはさっき前を走っていた車だろう。車種はわからない。もう俺たちの数百メートル後ろに転がって行ってしまった。
「っちくしょう! 何なんだよ! これ!」
 混乱する頭で俺は衝動的に言葉を発する。
「その質問に答えるのは、あいつらのいない場所がいいわね」
 言いながら女は片手をハンドルの下に回す。
「何してる?」
 俺が聞くと女は答える。
「ボタンを押したのよ」
 言うと同時にバン!という破裂音がして車が更に急加速した。
「……っおお!」
 ロケットどころじゃない、タイムスリップできちまうんじゃないかというくらいのスピードだ。宇宙じゃなくて恐竜時代に行っちまいそうだ。
「失神してもいいわよ。後で頭から水ぶっかけてあげるから」
 女がそう言い、俺は「そうさせてもらう」と答える代わりに、エンジンが騒音を放つ中で意識を途切れさせた。


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