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小説:鷲掴みにしたくなるくらい大きな飛行機が空を飛んでた

 くすんだ色をしたジャンパーのポケットに手を突っ込んで一月の寒さに身を震わせていると、隣でぼんやりと空を見上げていた菜美がすっと左手を上げて空中で何かを掴む仕草をした。

 追って見てみると、近くの空港から飛び立ったと思われる旅客機が、音を立てながら低い位置を直進していた。

「鷲掴みにしたくなるくらい大きな飛行機が飛んでる」

 俺は、俺に向けて言ったのだと思って、灰色の地面を見下ろしながら「そうかい」と返すが、菜美は何も言わない。見ると、手を下ろして視線で飛行機をじっと追い掛けている。

 独り言だったのか。いや、今のはメモか。こいつは思い付いた言葉をこうやって覚えておくんだ。

 何だか恥ずかしい気持ちになってしまったが、周りに俺たちの言葉を聞いていた人間はいないようだった。平日の昼間は駅のホームも人がまばらで、俺はすぐに息をふうと吐く。

 何もかもがくすんだ色をしている街で、そういう季節だったが、空だけは我が物顔で青かった。

「京太は飛行機乗ったことある?」

 今度こそははっきりと俺に向けられた言葉に、俺は「たぶんある。よく覚えてないけど」と返す。何となくホームの先の線路を眺める。電車の接近を知らせるアナウンスはまだ聞こえてこず、静かだ。

「それって修学旅行の時?」

「まあ、そうだけど」

 高校の時の修学旅行で同級生たちと一緒に乗った。それが最後だ。菜美にその時代の話をしたことはないが。

「沖縄?」

「……うん」

 連続で質問ばかりされて、俺は真意が気になって菜美の顔を見るが、菜美より先に目を逸らしてしまう。こいつは怯えがない。少なくとも俺に対しては。

「沖縄って青かった?」

「青かったよ。お前は乗ったことあんのか」

「ないよ。この空より青かった?」

「……」

 俺は一旦顔を菜美と反対側へ向けて、線路の先を辿り見る。アナウンスが流れていない以上、当然電車の姿が見えるはずはない。

 そうすると菜美はすぐに黙ってしまうのだが、今度は俺が耐え切れなくて黙るのをやめてしまう。

「行った時のことは覚えてないけど、この空より青いのは知ってる」

 俺は首を一八〇度回して答える。俺は平均より五センチ背が低く、菜美は平均より何センチか背が高い。対等に目が合う。

「何で知ってるの?」

「誰かが見た話を聞いたり、誰かが撮った映像を見たりしたから」

 すると、菜美は静止したまま一泊置いて、「それ、嘘だったらどうすんの?」と言った。

「嘘?」

「その人たちがみんな嘘ついたり、あるいは意図せず間違った情報が伝わってたらどうする?」

 俺は反射的に苦笑いする。「そんなわけはないだろ」

「あるかもしれないよ」

 何も答えずに眉根を寄せる俺に菜美は繰り返す。

「嘘だったら、どうする?」

「どうするって……」

 気配がして、ちらりと見ると、俺たちの後ろに俺たちより背の高い男が一人並んでいた。視線を落として手にしたスマートホンを見ている。

 俺は向き直って真正面から菜美を見る。何となく、負けたくないと思って俺は目を見続ける。

「見に行く……と思う。確認しに」

「ふっ」

 俺の答えを聞いた瞬間、菜美は唇の端を上げて小さく笑った。

「何だよ」

「あたしが飛行機に乗ったことないの、何でか知ってる?」

 菜美が再び視線を空に向けて言い、俺は呆れ気味に「知らんよ」と答える。

「乗れないの。飛行機恐怖症だから」

「はあ、そうかい」

 初めて知った菜美についての大きな情報だったが、俺は小さな反応しかできなかった。

「自分が乗ることを考えると、お姉ちゃんのこと思い出しちゃうんだよね。あたしも同じような事故に遭うんじゃないかって」

 今度は何の反応も返せなかった。俺は、後ろの男がこの会話をどのくらいの集中力で聞いているのか気にしてしまう。

 菜美に姉がいて、今はもういないという話は既知のものだったが、そのことを忘れていたのは何だか落ち度であるように思えた。

「いつか乗りたいんだよねえ。大きい飛行機に乗って、大きい旅がしたい」

「そうか。できるといいな」

 俺はそのタイミングで出来得る限り優しい声色で返事をしたつもりだった。そうすべきで、尚且つ、そうしたいと思ったのだ。

「京太さあ、あたしと一緒に乗ってよ。一緒なら大丈夫だと思うから」

 菜美と俺の目が再び対等になる。俺は俯いて「うーん……」と声を漏らす。

「えー、いいだろー?」と、菜美が笑って俺の肩を拳で殴る。「いってー」と俺も笑い返し、その勢いで「わかった、いつか乗ってやる」と返す。

「よっしゃ!」と菜美はガッツポーズして体を弾ませる。

 アナウンスが流れ、待ちかねた電車が近付いていることを知らせてくれる。俺は苦笑いで青空を見上げている。

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