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人生のタイムリミットを想像する

もし、この世界が、あと一年で終わるとしたら?
自分の寿命が、あと一年だとしたら?

三次元の地球を、この体で生きるというゲームの終わりは、あるようでないもの。
いつか来るのは確実だけれども、それは、ずっと後だと思っている。

でも、もし、あと一年で終わるのならば、何をする?どうしたい?


そう考えた時、私は真っ先に会社を辞めたいと思った。
会社に行って時間を使っている場合なんかじゃない。会社を辞めて自分の時間を手に入れたい。

これ以外は考えられなかった。
やはり会社を早くに辞めた方がいいのかな?
でも、無職になると収入がなくなる。
老後の貯蓄ができない。

会社を辞めたいと思っても、無収入の不安がブレーキをかける。

今のこの瞬間の幸せを取るか、未来の不安を取り除くために今を我慢するか。

ビビリの私は決めきれない。
潔く、スパッと決断はできない。

頭では辞めた方がいいってわかっていても、
収入の事を考えると不安で動けなかった。

そんなことを考えながら一年が過ぎる頃、
結果的に、仕事を辞めた方がよい状況になったので、辞める事を選択できた。

「もし、この世界があと一年で終わるとしたら?」
の問いに対する答えを実行できたことになった。



映画「トゥモローランド」でのオオカミの話。
心の中にはいいオオカミと悪いオオカミが2匹いて、どちらが生き残る?という問いの答えは、
「自分が餌をあげた方」だった。

そうなんだよね。
恐れ、怒り、妬み、悲しみ、後悔、欲、傲慢、自己憐憫、罪悪感、恨み、劣等感、嘘、うぬぼれ。
そんな思いに餌を与え続けると、そちらが生き残ってしまう。
この世は、そんな世界になってしまうんだよね。

そう思ってから、毎日、ほんの少しの幸せに気づくようにした。
「ご飯を食べる事が出来て幸せ」
「眠る布団があって幸せ」
「あったかい部屋、明るい電気があって幸せ」
「パソコンを打つ手があって幸せ」
「息をしてくれてありがとう」
「心臓を動かしてくれてありがとう」

当たり前だと思っている普通のこと。
こちらに意識を向け、エサを与えるようにした。

ちなみに、今日の夜は炊きたてのご飯。
だから、卵かけご飯を食べた。
美味しくて、美味しくて、幸せだった。
こんなふうに、些細な日常に、幸せを感じるように過ごすようにした。


明日、自分がこの世からいなくなるとしたら?

私はきっと、母と妹にありがとうを告げる。
そのあとは、特別な事をしなくてもいいや。
当たり前の一日を、いつもの、平凡な毎日を
大切に味わって過ごすんだろうな。

この「味わう」っていう感覚も、もう最後なんだろうなって。
その感覚を忘れないように、しっかりと噛みしめる。
「おいしいな」
「あったかいな」
「きれいだな」
って、瞬間、瞬間に感謝しながら、
その感覚を忘れないように味わいながら、
最後の日を過ごすんだろうな、って思った。

地球ありがとう、楽しかったよって。
夕日なんか眺めたりして、泣くんだろうな。


いつもは無意識に、ただ流れるように過ごしている当たり前の時間は、
明日も必ず存在するとは限らない。
何があるかは、私達にはわからない。

いつかは人生に終わりが来るのは確定しているんだけど、それは明日ではないと思っている。
それは、明日かもしれないのにね。


人生のタイムリミットを想像してみるって、
今をしっかり生きる事につながるんだよね。


明日、自分が消えるとしたら?
そう思って、毎日を、瞬間を
丁寧に、大切に味わって生きていきたい。

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