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何気ない大人の一言

小学生の頃、長期休みに宿題があった。
「何かお手伝いを決めて毎日続けよう」という内容だったと思う。
私は「洗面台の掃除をする」事を母と約束し、約1か月の間、1日も欠かさず毎日手伝った。

休みが明けて学校が始まり結果を報告すると、クラスで毎日お手伝いをしたのは私一人だけだった(と記憶している)。当時の私は、母親の手伝いをすると母親から褒めてもらえるのがとても嬉しかった。褒められたい一心で毎日手伝っていただけだった。特に頑張った訳でも無理をしたわけでもない。
その後、職員室に行った際(なぜ行ったかは覚えていないが)、私の前で担任の先生と別の先生が会話をした。

「(担任の)先生も大変ですね~」と。

「こんな真面目な子がクラスにいて(担任の)先生も大変ですね」という意味だと思った。先生の本心はわからない。ほんの冗談で言った些細な一言だったのだろうけど、でも子供の私は「いけない事をしてしまった」という気持ちになってしまったのを覚えている。真面目に毎日手伝った事がいけないの?と不思議な気持ちになった。

今考えると、大人が真面目に手伝いをした私に対し「子供らしくない」「子供はもっと自由なはずだ」という意味あいを含めて言っていただけなのかもしれない。私が親に押さえつけられているように感じたのかもしれない。親からの承認欲求が強かった私は、褒められたい一心で色々手伝ったのも事実。

でもそれならば、まず手伝った私を認めた上で「本当に手伝いたくなかったら無理しなくていいんだよ」などと私に力を抜く方法を教えてくれれば良かったのにって思う。本当の意図はわからないが、とにかく私はこの出来事で「真面目過ぎるのは嫌われる」と感じてしまったのだ。

子供の時ってとても純粋だから、大人の冗談を本心と感じてしまったんだなぁ、と今つくづく思う。

この出来事以来、私は「真面目過ぎるのはいけない」「少しぐらい、いい加減にしないとみんなに嫌われる」という観念に支配された。今考えると、とても変てこな考えだけれども、子供の私にはそれが「正しい事」「社会で人と接する時の立ち回り方の常識」のように思えた。

大人になってもその気持ちは消えずに、多少いい加減な自分になる事で周りと調和を取っていた気がする。「真面目過ぎると嫌われる」そう信じていたから。


しかし、真面目でいる事が小馬鹿にされる世の中ってどうしたもんなんだろう…。
なんかおかしくない?
そう思いながら、長い時を経てきた気がする。


今は真面目だと思っていた自分が、ただの承認欲求を求めていたに過ぎなかったのか、その後の真面目じゃないふりをしていた自分が実は本当だったのか、よくわからない。
現在の私は、口癖が「ま、いいか」である事が示しているように、かなりいい加減で適当。
適当なところはかなり適当だけれども、真面目なところはかなり真面目。ちょっとややこしい(笑)。
真面目ポイントがどこで発動するかも自分でもわかってない。結構変わってると自分でも思う。

ただ「他人に小馬鹿にされるから真面目を偽ろう」とは思わなくなった事だけは事実。
真面目になるところは、とことん真面目で通してやる!周りの人に馬鹿にされたって正直に行動してやるって思う。
「変わってるね」は褒め言葉(笑)
今は「わかってくれる人にだけ、わかってもらえればいい」と開き直ってる。だから友達は少ない。
それでもいいよ!大丈夫だよ!
って自分に言っている。

自分に正直に、自分にまっすぐに向き合って生きていけば、自ずと道は開けると思っている。
自分は1人ではないという謎の自信もあるし。
毎日を楽しく、自分に正直に生きていけばいいか、って。


最後は「変わっててもいいじゃん」って話になったけれども、今日伝えたかったのは、子供相手に否定的な冗談をうっかり言ったものなら、その子は大人になるまで引きずることもあるので「気をつけなはれや〜」と言う事でした(笑)


今日も1日頑張った自分に、ご褒美あげて癒してくださいね!楽しい世界を創造しちゃいましょう!



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