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EP.002 physis 井上愛理 / AIRI INOUE(ファッション・福岡)

physis
https://www.physis-store.com/

”福岡の二日市、少し都心から離れゆっくり時が流れる場所にあるセレクト・ヴィンテージショップ。国籍や時代、ジャンルを越えて洋服を中心にインテリアやアートを取り揃えています。ものではなく、体験として味わえる。ストーリーやデザインがあり日々をつくっていく中でその人の人生に寄り添うもの。変化する自分と一緒に生きるようなものを。当たり前に過ぎる日常の中にきらめきのエッセンスを与えてくれるそんな小さな幸せを一緒に感じることのできる場所になりますように。”

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こんばんは.   今日のゲストはインスピレーションにて.   踏み込んだ瞬間から懐かしさ溢れる.   そこだけ空気感がちがう.   奥からオーラを放った女の子が.   すごい空間に来ちゃったいつの間にか空気に溶け込む.   どいういう世界を見ているんだろう.   一呼吸目 ファッションに興味があると「分かった」きっかけ.   明日なに着て生きていく?.   生きていることと装うこと.   詩がついている洋服.   服と言葉 服そのものにストーリーがある.   サンリブでパリコレ.   身体と洋服の一体感.   洋服の心地よさ.   思想を共有する.   作り手に包まれている.   音を浴びる.   音のマッサージ.   解像度のある伝言ゲーム.   細胞レベルで喜ぶ瞬間.   人に働きかける現象.   洋服がある場所にいく意味.   偶然の出会いの大切さ.   physis 自ら動く自然.   生命体の一部.   余白がある言葉.   美しいとは何かを問う旅.   自分の心に素直にセレクト.   physisさんの声を聴く.   空間に声が奏でられている.   別れの淋しさ.   時間軸.   今、自分がどこにいるのかそこから考える.   フラットなセレクトの面白さ.   開かれたときに出会い直す.   創っていくことと壊していくこと.   揺らぎながら暮らすことの意味.   迷うことと揺らぐこと.   不確かなものを探っていく.   愛を循環させる

--miyabi
はじめからphysisはあいりちゃんに宿ってたんだろうね。
 --airi
私、宿してたんですね!
--miyabi
うん。きっとphysisとの出会いは偶然だけど必然だったんだと思う。
--airi
偶然だけど導かれるように潜在的にあったものに気づいてしまうような。そのphysisってもしかしたら私だけではなくて、みんな潜在的に持っているものなのかも。とも思います。
--miyabi
細胞の記憶なのかも。
 --ayako 
あー、細胞の記憶か!やっぱり、人類は細胞の集合体ってことなんですね~。眠っているわたしという潜在的なものは細胞の記憶で、まだ目覚めていない細胞たちがたくさんいる。

あいりちゃんにとって、その細胞のひとつが「physisさん」で、あのときあいりちゃんに眠る「physisさん」は目覚めてしまい、そこから対話がはじまった。つまり、お友達になれたということだ!

だから、細胞たちが目覚めるときにまたひとつピリオドがはじまるんだと思う。
--ayako
パチンという音は、目覚めの音。「ぼく、起きたよ~」ってね。
--miyabi
もっと言うと、潜在意識はそれぞれが無意識のうちに蓄積している記憶の貯蔵庫みたいなもので。細胞の記憶は、もしかしたら生まれる前からの先人たちの記憶でもあり、または、日々の生活での細胞の入れ替わりで外部の記憶が受け継がれるものなのかなーって。

だから、physisさんが目覚めちゃって、関われば関わるほど、physisさん濃度が高くなる。笑
--ayako
おもしろい!わたしもわたしのお友達に会いたいよ。だからこそ、自分の声をよく「聴く」ってのが大切なのかぁ。ドライブマイカー、観てほしい笑
--airi
ねむっていた細胞の目覚めですか。
閃きが生まれる時は過去の知識や経験だけではなくて、潜在意識と日々生まれ変わっていく細胞とも繋がっているのということですかね。

わたしは「physisさん」に出会って考えや人などいろんなものが繋がっていったような気がします。そして出会った経路が改めて考えるとその時の状況や周り、環境などによって、こうだから出会ったな〜というのが少しずつ朧げな記憶にあって、それってその時自分の興味のままに進んでいたなと思いました。

自分の声をよく「聴く」という行為はひとりでは私はなかなか難しくて、私は自分に内存していることに気づくことは他者との関わりの中で生まれてきます。自分であるものと自分でないものの間で揺らぎなから、ものや会話や作品を通して誰かの感覚的な意識と混じり合いながら自分というものに気づいて、またそれを拡張したり、たまには内に入ったり。その対象を見つけた時は恋のような、なにかに陥る感覚のような気がします...

自分の声をよく「聴く」ってお2人はどうしてますか?
--airi
あやこさんおすすめの映画〜♪ドライブマイカー観なくちゃです!笑
--airi
アフタートーク、あやこさんの「Fall in love」に笑いました♡
--ayako
「Fall in loveだ!」と直感的に思ったんだけど、純平さんの顔を思い浮かべたら、いやいやそうじゃないぞと自分にツッコミみました笑
--miyabi
それに便乗して赤い実もはじけちゃったけど。笑
--ayako
ね♡
--ayako
そして恋といえば、今月のpen椅子特集でのメッセージ。
椅子との関係は、まるで恋愛のようだ。その姿かたちな惹かれ、触れることで深く知り、ともに過ごすことで気付かなかった景色を見せてくれる。そしてデザインに込められたつくり手の哲学、内に秘めた”想い”を知った時、人は恋に落ちるーーー。

この言葉に、恋しそう。
--miyabi
わたしの、自分の声を「聴く」ことの解釈。
私も愛理ちゃんと近くて。他者との関わり合いの中で自分が発見されると思っていて。それで、「”わたしらしい”あたらしいわたし」を発見すべく、自分をクリエイトするっていう活動を去年していたんだけど。

“わたしらしさ”は、自分の外に新しくいるんじゃなくて、きっと自分の中に眠っている。でも、それは自分だけじゃ見つけられない。だから、自分自身で自分をクリエイトするんじゃなくて、他者に意味づけをしてもらうことで、まだ自分が気づいていない、元々眠っていたわたしらしさを発見していこう!っていう活動で。

でも、他者にあなたはこういう人間だよ!って言われて、単純に「そうですね。」っていうのではなく。他者との関わり合いの中で自分がどのように反応するか。

あ、今、私喜んでる。
違うって言ってる。みたいな。
これが自分の声を「聴く」ってことなのかなーと。

あと、その感覚はわたしには当たり前だったけど他の人にない感覚だったんだ!みたいな発見もあるなーって思ってるよ。
--airi
"私も純平さんにお会いしたことはないですが、会話から、あ、そうじゃない笑 となりました。笑

PDCAサイクルの後のFall in love 笑
赤い実 笑

ロマンチックだわ♡
きゅんな言葉たちですね。
フランス映画のよう。
--airi
なるほど!私もキャリー(=miyabi)さんととても近い感覚です。
「あ、今、私喜んでる。違うって言ってる。」が大切ですよね。自分の声を「聴く」って受動でもあり能動でもあるんですね。
--ayako
あー、私はわりと妄想が多いかも。というか基本妄想してるんだ笑
ずっと一人で何かを考えていて、ひとり言を心で奏でてるらしい。だから「ひと言ラジオ」が常に流れてることに気がつきました笑

今回、Podcastをやってみて、はじめてちゃんと「自分の声」を物理的に聞いたのよ。そしたら、こんな声してるんだーとか、声の強弱とか、言葉の癖みたいなのが音として聞こえてきて、そういう意味で私は「自分の声」をちゃんと聞いてみた。

で、マクルーハンの話にも出てきたんだけど「メディアがメッセージである」というときに、「人」そのものもメディアになりうるわけで、つまり「誰か言うか」というのはメッセージに変化をもたらす。人をもっと分解すると、Podcastの場合その媒体(メディア)は「声」になる。

「内なる声」を「メディアの声」に乗せたとき、その声を聴く私は「ひとり言ラジオ」を聞いてたのとはまた違って、どうしても声色まで読もうとしてしまう。

じゃぁ「内なる声」の媒体(メディア)は何なのか?と考えたときに、それはやはり細胞なのかなとか。「細胞レベルで喜ぶ」という表現はあながち物理的に成り立っていて、内なる声を伝搬できる媒体は細胞しかないのかも。

声の主は、いったい「誰」なんだろう…
--ayako
あ、あと。
相手の目をみたら、なんとなく考えてることとか感情とか分かるときとか、無言でも不安じゃない相手って「内なる声」で対話してるのかも。「メディアの声」に乗せない方がいいときってあるなーと。

言わないと伝わらないこと(人)
言わない方が伝わること(人)

色々妄想しちゃう笑
--airi
基本妄想。笑
閃きは妄想と空想の中にあるのでしょうか...?
あやこさんの話を聞いてると「内なる声」の正体はやはり細胞かもしれません。言わない方が伝わること(人)は「細胞レベルで喜ぶ」感覚に近いような気がします。

目をみたら、なんとなく考えてることとか感情とか分かるような、無言でも不安じゃない相手、そういう相手と出会ったときは高揚感より、解かれてゆくような感覚にもなります。

声の主の行方...
「私は私でなく、私でなくもない」という上妻さんの言葉を思い出しました。
--miyabi
"妄想や閃きも細胞の記憶と潜在意識が関係しているんじゃないかなー。何の根拠もないけど。

言わない方が伝わることは、何だろうな。言語はある意味制限でもあるから、言語化しない方がいいこともあるのかも。あと、言わなくても伝わるってテレパシーみたい。脳波みたいなのが出てて、周波数合う人と何か飛ばしあってるのかも。笑
--miyabi
「メディアがメッセージである」
マーシャル・マクルーハンのメディア論だよね?

情報を伝達するメディア(=媒体、伝達手段)そのものがまた情報である同じメッセージ(情報)でも、伝達手段が違えば受信者側の受け取る感覚も異なってくる。みたいな。

で、ちょっと気になって今の間に調べていたら。「メディアはマッサージである」って言うのもあるのね。メディアは文字以外でも常日頃社会の中のあらゆるところに存在していて、五感を刺激している。
--miyabi
で、これが意図することは掴みきれていないけど。わたしの脳内は音のマッサージっていう話をしたことと繋げて考えていて。メディアって、インターネットやテレビとか雑誌とか新聞って思い浮かべちゃうんだけど。

これを、媒体って漢字で考えてみると。モノや人も媒体みたいなもので、情報が細胞だったり、モノに込められた作り手の想いだったりするのかもと。そういった物たちに常に触れていて、五感が刺激される、細胞が反応しあってるのかもと妄想してみた。
--miyabi
と、同時に。
内なる声って、自分が0から生み出した声なのか?と言うことを考えていて。他者という人だけでなく、あらゆるものや事象(見えない物も含む)に広げると。

内なる声は、「無意識に外部からキャッチしているあらゆるモノや事象たちの声」に対する「わたしの細胞の記憶と潜在意識たちとの反応」がいくつもあって、それらが状態変化してポンっと現れたものなのかもしれないなぁーとも。

でも、そのポンっは割と自分の中の奥深いところで起きるから、自分に潜らないと(向き合わないと)掴めない。
--ayako
友達が建築を考えているときに、彼はいつも現実と夢の間を彷徨っていて、彼にしか辿り着けないその世界にいる様子がこちらから見ていてすごくきれいだったんだよね。「閃きは空想と妄想の中にある」という言葉を聞いて思い出した。私は現実よりも夢がすきなので、閃きは空想の中にありそう◎

 "解かれていくという表現はほんとそうだね。じっと見つめられてる方が、すべてを知られてしまいそうで恥ずかしくなるときがある笑 だからふと、目を逸らしてしまうのよね笑
--ayako
上妻さんって、作家さん??
--ayako
生まれたばかりの赤ちゃんと見つめ合ってるときって、彼らから何か信号が送られてるなーと思うんですよね。あれ不思議。棟梁が木と対話してる感覚と違いのかなと思いました。解かれる感覚と、赤ちゃんとの対話と、木との対話。それらと、作り手の想いに触れて五感で受け取るという感覚。

ここには共通することがある気がしたなぁ。それこそ愛みたいなもんなんだろうけど、それは愛と言わずに表現したい笑
--ayako
内なる声のポンっていうのは、福岡伸一さんの言葉でいう「エントロピーの法則」で、外に出てしまった細胞を補填するために、周りとの関係性によって新しく形付けられる細胞だから、なぜ生まれたのか?という理由はあくまでも、周りとの関係性によるものという回答になるけど、だからこそ「ポン」っていう表現が正解なのかもしれない。

みやびさんの閃きに対して「何でそう思ったの?」という質問多いと思うんですけど(笑)「閃いちゃったんです」というのが正解で、みやびさんの場合は、細胞たちの伝言ゲームが人よりも早いというか、あっという間に脳に伝わるので認識できちゃうんでしょうね。

ポンっていう音は、赤い実はじけたとも言えるし、そこに立ち現れた(生まれた)とも言える。いずれにせよ、ずっとパチパチ鳴ってそうだ笑 人よりも新陳代謝が早いので、ずっと先の未来を常に行ってる感覚があるんだろうなぁ。
--ayako
連投失礼!笑
--ayako
平野啓一郎さんが分人主義で定義する「愛とは何か」

「相手の何か」が愛おしいというよりも、その「相手といるときの自分」「相手によって引き出される分人」が好き、というのが「愛」なのではないか。心地いい自分、落ち着く自分を引きだしてくれるから、その相手が愛おしく、それが「人を愛する」ということだ。

↑これが「解かれる」ってことなのかも。
--airi
キャリーさんの「メディアはマッサージである」から音のマッサージ、媒体の話もとっても共感しました。

外部からキャッチしてぎゅーっと自分に溶け込ませてポンっと生まれる内なる声。生まれて、またキャッチしてどんどん混ざり合ってゆくよな...

細胞たちの伝言ゲーム、キャリーさんたちの細胞はとてもキャリーさんに協力的ですね....それって隠れていた無意識を見つける直感にも繋がってるんでしょうね。

キャリーさんの「直感的に探究する何者でもない私〜」が本当にぴったりだなとお話しお話ししていて思いました。私にも何かキャッチフレーズつけて欲しいです〜
--airi
あやこさんが「閃きは空想と妄想の中にある」という話で、思い出す人の建築みてみたいです。私は閃きは何かをベースに新しいことが思い浮かぶことだと思っているのでそのベースが自分の声だったり妄想なのかなって思いました。自分の声と空想の中から生まれる閃きは楽しそうです...

目を見ると全て知られそうな感覚、わかります。ありのままをみられる気がして恥ずかしくなってしまいますよね。
--airi
上妻世海さんは、作家でキュレーターの方です!
--airi
解かれる感覚と、赤ちゃんとの対話と、木との対話。それらと、作り手の想いに触れて五感で受け取るという感覚。きっと近い部分があると思います。

「人を愛する」と「解かれる」の話も面白いです。「解かれる」の平野啓一郎さんの分人主義で定義する話は人を愛するのひとつにそれはありそうな気がします。相手といる自分も好きになれるような。安心感のある感じですかね。普段自分の中に留めていたこともつるつる話してしまっていたり。そんな相手といるとずっと楽しいような。

「ともに過ごすことで気付かなかった景色を見せてくれる。」というpen椅子特集の言葉にも繋がりそうだなと思いました。愛するは「目を見ること」とも思うし、人も時間もものも「大切にすること」と友人が言っていて確かにとも思ったし、愛って人に求めるものではなくて、愛とひとつになれるように求めるというか、自分の愛をみつることで、相手(ものやひとやこと)への愛を見つけるみたいな感じなのかな〜とぼんやり思います。

恋は翻弄されて何かに駆り立てられ、高揚感を感じるような気がするから、また恋と愛とは別ものなのでしょうか...でも、「ともに過ごすことで気付かなかった景色を見せてくれる。」のpenでのフレーズは恋なのかな。
--ayako
恋と愛。
恋する、は一人でもできるけど
愛する、は一人ではできないような…

愛は、与えるだけでもダメで
与えられるだけでもダメで
そこにはぐるぐる循環があるのかなーとか。
--miyabi
その人といると自分があったかくなるから、ありがとうって伝えたくなる。そんな循環かもね。
--airi
確かに一人ではできないし、愛って循環がありますね。
--ayako
よく、恋は下心(下に心がある)
愛は真心(真ん中に心がある)
といいますが、

よーく見てみると、愛は「心を受ける」になってますね。やっぱり、贈与は「受けとる」ことからはじまるってことか。受けとってもらえたことに気づいたとき、はじめて贈与(愛)になる。※世界は贈与でできている より

だから、循環してて、ひとりではできないのかも。
--ayako
あ、あいりちゃんのキャッチコピー

わたしと世界を哲学する
physis あいり

今、これがしっくりきたよ。

「わたし」というのは、細胞さんの集合体という意味で、もちろんその中にはphysisさんもいらっしゃるし、いろんな人モノからの対話を受けて日々新陳代謝をしているあいりちゃんの「わたし」たち。

そして、つねにセレクトをとおして、モノの奥に広がる世界や文化と対話してるんだけど、あいりちゃんの場合は真理を探究するといより、哲学しながら(哲学という行為だね)あいりちゃんの世界を創造している(それがお店に入った時の空気感)印象がありました◎ あいりちゃんの、モノへの愛もたくさん感じるし、でもそれを言葉にはしたくないから「あいり」という名前で表現する。

わたしと世界を哲学する
physis 愛理

すべてがぐるぐるしてる感じが、physisの「自らが動いている」にも繋がりそう。
--airi
本当にそうですね。
愛って、自分が在るって思っていても受け取ってもらえてなかったらそこにはそれがないようになってしまう。贈与と受け取ることが繋がって初めてそこに存在するものですもんね。だから循環だし愛ってひとつになる感覚でもあります。
--airi
私の名前で在る愛理を「愛の理を見つける為に生まれてきたんだね」と言ってくれた友人は、自分の料理でテクニックとかではなく真心を表したいと言っていました。それって愛だなぁって思ったのを思い出しました。

キャッチコピーもありがとうございます。こうやって言葉にしてもらうと愛理とphysisに導かれているような、真理というより哲学という言葉も確かそうだなと思いました。あやこさんとは2回しか会ったことがないのに本当にすごいです。
--ayako
愛の理って、またすてきだなぁ。お友達のお料理もぜひ食べてみたい♡名前ってこの世界ではじめてもらうプレゼントやと思うから、改めて大事にしたいと思いました。

はじめて会ったのにはじめましてな気がしないときって、宇宙と愛の話ができるよねって、昔、お客さまが話してくださったことがあって、最近つくづくそうだなぁと思います。あいりちゃんと仲良くなれたのも、愛の導きだね♡
--airi
わたしも改めて大切にしたいって思いました♡本当にそうですね〜。そういう人に出会えると本当に心が喜びますよね。わーって♡ 愛の導きです〜 そんな方と囲む食事やお茶の時間は時間を忘れちゃいますよね。
--ayako
うんうん!心が喜ぶ!
あいりちゃんの回は、なんだか愛に導れて愛がテーマになった気がします♡愛と循環は、私たちのテーマにもなっているし、これからのキーワードにもなっていくと思うから、改めて「今」という時代の愛との向き合い方を紐解いて編んでいきたい。physis出張収録のときは、ぜひこのテーマで対話を深めていきましょう♩

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