「無用の傘」 | サンポノオカズ:二品目
美味しいおかずがあるとご飯がススム。
それと同じで、散歩にも美味しい「おかず」があればどこまでもススム。
ススメばススムほど痩せていくのが本当のご飯との違い。ダイエットにもいい。
このマガジン「サンポノオカズ」では、散歩がススム写真のテーマを紹介していきます。
今回も私のコレクションから。
「無用の傘」
よく落ちてますよね、このビニ傘。
強風でぶっ壊れて捨てられた傘。雨が上がって捨てられた傘。どっかでパクってきて帰り道に捨てた傘。
いろんな理由で「無用」となった傘の今を集めました。
▲折りたためないくらいの複雑骨折。
▲丁寧にフェンスにひっかけて丁寧に捨ててあるのも逆に悲しい。
▲自分が死んでいる(無用になった)のに気付いてなさそう。
▲隣のホウキとは友達のつもりだけど、ホウキはまだ実用。それに気づいた時関係性は変わる。
▲ここにどれくらい居たの?
▲時々大量にある。みんなで捨てれば怖くない。
▲なんとなくオフィーリア。
▲ビニ傘お化け。無用の傘は妖怪になる。
▲大久保で路上寝。
▲仲良くやってる三人組。
▲ズルムケちゃってる。
▲黒骨化しちゃってる。
理由はともあれ無用になった傘ほど邪魔なものはありません。
壊れていたら修理するほど大事なのものじゃないし、持って帰ってもまた使うかどうかわからない。じゃあいっそ捨ててしまおう!忘れたフリして置いて帰っちゃおう!なんてこと思ったことが何度あったか。
その結果がこの写真たち。
よくはないけど、捨てる気持ちはよくわかるので、責める気持ちはありません。それを訴えるために撮影しているわけでもありません。
最初は、無用となって捨てられた傘の怨念のようなものを感じながら撮影していましたが、写真を見返していくとそれだけでないと感じるようになりました。
無用となって捨てられた傘もその場で死んでいるわけではないのでは?と。
むしろ、傘としての機能を引退して、自分勝手に悠々自適な生活を送っているようにも見えてきました。
そう思うと、なんだかちょっと羨ましくもなってきます。
機能を失い、誰かの用から離れてからが本当の自由がはじまるのかも。そんなことを無用の傘から学びました。
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